★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

析出系

2024-11-30 23:14:28 | 思想


国語教育者の口から聞けさうな事で、一度も聞いた事のないのは、「造語能力」に関した問題です。我々の責任の属してゐる明治以後の社会が果してどれほど自由な造語、発想法を発明しましたか。私どもの祖先のどの時代に対しても、実際恥がましく思はれるのは、此点です[…]
「べうほ(苗圃)をうくわい(迂回)して行きや、ぢつきせいはん(製板小屋)が見えるがのし」
此は、五十恰好の木樵りが大台ヶ原の山中で、道を教へてくれた時の語です。国語教育家は前代の人々に対して、どう申しわけがあると思ふのでせう。私は、国語調査会の事業が、なぜ此方面に伸びて行かないのかを訝しみます。漢字制限の申し合せは、確かによい結果を生みませう。併し、責任者自身すぐに実行にうつらないのはどうした事なのです。


――折口信夫「新しい国語教育の方角」


確かに造語能力を失った教師たちはどこに向かっていいのか分からない状態であったろう。目標を失えばわれわれは大概何かに縋るが、それが入試であった。それを通過儀礼とみなし、その先に自由をおいた。しかしいまや、――昔、大学は選抜された者達が自由を享受するところだったが、今は違ってて育てるところだみたいな意見が結構ある。もっとも、それは、昔に対する認識も今の当為もどっちもすごくおおざっぱで不真面目だ。大学でも、あせって目標をさだめて何かしようとする動きが結構あるが、大きいことを言うときに雑でもいいことにはならない。学問ではきっちり手続きを守ろうとするのに、それ以外でものすごく素人以下になるのをどうにかしたほうがよい。これは、理念をマンガのスローガンのように捉えているからであろう。冗談じゃない。純文学が衰えると、現実からなんとなく必要な理念が析出されてくることが分からなくなってしまうのである。

そういう理念への不信感が逆にスキルへの盲信をも生んでいる。模擬授業をたくさんやれば教師になれるとかかんがえるような頭脳の人間に教師なんかできるわけねえが、案外、それのほうが確実に見えるわけである。

スキルというのは、たいてい現実からの析出ではなく、部分への断念である。そのうらがえしで「共感」の絶対化が起こる。で、分かる部分だけに共感するみたいな現象がここ一年ぐらいで学生にもそうでない人にも増えた。で、当たり前だが、その分かる部分というのも断念であることすら忘れられた、誤読である。

一年前か、どこかの広報誌かなんかに載ってた記事で、どこかの家業のおじさんが「おれの考えてることをオードリー・タンも考えていた」とオードリータンの本を読んだ感想として書いてたのがあってすごく面白かった。こういうのは柄谷行人ぐらいしか言わないと思ってたが、これも、その実、現実からの析出の断念であり、部分の一致を自分の側からしか認識していないとこうなる。柄谷は、初期に一生懸命断念をしないように周りから監視されていたからよかったのだ。

漫画家たちは、そんな現実からの析出を諦められない。いっそのこと写しちゃえと言うことで、写真を下敷きに書いているのが例えば、浅野いにおである。彼の『零落』をよんで、こういう析出系である匂いを消して映画にしたい人はいるよなと思ったら、やっぱり映画になってた。主役がウルトラマンのひとであった。

region

2024-11-29 23:05:35 | 思想


花田 昔、『週刊文春』の合併号の時に「こいつだけは許せない」という特集をよく組んでたんだけれど、読者の反応は良かったよ。もちろん、誰を取り上げるかは編集部のみんなといろいろ相談したりはするんだけどね。他の雑誌も真似して、似たような企画をやっていたけれど、つまんないんだよ(笑)。作家の大石静さんから、「花田さんは人気絶頂期から少し落ちてきたころの、叩きがいがある人やタイミングを見極めるのが絶妙」と言われたことがあるけれど、そういうことなのかもしれない。

――「なんか最近、鼻につくよな」というのがわかる嗅覚がある、と。2010年代に『週刊文春』が部数を伸ばしたときに編集長だった新谷学さんは「文春砲」と呼ばれていましたが、花田さんはその元祖ですか。

花田 ぼくは「文春砲」って好きじゃないんですよ。


――梶原麻衣子『「”右翼”雑誌」の舞台裏』


花田と言うてもキヨテルの方ではなく、紀凱の方である。キヨテルのほうは、どこかで、戦時中はマルクス主義の本が古本屋で安く大量にでてから買ったまでだ、ファシストの本が安かったらファシストになってたかも、と言っていた。月刊Hanadaが安いか高いかしらないが、よのなかのプロレタリアートがいかに本を買うかということを、ブルジョア学者と同じように考えてはならぬ。

