カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

しろ猫的「開花宣言」を発令しま~す♪

2019-03-21 10:01:16 | 日記
 サクラの開花宣言が取りざたされる時期がやって来た。

 古来から日本にある「ヤマザクラ」など、とっくに満開に近くなっているが・・・・。

 自分では勝手に、近くの小学校の「校門脇のソメイヨシノ」と、秋津川河川公園の「橋から5本目の桜」を標本木に指定している。

 
 (小学校校門脇のソメイヨシノ)

 昨日確認に行ったら、ちゃんと開花していた。

 その前日には1輪だけ咲いていただけなので、昨日の陽気で一気に開花が進んだのだろう。

 ちなみに、昨年のブログを見ると今年より冬の寒さが厳しかったが、桜の方は3月17日にはこの校門の桜はとっくに5分咲きくらいになっていて、今年より1週間位は開花は早かったようだ。
ワタシ的益城町開花宣言
 桜の開花宣言なるものが賑やかになってきた。 町の南を流れる秋津川の河川公園にある桜の様子を見に行った。 もう何輪も咲いていて、わたし的「益城町の開花宣言」を発するつもりだ......

 秋津川の河川敷の桜の開花は、校門脇の桜に比べると毎年遅いのは、今年も同じである。

 
 (秋津川河川公園の桜)

 ほぼ毎日様子を見に歩いて来ているが、蕾の膨らみはそれなりに進んではいるもののユックリである。

 
 (私が標本木としている桜)

 取り敢えずこの付近では、毎年一番早く花が開く樹に狙いをつけて標本木に決めた。

 その樹が、県道に架けられた橋の、たもとから数えて5本目なのである。

 開こうと思っている桜の木の意思は伝わってくる。

 あと2~3日待って頂ければ、とも言っているような感じもするが、気温・天候次第で変わるだろう。

 
 (芽吹いた柳)

 柳の芽吹きは例年通りで、この柳の方が桜の開花宣言などよりキッチリしている感じがする。

 何はともあれ、小学校校門の桜の開花をもって、しろ猫的「開花宣言」を厳かに発令せねばなるまい。

 「あくがるる心はさてもやまさくら散りなんのちや身に帰るべき」・・・西行

 げに恐ろしき日本人のDNA・・・ですか。

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お彼岸の墓参り

2019-03-20 13:19:15 | おでかけ
 「暑さ寒さも彼岸まで」などと昔の人が言うとおり、彼岸の中日を明日に控えて21度のポカポカ陽気。

 朝から田舎の先祖の墓にお参りに行った。

 

 お墓のサクラは子供の頃は早く咲いていた記憶があるが、今日のところソメイヨシノ系統なのだろうかまだ咲いていなかった。

 回りを見回すと2本くらい咲いているのが見えた。

 いずれも昔から見慣れているヤマザクラである。

 

 私がヤマザクラが好きなのは、きっと子供の時から見慣れていて、サクラと言えば直ぐお墓のヤマザクラをイメージしながら育ったからかも知れない。

 静かなお墓にウグイスの鳴き声が響いていた。

 今の時期のウグイスにしては、鳴き方が上手で、ご丁寧に谷渡りの節までつけて鳴いてみせてくれる。

 お墓にはもう一組の老夫婦がお墓の手入れなどをしておられたが、サクラを撮すため近寄ると向こうの方から近づいてきて、お互いに名乗りあうはめになった。

 で、驚いたことに先方は同級生の兄さんで、私の小・中学生の頃の事までかなり承知されている様子だった。

 その同級生は兄弟が多く、下から二番目くらいだったが今日お会いした方との間にはまだ2~3人くらい兄弟がいたと記憶する。

 私と同じように故郷から少し離れた町に居を構えておられ、とても元気そうだった。

 ある意味ご先祖が引き合わせてくれたということになる。

 こうした感慨に浸るのも、私も年寄りの領域に入ったということなのだろう。

 

