オリヴィエは、精神上同民族たるべき人々から知られていないので、彼らを当てにすることができなかった。そして敵軍の掌中に陥ってるのを知った。多くは彼の思想に敵意をもってる文学者や、その命を奉じてる批評家などばかりだった。
彼らとの最初の接触に、彼は血を絞らるる思いをした。老ブルックナーは、新聞雑誌の意地悪さにひどく苦しめられて、もう自作の一編をも演奏させたがらなかったが、それと同じくらいにオリヴィエは、批難にたいして敏感だった。彼は、昔の同僚たる大学の職員らからさえも、支持されなかった。彼らはその職務のおかげで、フランスの精神的伝統にたいするある程度の知覚をなおもっていて、オリヴィエを理解し得るはずだった。しかしそういうりっぱな人々も一般に、規律に撓められ、自分の仕事に心を奪われ、仕甲斐のない職業のためにたいていは多少とも苛辣になっていて、オリヴィエが自分らと異なったことをやりたがるのを許し得なかった。善良な官吏として彼らは、才能の優越が階級の優越と調和するときにしか、才能の優越を認めたがらない傾向をもっていた。
――ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」(豊島与志雄訳)
ときどき、戦前のブルックナーの第八番の録音を聞いていると、十歳頃、雑音七割ぐらいのFMから流れてきたこの曲の記憶がよみがえる。木造家屋、氷点下十度の木曽の夜にて、すでにわたくし、昼夜逆転の気味があった。昼間の小学生としての人生が逆に夢のようにおぼつかなくなった。80年代に入る頃である。
そういえば最近朝日新聞で連載されている柄谷行人の回想録で、彼の十代はなんか夢の中みたいで現実感がなかったみたいなこといってたから、――細にその話したら、「過去だからじゃない?」と言ってた。
柄谷にとっても私にとっても、80年代こそが夢のように儚かったはずだ。柄谷の場合、もともと夢のようなかんじを生きる人であるところに、儚い感じの時代相がぴったりきた。むかし歌人の永井陽子が『〔同時代〕としての女性歌人』とかなんとかいう本の座談会で、「結社というのはもう死語で」、といっていたが、結局死語にはならなかった。一般的にそういう例が多いのが我が国であるが、何かが行き過ぎる気がしていた80年代の方が特殊だったのである。
柄谷氏は、儚い時間に流れにたいし、歴史の見方を事象の起源の特定という方法で変えようとしたひとりである。これは、歴史的な見方と言うより、批評的であり、現在の時間を確かなものにする方法である。柿本真代さんの研究で知ったけど、巖谷小波の世代は二宮金次郎を知らなかったりするんだが、芥川龍之介の生になると偉人扱いになっている。わたくしも小学校に銅像があったから偉人だと思っていた。この前小学校にいったらまだあったが、――こんな見方によって時間を確かにしようとする習性が、我々以降のアカデミシャンに広まった。
最近出た『一九六八年と宗教』を原付の全力スピードみたいなかんじで読了したが、こういう書物も上の習性によって読めるからだ。これに対して、学生の卒論一つ読むのに何日もかかるのは、彼らがその習性を持っていないこともあるが、彼らは良くもわるくも、作品を読んでいるプロセスにあり、時間が普通に存在しているからだ。(学生の書く紋切り型みたいなところにこそ、何かが勝手に言い換えられてしまったものがあって、大いにヒントになることがある。対して、大きく独創的にみえるものに大きいウソが混じっている。)
平安朝文学の作品というのも、なにか時間の狂いを感じさせる。わたくし、「落窪物語」というのがずっと気になりつづけて三〇年であり、竹取宇津保にくらべて神秘性がないとむかし古典文学の教科書で習ったが、――なんか神秘とは呼べない神秘性みたいなものはある感触がある。「継子虐め譚」が普遍的だからではないのだ、なんというかこの作品は、躁鬱的な時間だと思うのである。
我々の時間の不思議に比べれば、既製品をこわすみたいなクリシェの時間を生きる者達は、まだ赤ん坊と言ったところだ。ルールを破壊し再創造するのではないのだ、彼らのやってることは物理的な破壊に近いのである。文学やっている人でも、自由に対して束縛とか強制みたいな図式でものを考えている人がいっぱいるけれども、自分がその都度何を壊したがっているのかの内省はいつの世も必要だと言わざるをえない。学校にそこそこなじんで勉強してきてしまったタイプが、生権力?やらなにやらを論じているのを見ると、――君が権力なんだがな、と言いたくなる。内省でも鏡でも何でもいいのでそういうのが必要だ。実際、勉強するというのは自分の前に鏡を置かない行為であり、時間が止まっている。受験勉強なんかは、やった→成果が出たという因果関係を優先して時間を止める行為なのである。失敗した者だけが、時間が動き出すのをみる。そのなかで、権力が何なのかがようやくみえるのだ。そこで死ねば時間がまたとまるけれども、それは我々の生が許さない。
とはいえ、わたくしも二〇代の頃は、時よ止まれ的な、破壊や死を望んでいたところがある。以前、わたしに、全共闘の時代に大学生やってたらどこかに突入して死んでるか、転向して懊悩して餓死してみたいな感じだったですよね、と言っていた若い研究者がいた。適当なこというやつだとおもったが、なんとなく最近はあたってるようなきがしてきた。確かに、――気質というのはあまりかわるものじゃないのだ。個性とはお互いに認め合うことですめばよいが、実際には本人にとって桎梏と化してゆくことが屡々で、我々は個性によって全員それぞれ狂っている。最近のテレビ業界の顛末を見ていても、潜在的に闘われているのは、「人柄対コンプラ」みたいなものであるが、そのことを熟考するいい機会になると思いきや、くるのは破滅だったりするのは、結局、我々が時間を恐れ破壊を好んでいるからだ。
狂いは、仕事の様相に顕れる。私の場合、依頼主の意向にあまりぴんときていない場合、だいたいの仕事というのは失敗する。逆に失敗しないひとはなにかはじめから失敗しないことそのものをめざしているのかもしれず、これがいろいろなものの進捗を遅らせているとしかおもえないが、わたくしは自分の性のこと考えるとそうとも言い切れないとは思っている。私の場合は、自発的に行った仕事とどこか強いられた仕事では大きな出来に違いがありどうしたもんかなと思う。おそらく、強いられたことに拠る憤懣がさまざまな憎悪を呼び、それが仕事の余分なところまでに影響して事態を遅らしているのである。そもそものその自発性だって、なんらかの反発によって起こっている要素はあるんだが、あまりに敵と直面しているような場合は自発的にならない。競争は敵との距離が近すぎて、憎悪によって自分の脚を自分で引っ張るきがする。おそらく、すぐ近くに競争相手がすわっているような、受験などの競争に、私がいまだに慣れていないからかもしれない。