昭和初期とかの円本は安かったので大衆にも買われたんだという言い方が屡々されるけれども、田舎のプロレタリアートの家では一生懸命働いて買ったものだし家宝なので、例えば子供が嫁に行くとき、第一巻をわたすので形見にせよ、みたいな扱いであったとも聞いたことがある。本は床の間に置いておく家宝であった。そもそも食べ物以外のものを「買う」ことに、それを家宝にする的な感覚が残っていた気がする。

戦後、西田幾多郎全集の発売に殺到したひとがいたという都市傳説があるが、それ自体、ファクトとは違う希望的ななにかである。まだその頃は、哲学に対するよりも、本そのものが善であるみたいな感覚が広く共有されて居たに違いない。おそらく、戦中にでてた転向左翼の本とか京都学派、国粋的なものすべてがごっちゃに購入されていた家庭がかなりあったのかもしれない。そのなかで発酵する何かは、左翼の転向とは違う。インテリの転向は思想の転向かもしれないが、とにかくいろいろエライもんだとおもって摂取してた、みたいなあり方を考えてとかないといけない。そうかんがえると、インテリもそうかもしれない。

それはともかく、いまだったら東京に集まってしまうような頭脳が田舎に残って知的な爪痕を残そうと教育に携わったりしていて、その影響はどこかしらあった。それが今は難しい。日本は鰯の頭よりはやく地方の手足から腐っていっている。よくいわれるけど、ちょっとぐらい勉強が出来ただけで、東京に人が吸い取られる、ほんとの中央集権の恐ろしさを、さいきん我々は知り始めたばかりなのである。

地方創生とか地方を大事に、みたいなのは戦争中も行われてた中央の翼賛統制策にすぎず、大事なのは中央集権制の打破だと思う。これは明らかに思想問題であって、そう考えたほうが解決ははやいのだ。地方への愛、郷土愛を醸成しようとしても、地方の特色こそ全国的に大差ないのだからほんとにやっても認識の実質がついてこない。いまよくいわれている教師不足の問題も根本的な原因はそれで、教師をやれるような頭脳がついに田舎に残らなくなってしまい、方便としてコミュニケーション能力でもやれますみたいなことを言っていたが、ついにその嘘もばれているだけだ。

むろん、地方のインテリの爪痕残そう現象は、よいことばかりではなかった。間違いの多いものも残してしまった。例えば民話の保存とかでも、決定的にまずい改変とかが残ってしまっている。あと、中央インテリに対するコンプレックスが、単に知的なものに対する憎悪になり、それを田舎のこどもに説得的に注入してしまうみたいなことも実際に起こっていた。

こういう問題は地方という空間的外部に起こるだけではない。あらゆるところで、親や先祖やたまたま知った文人の顕彰を勝手に買って出る人間が微妙な仕事をしてやっかいなことになっている場合も多い。地方の学者の役割は、そういうもののオーソライズや検証を外注されて奴隷となることではない。ある意味、上の花田氏のような素直な狷介さが地方の学者には必要であろう。花田氏は、ただ共感してもらいたくて雑誌をつくっているという。顕彰などどうでもよく、ただ共感を求めている。撃たれた安倍氏にもそんなところがあって、――ある種の右派にしかこういう素朴さが残っていないところがこの国の腐り具合を示している。

人たる人嗜むべきはこれぞかし

2024-11-28 23:46:56 | 文学


さる山伏を頼みて、てうぶくすれども、その甲斐なく、我と身を燃やせしが、なほこの事つのりて、歯黒付けたる口に、から竹のやうじ遣ひて祈れども、さらにしるしもなかりき。かへつて、その身に当り、いつとなく口ばしりて、そもそもよりの偽り残らず恥をふるひて申せば、亭主浮名たちて、年月のいたづら一度にあらはれける。人たる人嗜むべきはこれぞかし。


仏壇の掃除でご主人を誘惑して、奥様を離縁に追い込もうとした一代女であるが、上のように呪いまで沢山やらかしておるのであるが、彼女は「人たる人嗜むべきはこれぞかし。」と言っているところがすばらしい。これは倫理的判断ではない。人生の判断なのである。対して、現代人がやらかす判断――例えば、作品の人物に対して道徳的裁断、であるがそれらを下すタイプの人間はきまって現実では倫理的ではなくひどく暴力的である。そこに人生がない。やはり戦前の修身がもたらしたものはこれか、とも推察される。修身教科書はいつも人物伝(評)が重要であった。帝国には人生がなかった。短歌の授業でも言ったが、人生の代わりにリズムで気を晴らすのが我々である。