 庭のニワウメも満開を過ぎて散り始めた。

 花は咲いたらやがて散っていく。

 人もまた同じだ。

 ただ、順不同はよろしくない。

 番狂わせは大相撲だけにしてもらって、人の死は順番を遵守して欲しい。

 「年の順ならば納得する葬儀」・・・しろ猫

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「草枕」の里を訪ねて(3)

2019-03-19 11:07:38 | おでかけ
 「草枕の里」の探訪の目的の最後は温泉に入ること。

 その前に彼方こちら歩き回ったので腹が減って相方がギブアップ。

 とにかくエネルギー効率に問題があり、燃費が悪い事おびただしい。

 
 (草枕温泉てんすい)

 温泉施設にはちゃんと地域の特産品などが並んだ売店だの、レストランだのも併設されている。

 サクラ御膳などというメニューが、季節的に人気のようで作る方も運ぶ方も走り回っていた。

 注文取りも、オーダーする方も我慢比べがしばらく続いた。

 やっと現れたお膳に、腹減った~ァと言いながら食べて、次の台詞は食べ過ぎた~ァ、で終わった。

 
 (風呂からの眺め)

 まさか風呂の中で写真を写すことも出来ないので、外で撮したものを流用。

 100%天然かけ流しで、洗い場からかけ湯まで全て温泉水を使用。

 西側の壁はすべてガラス張りなので、露天風呂に行かなくとも外の景色は全て見える。

 直ぐ横の出口から露天風呂に出ることが出来て、露天風呂専用の洗い場もすぐ目の前に見える。

 多分有明海に夕日が沈む頃は、最高の夕日ショーになる筈だ。

 
 (パンフレットから)

 このショットが良いのですよ、などと言っても風呂にカメラを持ち込むのは御法度。

 頭の中にシーンを焼き付けて思い出として保存するのがルールだろう。

 風呂の中にも響いてくる太鼓の旋律に誘われて、風呂を上がった。 

 
 (和太鼓の演奏)

 太鼓も体力勝負、若い人でないとこの激しいバチさばきは無理だ。

 太鼓を叩くという動作が結構ハードで、腕っ節も腹筋も鍛え上げられている。 

 直ぐ横で販売されているソフトクリームを買った。

 毎週木曜日は「バニラの日」とか書いてあって安いのだという。

 「さくら」というピンクのやつを買って、椅子に座って食べていると皆がこちらの方に視線を向けるのに気がついた。

 椅子に座ったまま後ろを振り返ると、造り物の馬に乗った花嫁姿の絵の顔が切り抜かれものが乗っている。

 馬を引く馬子も顔抜きで、写真撮影用のボードの前だったのだ。

 観光地などに行くと、よく見かけるボードから顔だけ出して写るあれである。

 ただここのボードは花嫁は馬に乗っているので、後ろから脚立に昇っていくようになっていて足元用心の注意書きが添えられていた。

 各地でこの手のボードは見かけるが、写ってみる勇気はない。

 腹一杯になって風呂で温まって、居眠りをこいている相方を乗せて湯冷めせぬうちにと帰路を急いだ。

 「落日が天動説のように落ち」・・・しろ猫

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「草枕」の里を訪ねて(2)

2019-03-18 11:08:00 | おでかけ
 玉名市小天温泉を訪ねたのはサクラの他に漱石の小説「草枕」の里だから。

 「草枕」は第五高等学校教授として熊本に赴任中に、大晦日に同僚と小天温泉を訪れ滞在した数日間の出来事をもとに書き上げたと言われている。

 
 (前田家別邸)

 当時の熊本の名士「前田案山子」が趣向を凝らして建てた別邸が作品の舞台となっている。

 現存しているのは離れと風呂場だけであるが、近年母屋などの一部が復元されている。

 「那古井の宿」として描かれたのがこの前田家別邸。

 なるほど高低差のある地形や、建物の配置などを見ると複雑に回廊で結ばれていたことがわかる。

 小説の一節「宿へ着いたのは夜の八時頃・・。何だか回廊のような所をしきりに引き回されて、仕舞いに六畳ほどの小さな座敷に入れられた」と続いている。

 
 (現存する離れの六畳間)

 ここから物語は、この宿の若い女「那美」とのからみで佳境に入っていく。

 小説では画工が風呂に入っていると、那美さんとおぼしき女性が入ってきて云々とあるが、本当に次女が誰もいないと思って入ってきたものらしい。

 風呂は男湯の方に温泉の沸き出し口があって、深夜誰もいない時間帯に仕事を終えた次女が、熱い男湯の方に入って来て実際に漱石と鉢合わせになったという。

 
 (半地下式の風呂)

 画工は石段を下りて半地下の風呂に入る場面があるが、確かに石段はそこにあった。

 小説の場面を重ねながら、施設内をうろうろすると確かに面白い。

 当時から有ったのか無かったのかは知らないが離れの方向からの出口に向かうと句碑が建っていた。

 
 (漱石の句碑)

 「かんてらや師走の宿に寝つかれず」とある。

 風呂で女性と鉢合わせになって興奮して寝つけなかったのを、「かんてら」のせいにしたのかも知れない。

 漱石が熊本にいたのはロンドン留学の前だから三十代前半で若かったし・・・。

 てな事を、勝手に想像しながら離れの脇を通り、裏口に抜けて振り返ると若かりし頃の漱石の姿があった。

 
 (若かりし頃の漱石)

 小天温泉を訪ねた頃は、千円札の漱石とは違って、峠道を歩いて越えても平気な若さがあったのだ。

 小説の他に沢山の句も残している。

 子規と親しくし、小説も高浜虚子のホトトギスの紙上で発表しているので、俳人との付き合いは長い。

 五校に赴任中に九州を旅してあちこちで作句しているが、熊本だけでも相当な数になり彼方こちらに句碑があるらしい。

 
 (漱石の句碑)

 個人的には「秋はふみ吾は天下の志」という句と「すみれ程な小さき人に生まれたし」という両極端な句が好きである。

 熊本在住中に詠んだ句は、俳人の坪内稔典氏が熊本日々新聞紙上に「漱石くまもとの句」として連載していた。

 2013.4.1の始めの句は「永き日やあくびうつして分かれ行く」で、2014.3.31最後の357句目は「海棠の精が出てくる月夜かな」で連載は締められている。

 新聞の連載句はすべて、毎日切り抜いてノートに貼り付けていたものを今も持っている。

 勝手に漱石ファンを名乗っている所以である。

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草枕の里を訪ねて(1)

2019-03-17 20:37:54 | おでかけ
 例によって新聞に紹介された場所に出かけることになった。

 今回の場所は玉名市の天水町で小天温泉や蜜柑で有名な所で「草枕の里」などと呼ばれている。

 新聞は「実山(げんやま)」という眺望の開けた里山の頂上付近にある公園で、サクラが満開だと報じていた。

 さっそく出かけることにした。

 目的は、サクラを見ること、漱石ゆかりの地を訪ねること、そして小天温泉に入ること。

 
 (満開のケイオウ桜)

 この「実山(げんやま)」は読み方が覚えづらい。

 現実という言葉もあるから、それはそれで結構ではあるのだが・・・。

 緋寒桜と何かを掛け合わせて出来た品種らしいが、花びらは小振りだが花弁の数は多い。

 根元から何本も幹が出ているのが特徴である。

 展望所からは眼下に蜜柑畑・玉名の平野そして有明海が一望できる。

 
 (有明海方向)

 霞んで見えないが、島原の雲仙岳は有明海を挟んで正面に見える筈だし、天草の湯島(猫島)も見えるのだとか。

 
 (蜜柑と菜の花)

 漱石も「温泉の山や蜜柑の山の南側」や、「天草の後ろに寒き入り日かな」とか、「降りやんで蜜柑まだらに雪の舟」などと詠んでいる。

 漱石が訪れたのは寒い時期だったのだ。

 サクラの開花宣言といえば、ソメイヨシノが基準になっているが、それ以外ならもうとっくに咲いている。

 
 (山桜)
 
 (河津桜に似たサクラ?)