私は大本教は好きでないが、その祝詞は好きだ。それを聞くのも好きだし、それに現はれた太古の純日本的な思想も好きだ。しかし、この頃ではこの祝詞も湯本館で殆ど聞かない。
 大本教では、湯ケ島が聖地だといふことになつてゐる。


――川端康成「湯ケ島温泉」


人生は、源氏物語の最後、浮舟の帰趨の果てを考えることである。浮舟は自分の人生を選択した、而して大河の解釈は当然、のようなとらえ方はその意味でありうるが、そう簡単でもないと思う。小説はもっともっと複雑に読めるはず。人生よりも、過去と状況との関わりが複雑で、未来が過去に折れ曲がり、主体の性質がいつの間にか他人に移動する。文章のリズムが風景のリズムと化す。

羅生門の結末を「野蛮な情熱」によって宮本顕治君が感動するような話に作りかえなさいと学生にきいたら即答していた。「羅生門」をどう解するかは難しいが、書き換えは簡単だ。そんな「野蛮な情熱」は思ったほどたいしたことはなく、むしろそれ自体容易であり、AIなみである。AIも簡単に羅生門ぐらい書き換える。むしろ、やっかいなのは、下人にも一見AIみたいなところがあるということだ。芥川の作品というのはそういうところがある。やはり人間はAIをつくりたがる。言語能力を伸ばすために作品の続きを創作させるみたいな考え方自体がAI的である。しかも、芥川のやってたことも古典のパロディで、そのAI的側面があるわけだが、芥川にとっては中世の古典のほうがどこかしらAI的にみえていたと思う。

「浮雲」の文三の心理も、自動的なところがある。彼はいわば莞爾病に悩まされていた。しかし、この病は彼が勇気を持たないことと関係がある。

失礼しました、不手際で御迷惑をおかけしました、みたいな謝罪ではないたんなる逃避を許してきたのがいかんわな。AIがいかんとか以前に、人間の悪さにニコニコしてきたのがいけないであろう。

つかみかかるこの根は何?砂利交じりの土から

2024-11-27 23:39:01 | 文学


つかみかかるこの根は何?砂利交じりの土から


――T・S・エリオット「荒地」


時々思い出すエリオットの荒地の一節である。それにしても、我々が思い出すというのはどういうことであろう。我々は、この前よりもあの昔のほうが今のように感じられるので、逆に過去の反省をせずにあの昔みたいなことをするのだ。

あの昔みたいな映画と言えば、三丁目のなんとかとか、ゴジラ引く1とかであろうが、――そもそもわたくし、土日がなかったから疲れてて、演習で、「ゴジラファイナルウォーズ」のゴジラキーパーやプールでの立ち泳ぎについての熱弁しか、今週のおれの価値はなし。あとは、「ゴジラ英霊説とかはゴジラのとっとこハム太郎化である」説もポップフライ並みであるし。「ゴジラ英霊説なんぞ、自衛隊の憲法違反行為に相当する」はよく分からんし。

疲れると、最初に認識したことしかわからない。上のそれなんか、ゴジラを見た大人は与太話にしているレベルである。世の中はこんな洞穴の入り口ではなく、洞窟そのものが問題なのである。その洞窟みたいなそのことについてどう思う?と聞くと、前半のとか前提について「共感」しますみたいな答えがでてくることあるが、これを0点としないで30点ぐらいあげてしまうのが国語科で、それをはっきりやめたほうがいい。SNSで調べたこと自体を自分で認めると、そこで認識したことを肯定するみたいなのはそれに近い。

「天声人語」とは一体どういう種類の文章なのか、学生との演習で考えている。これは案外勉強になる。以上のことぐらいは判明するからである。断じて朝日の読者は良くこんなのに我慢しておるな、と言いたいわけではない。

腑におちる抒情

2024-11-26 23:38:47 | 文学


ここ一ヶ月、現代の歌集を乱読してきたが、小説の場合とちがってすごく腑におちる感じがした。このかんじは現代詩ともちがっていた。すごく腑におちすぎる気がする。小野十三郎のいわゆる短歌的抒情とは、このアクチュアリティに潜んでいる。


転向とオートマティズム

2024-11-25 23:10:13 | 思想


科学理論は実存の再現であるといふ独断も、科学の発達により、科学者自身の間でも信じられなくなつてきた。かういふ反動期から、象徴派詩人たちの仕事を顧みると、それは単なる頑固な孤独な審美的作業とは考へられなくなる。彼らは、あたかもこの反動を最も熱烈に準備してきた

――小林秀雄「詩について」


たしかにそうかもしれないが、文系なのに科学的であるところのマルクス主義者たちなんかは、上の事態に気付くのが遅かった。しかし小林の目に映っていないのは、熱烈ではなく準備する者達である。そのなかにはキリスト者たちの裏切りを反復して、古典的劇をメランコリックに再現しようとする連中までいるのである。彼らも何かを準備していることはたしかなのだ。

そういえば、なんだか、台湾に負けたら投手に転向すると言ってしまった選手が話題であるが、米国に負ける前にマルクス主義者が転向したのと同じで、また再転向するから何の問題もない。大谷ばっかりに注目していると、科学的なものが却って目標曼荼羅みたいなものを呼びよせるのだ、みたいな亜哲学が生じるのであるが、もっと転向を繰り返す愚鈍な人々を見なければいつまで経ってもこのよのなか戦乱である。

昨日、大河ドラマで、紫式部に棄てられた道長が坊主になったらしいのであるが、良く思い出して★い。紫式部と奴が何処で子供をこさえたかを。寺で生を生じさせたんなら、道長は世を捨てたつもりでまた恋の道に舞い戻ったとも言えるのである。出家はやはり転向の一種である。

のみならず、昨日は野球の日本代表か何かが台湾に負けていた。これには既視感がある。大谷を擁する最強日本チームもそういえば中日ドラゴンズだけには負けていた。現在の日本代表の監督はもと中日の選手である。落合監督が中日の監督のときも、たしかはじめて中国かどこかにまけていた。中日がそもそも中国を想起させるみたいな頭が沸いた御仁がネットにはいたが、それはともかく、――もはや、歴史の必然として戦後復興がくるのではなかろうか。

「桜島」が私の処女出版。(なぜ童貞出版といわないのか、男をばかにするな)

――梅崎春生「桜島(気宇広大なあとがき)」


梅崎も、丁寧に処女作に転向(回帰)していった。その「幻化」はすさまじい傑作である。

いまわたくしが注目しているのは、短歌がその転向の反復を阻止する役目をいつもやっているのではないかという仮説である。したがって、わたくしは、――三島由紀夫の作戦に乗って、今週の共通科目の授業で、三島事件もあさま山荘もなにゆえ本人たちは短歌で総括し決着しようとするのか、みたいな話を少しするつもりである。

技術社会の進展が、技術の自己目的によるオートマティックな一人歩きをはじめる傾向に対抗して、国家はこのような自己内部の技術社会のオートマティズムを制御するために、イデオロギーを強化せねばならぬ傾向にある。

――三島由紀夫「反革命宣言」


転向はむしろ、上のオートマティズムに似てるんじゃないかという直観は私でなくてもだれでも持つきがするのだ。三島の萬葉集による楯の会、その短歌を最後とする作家人生、その三島由紀夫の最期が狂気に見えてしまうほど、連合赤軍のそれがなぜかオートマティズムに見えてしまうというそのことについては、むかし少し書いたことがある気がするが、最近短歌の勉強してもう少し分かったこともあった。短歌は都合良くオートマティオックにならない機械であったのである。

しかし――

俵万智の「サラダ記念日」は、当然、「カラダ記念日」とかにパロディにされることを見込んでいただろうし、それを承知でやってしまう筒井康隆もあれであるが、これは連合赤軍とも三島とも違う、オートマティズムだったのではなかろうか。

もはや、五が七より少ない、最後は多い数の連続で始末をつけようといった、ささやかな数の戦略も無効になりそうだ。ほんと現実でもテレビでもネットでもみんなマジョリティとマイノリティの話ばっかりしている。ほんと勧善懲悪とは実は支持者の数の暴力である。それを写実で乗り越えようとした歴史がついに教訓に見えてきた。二葉亭四迷萬歳。

紫式部チンギスハーン説

2024-11-24 23:48:57 | 文学


印象批評とは良識批評であつた。その源はモンテエニュの批評文学にまで遡るモラリストの批評であつた。残念な事には、わが国の所謂印象批評に、さういふ確固たる近代的性格があつたわけではない。

――小林秀雄「文芸批評の行方」


小林的モラリスト批評に対して戯作的な穿ちを有効とみるか、みたいな問題はいまだに問題で、それは批評の業界だけの問題ではない。(問題3回)そして、それは研究の業界でも批評理論で武装したからその問題が終わったわけではない。

わたくしは、上の問題に無縁なものにはいままで興味がなかったが、短歌の授業をやってみて、かえって、それは何かからの逃避であるきがしてきたものだ。それは谷川俊太郎の問題ともかかわっている。わたくしが、断固俊太郎の親父の方を支持するで、とか言っていたのも上記のモラリスト的問題に親父が関わっていたからにすぎない。

そもそも親父の徹三の方が94まで生きているわけで普通に息子の負けなのであるが、息子が最後まで危険な帯域をさける御仁であったのにたいし、天皇崩御のときの徹三氏の文章はある意味一貫していた。『世界』といった雑誌は、そういう一貫した意見がのるために用意されたに違いない。

澁澤 〔稻垣足穗は〕未来とか何とかいっても、結局みんな過去なんですね。時間概念としては仏教的だな。
三島 過去なんですよ。それはお能とぴたり合うんです。お能は、ドラマがみんな終っちゃたところからはじまるでしょう。〔略〕みんな過去なんですからね。


――三島由紀夫・澁澤龍彥「タルホの世界」


わたくしは、それが仏教的かどうかはともかく、ドラマが終わったところから始まるみたいなドラマは、歴史が長いみたいな感覚に言い換えに過ぎない気もするのである。この長さを宇宙の広さにしても同じ事だ。息子の「二十億光年」の詩なんかは、みんな過去であり始まりでもある天皇制的なものである。父は、こんな風には考えなかった気がする。

先週、吉本隆明の「短歌命数論」についての講義の準備をしているときに、やはり吉本は、この時期までは、ほんとに五七調が終わったときのことまで考えていたのだと思う。しかし、歴史は、吉本の方向にも、かれが批判した小野十三郎たち(短歌否定論者)が考えた方向にも行かなかったように思う。

そのエビデンスが息子である。数年前に谷川俊太郎についての授業やったときにも思ったけど、このひとは詩人というより「国民歌謡」の異能者という感じなのだと思う。わたくしは、谷川が人々に読まれすぎて抑圧されてしまったものがすごいと思うのであくまでマイナー詩人の味方をしたいと思っているのだ。しかしそれ以上に、わたくしでさえ、――だいたいいつ頃からかわからんが、童謡的国民歌謡の時代がながく続いていることぐらいは自覚しているのである。JPOPもその一部で、もはや萬葉以前的なところに逝ってしまったんだ「二十億光年の孤独」とか言うてるあいだに。息子の「孤独」が全く孤独ではなかった証拠である。

しかし、現在のように――民主主義はとくにそうなんだろうが、「お前に言われたくない」みたいなことをお互いに思うようになると全く機能しない。ある意味、君主への帝王学みたいなことをすべての人間に行う必要がある。ここにだけ、天皇制が終わってからかえって我が国が優位性をもつポイントがあったような気がする。

さっき、大河ドラマで紫式部が道長をすてて旅に出ていた。どうやら、太宰府で昔の宋の恋人に会い、戦乱に巻き込まれるようである。当時だって紫式部にとっては、摂政関白も天皇もどうでもよかった。しかし、そういう思い切りがよすぎる人が大胆に行動すると、――例えば、どさくさに紛れて中国に渡りチンギス・ハーンになったりすると、やつの才能ならいける、とはいえ、元寇以降の日本はもはや日本ではない。幸か不幸か、わたくしなんかもいないであろう。

わたくしの妄想もまた、過去を弄んでいるだけで、ながい国の歴史に依存している。

校務で出勤

2024-11-23 23:43:08 | 大学


夏が好きという文人が意外に多いのだが、わたくしは木曽にいるときから夏が苦手であった。小学校の頃は毎日プールもあるし、夜の冷え込みで喘息になるからだ。冬も苦手であった。寒すぎて喘息になるからだ。春も秋も遠足やかけっこで喘息になるから苦手であった。いまは喘息の発作はないが、仕事が苦手である。


大和男子の本懐之に過ぐるものなし

2024-11-20 23:09:20 | 思想


皇国は不滅の神州なり、小官突入に当たりては最後の一瞬まで「神州不滅」を絶叫しつゝ醜艦を木つ端微塵に砕かん、あゝ幸ひなるかな我、神州に生を享け、神州に生を捧ぐ、大和男子の本懐之に過ぐるものなし

神州不滅

天皇陛下萬歳


朝日新聞の昭和20年8月15日の記事の中には、特攻隊員の遺書もあった。負けても勝っても同じのようにみえる我々の風土が完璧に表現されている紙面であった。

これに比べると、昨今の朝日新聞はそこまでの緊張感がない。火曜日は、授業で「ゴジラと靖国神社」みたいな「天声人語」の記事を扱った。授業は、ゴジラ靖国加藤典洋大批判に展開。やはり日本のゴジラにかんしてはとっとこハム太郎と一緒に上映するみたいなことが重要だという結論にいたる。

「天声人語」に偏執狂的に注をつけてみるという演習なのであるが、別に反朝日をやろうとしているわけではない。「天声人語」という題名に美事に顕れている構造を問題にしているに過ぎない。以前も朝日新聞を模倣して記事を書いてみる演習をやったことがあるだが、朝日は注釈や突っ込みに向いているだけまだましなのかもしれない。だいたいよのなか論外のものや触れるとやばそうなものほど何もいわれず、そこそこのものこそ炎上しているのである。

最近出来心で『日刊ゲンダイ』を買ってみたが、新聞というのは明治の昔からこんなかんじのものが一番勢いはあるものであって、朝日読売なんちゃらとなってくると本質的に大本営的になるわけである。

平面

2024-11-18 23:49:16 | 文学


五月雨のふり出すより、いとしめやかに、窓よりやぶ雀の飛入り、ともし火むなし。闇となるを幸ひに、この男ひしと取りつき、はや鼻息せはしく、枕ちかく小杉原を取りまはし、我がよわ腰をしとやかに叩きて、「そなた百まで」といふ。 「をかしや、命しらずめ、おのれを九十九まで置くべきか。最前の云分も悪し。 一年立たぬうちに、杖突かせて腮ほそらせて、うき世の隙を明けん」と、昼夜のわかちもなく、たはぶれ掛けて、よわれば、鱧汁・卵・鰹・卵・山の芋を仕掛け、あんのごとく、この男次第にたたまれて、不便や明くる年の卯月の頃、世上の更衣にもかまはず、大布子のかさね着、医者も幾人かはなちて、髭ぼうぼうとながく、耳に手を当て、きみよき女の咄をするをも、うらめしさうに顔をふりける。

昨日の記事で、戸坂潤の、学会じゃなくて世のなかには学界があるんだみたいな文章を引用した。しかし、彼の言っていることは、むろん学者の一途な頑迷さあってのことなのだ。全体が学界じみてくるとそれは失われる。だいたい戸坂だって西田の弟子であって、それぬきで彼はありえなかったわけだ。

しかしこういう逆説の主張は、現実の制度や政治においては、大きな犠牲を出す。原爆で死んだ人間は幸いである、とは言えない。我々はやはり、そういう塞翁が馬式弁証法みたいなことを性急に言うのではなく、Blessed are those who mourn, for they will be comforted.とでも言うべきであろうか。わたしはやはりそういう思いを棄てきれない。ただし、よのなか、戸坂のような革命を夢みることをやめないことも重々承知でいかないと、思い込んだら視野狭窄に極端に陥る様々な人々に対応できない。それがめんどうだからといって、最初から悲しまず、上の一代女のように相手の男を殺してしまわずに、にこにこ友情を暖めれば良いというものではない。そういう平面的な平等化は、そもそも現実的に無理なのである。

身内にいるからいろいろ感じるのだが、官僚制と政治家との関係は一筋縄じゃいかない。普段からいろんな綱引きや駆け引きがある。しかし最近は、馬鹿みたいな評価システムを気にしすぎてるのか、どっちももう少しすっきりしたいという欲望が強いようにみえる。こういうのはたぶんだいたいの職場と一緒で、もっともっと難しい仕事の筈なのに合理化して頭が悪くなって行く。教員も官僚も政治家も人気がなくなり、確かに人不足なんだろうが、――これは長い間、これらの職業を実際よりもものすごく簡単なものとしてイメージしてきた人々のせいだ。で本人たちもそのイメージに侵されている。そこに仕事は全部「労働」だみたいなアレントもびっくりの決定打がきた。もはややる気が罪に昇格した。

職場の平面化は、逆にパワハラを生み出す。安富歩氏がむかし言っていたように、それは連鎖する一部なのだが、心配されていたように、――いろんな人がいろいろな場面で、パワハラについて「がんばっている人を能力や倫理上問題がある人が逆恨みで告発する」みたいなイメージを持つに至ってしまった現実はある。相手を組織上のしかるべき非人間性と見ないからそういう恨み辛みが果てしなく連続して見えてしまうわけである。かくして、人間がそうかんじたらハラスメントみたいな定義をふりまわされる結果となる。そもそも仕事が、仕事の平等な配分の連続性みたいな、チャップリンの工場のあまり違わないイメージから脱却せず、もっともっと判断が難しい合意形成を組織そのものの問題として議論しなかったつけがまわってきたと思う。

同じような平面化は、文学の業界にもある。最近は、文学的みたいなものを観念化し、それをいうやつはみんなナショナリストみたいなことを前提にしているひともいなくはないのだ。そんなの大学生でも高校生でもどこかおかしいなとおもうにちがいない。一部の学者が「むかしは文学を崇めていた時代があって」とか言い始めたときに、かくも×ってるのかと思ったが私も事態をなめておったわ。

宮崎駿は堀田善衛を尊敬してたとどこかで言ってたが、宮崎駿は堀田とは全然資質が違う常軌を逸した人であるからこそ影響をうけてもたいしたことがなかった面があると思うのである。堀田のような平面的で国際的な感じがする作家というのは、普遍的な感じがするが普遍的なだけだという可能性があると思う。戦後、そういう感じに「転向」した文学者も結構いたと思う。ただ、本人たちの現実はもちろんそこまでそういう「感じ」ではない訳で、だからその意味では、「普遍正義に則る奴は全員馬鹿」といっただけでは仕方がない面がある。

かかる平面は、結局、戦時下の平等の結果の延長である側面がある。メディアへの批判的リテラシー教育は、メディアを敵に、自分がみつけたエビデンスに固執するおひとを生産する役割を持ってしまう。こんなことはむかしから言われてた自明の理にすぎない。実際いまの学生はそういう傾向がある。メディアはフェイクだが自分は正しいという対称性が生じてしまうわけである。自分はもっと信頼できないという自明の理をスルーして教育するからそういうことになる。善を信じている教師や知識人が陥りがちな事だ。我が国の戦時下においては、敵国の言っていることは嘘なので、自分の国は、みたいな対称性が明らかに働いていた。最後のあたりは、国内の新聞の論調よりももっともっと純粋にがんばらなきゃみたいな感じもあった訳である。

こういう平面は、多くの教育現場で、多くの批判的タイミングが逃されていることからきているに違いない。生徒や学生に何か物を言うタイミングをまちがえると、言った意味はほとんどなくなる。小学生にいうのと同じである。その経験に裏打ちされた倫理的な反射神経が「面前で怒っちゃだめ」みたいなスローガンで潰された。あとでじっくり言い聞かせてもだめなものはだめなのである。ある者達(この場合は教師たち)への迫害による自己たちの平面的肯定は、否定と肯定が陰陽のようにバランス良く回転する。

蝶がケツから出られない件について

2024-11-17 23:44:25 | 思想


処が最後に本当の学界が残っているのだ。というのは、この現実の社会で学術が支配的影響力を有つ限りの世界が、広義の所謂「学界」――学壇――であることは今更述べるまでもないからである。併しそうなると、前に云った研究室に於ける学者の一種の家庭生活や、書物の貯蔵や学者のメーデーのようなものとは異って、社会的に云って非常に真剣な意味を有って来るのであり学問の本当の根本精神に触れて来るのである。こうなると、もはや本が羨しいとか何とか云ってはいられないので、本があろうとなかろうと、研究すべきものは研究しなければならぬという、社会的必要が支配的になって来るのである。従ってここではこの学界に対する不平とか不満とかいうことは問題でなくなって来るのであって、元来不平や不満は相手に多少とも期待をもち依頼心をもち一種の同類感をもつことから来るのだが、そういう期待依頼心同類感を絶した処には、不平も不満も成り立ち得ない。

――戸坂潤「学界の純粋支持者として」


もっとも、戸坂の言う「学界」でも通常の意味での学会でもいいが、そこで何とか生きてゆくのに忍耐や持続力が必要で、と考えられているのはまずいわな。確かに論文を書き上げる最後はそんなかんじだけれども、いつまでもそういう感じだと、特に学会への道半ばで挫折した人の感情教育としてよろしくない。木曽弁で言えば、ずくがないから研究者にならなかったと言いうるからである。まったくそんなことはない。

戸坂の期待通りに、戦後にはかなり「学界」というものが機能していて、これこそが学会の成立要件だったことも実感された。この半年ぐらいのわたしの思考過程を、松永伍一の『土着の仮面劇』で教えられた。昔の「学界」の人は鋭い。こういうことがないと、国際的な研究という非常にとじた集団が大学と大学のあいだの虚空に成立することになる。まさに霞ヶ関はこういう虚空と非常にシンクロ率が高い。研究そのものではなく、精神的な(というより人格的な)つながりであるから。その証拠に、彼らの研究は、妙なガイストに向かっている。

とおもっていたら、兵庫で知事が再選されたようであった。

だいたい民主主義というのは世の中に逆らっているのか、世の中の姿を写すのか、よくわからない。わたくしは、いつもやはり我々は世の中に喰われていると思うたちだ。したがって、ほっときゃクソか屁になるものを、喰われてから変態して蝶になんかになろうとしてもケツから出られないではないか。

星星を見よ

2024-11-16 23:05:09 | 文学


ある夕暮に、風梢をならし、ばせを葉乱れ物すごき竹縁に、世の移り替るを観じて、独り手枕の夢もまだ見ず、まぼろしに、かしらは黒き筋なく、顔に浪をかさね、手足火箸のごとく、腰もかなはず這出、聞え兼ねつる声の哀れに、「我、この寺にひさしく、住持の母親ぶんになつて、身もさのみにいやしからぬを、態と見ぐるしく持ちなし、長老とは二十年も違へば、物毎恥づかしき事ながら、世を渡る種ばかりに、人しれず夜の契りの浅からず、かずかずの申しかはしもあだになし、かくなればとて、片陰に押しやられて、仏の食のあげたるをあたへ、死にかねる我をうらめしさうなる顔つき、さりとてはむごくおもへど、それはさもなく、うらみの日をつもるは、そなたは我をしられぬ事ながら、住持と枕物語聞く時は、この年、この身になりても、この道をやめがたく、そなたに喰付き、おもひ晴らすべき胸定めて、今宵のうち」といふ事、身にこたへ、とかくは無用の居所ぞと、ここを出てゆく手くだもをかし。

「世間寺大黒」の一節であるが、実際、この老女は優しい。住職と枕を交わしている若い女をすぐさま取り殺しても良いはずなのに口上が長すぎる。思うに、かのじょもまた、「感想文」を書いてしまう非実践的な輩ではなかったであろうか。彼女の意識の中ではもう住職も若い女も殲滅されているかも知れないが、実際はそんなことはない。もっとも、この夢を見た若い女も、こんな夢を見なければ事態に気付かないとは何をやっておるのであるか。これは、大学をレファレンスデスクか何かとおもって業績をつくろうとする人たちに近い。

けっこういろいろな人から聞くが、大学の学者を利用して業績をだそうとする在野の悪人問題もけっこう昔から深刻なのである。むろん逆もあるわけだが、これが倫理的に厳しく糾弾されている割に、書く主体が在野の場合、これは学者のサポートはサービスだと思われている節もあって問題化しにくい。今に始まった話ではなく、地方の(に限らないが)教育学部や文学部が研究者養成でないとおもって学生の学的訓練に手を抜くと、半端なモンスターがでてきてしまう。ずっと問題だったんだが、在野での発信が容易でなかったこともあって勝手に淘汰されていた側面があった。しかしいまはそうでもない。たぶん、研究の「調べ物化」とも関係があるが、主たる原因は、官学連携的な発想の世俗化である。

昨日、坂出の郷土博物館で『香川不抱歌集』を購入した。與謝野寛にかわいがられていたという香川である。わたくしは、歌集というものの、星星を見よ、みたいな体裁が苦手である。

なにかしらず殲滅したし今朝赤いハムエッグも美味い

グミを食べた次の朝日のなかで下痢してました


わたくしの実力はこんなものであって、そのせいにちがいない。

それにしても、論文も、どこかしら最近、「星星を見よ」みたいな体裁になりつつある。国会図書館デジタルコレクションの影響なのか、論文が検索結果の開陳みたいになってきているのである。言葉が同じだからといって意味合いも全然違うわけだし、そもそも言ってることが違うのに、なぜおなじ言葉を使ってるのかという問いにゆきつくことは、実際は簡単なことじゃない。作品を読めないと簡単に見える。星は星のままかがやくように思われるのである。――で、そのどことなくその星星の不安定感を埋めるように、学問の講演化が始まる。

学会にも、愛好家や信者から転向して研究も変わりましたみたいな人がいるけれども、本質的に転向ではないし、実際の處は人に合わせた、のが実態である。これも、なにか、星星に自分を勝手に数え上げている証拠である。牢屋に放り込まれるということがいかに転向にとって本質的だったかということがわかる。牢屋とはこういう場合、作品である。

裏小路のゴミ溜にきて何かあさる痩せ犬の目が人間らしかつた   並木凡平

松澤俊二氏の『プロレタリア短歌』には、上のような短歌がたくさん載っている。牢屋に入っていた人もいる。この本を古本で買ったんだが、前の持ち主が、この短歌に絵文字つきで「ぴえ~ん」と落書きしてあった。こういう反応の方が、星星を見よ、という研究より好きである。