 私は山桜が好きである。

 人の手を煩わさず自然に野山に咲いていて、あまり人騒がせなサクラではないところがいい。

 少し色の付いた若葉とのバランスもよくて、むしろ葉があることでより清々しい感じがする。

 自然に日本の野山に生き続けているこの「山桜」こそ開花宣言に相応しい花だと思うが・・。

 人の手を借りなければ子孫を残すことも出来ない人工品種のソメイヨシノばかりがもて囃されるのも如何なものか。

 昨日益城の秋津川の河川敷のソメイヨシノを見に行ったが、かなり蕾が開きかけていた。

 例年近所の小学校の校門の横にある大きな桜の樹が開花が早いので明日にでも覗いてみよう。

 さて、結構な花見の後は「草枕の里」をぐるりと廻って、漱石と温泉を訪ねたいがそれは又明日のこころだァ。

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残り蝶昨日の風を追って舞う

2019-03-16 10:00:30 | 日常あれこれ
 川柳の吟社の仲間で、川柳画を趣味として楽しんでいる人がいる。

 川柳は自作よりもむしろ仲間内の作品を題材に絵葉書を作成して、それを仲間内に贈るのを楽しんでおられる。

 先日は私の句が葉書になって送られて来た。

 
 
 「残り蝶昨日の風を追って舞う」という川柳マガジンへ投句したものだった。

 自分でもちょっと気に入っていた句だったので掲載されて喜んだのだが、絵葉書にして貰ったのも嬉しかった。

 定年退職をした年に「退屈をしない程度に生きてみる」という句が新聞に掲載され喜んだことがあるが、悠々とまではいかなくとも、あくせくでも、それを自適として人生を送りたいと願ったものだった。

 残り蝶の句は、あれから何年か経って多少心身に負担感が漂う中、成り行きに任せざるを得ない現在の自が身を詠んだものだった。

 昨夜は凄まじい春雷が轟き、私としては気合いを入れられているような気分にさせられた。

 幾つかのやるべき事項が3月中旬から4月上旬にかけて集中している。

 同窓会など対外的な絡みから周到に準備すべきものと、自分の裁量で何とかなるものの時期的な混在を仕分けしたい。

 かくて、少しは残っている体力気力という昨日までの風に身を委ねて、この春を舞いきることが出来ればと願っている。

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公園のひととき

2019-03-15 09:20:14 | 日常あれこれ
 散歩中の公園で、ふと脚をとめて見入る光景というのがしばしばある。

 沢山の親子連れなどで賑わっている一角に、木から木に帯状のロープを張ってあって、何だろうと暫く眺めていたら、小学生の男の子がヒョイとロープに飛び乗った。

 
 (ロープの妙技?)

 上下に揺すりながらロープの上でジャンプしたり、方向や態勢を変えたりと自由に演技をしている。

 トランポリンのロープ版といったところ。

 こうした運動の同好会というか団体もあるようで、なにやら旗まで準備して張ってあった。

 大人の指導者らしい人はいたが、ただ見ているだけで子供達は勝手に交代しながら遊びのように技を繰り出している。

 立ち止まって見物しているのは私くらいのもので、回りはそれぞれノンビリと寛いだり子供達は走り回ったり・・。

 それがまた、ダイナミックな技との間に微妙なギャップというか空気感を生んでいて面白かった。

 しばらく歩くと、猫が姿勢を正していた。

 
 (猫の正座)

 カメラを向けるといきなりゴロニャンの態勢に移行した。

 
 (ゴロニャン)

 多分野良猫というか地域猫というか、毛並みも栄養状態もよろしいようである。

 地域で生きていくうえの、ノウハウも親から躾けられているようでそつがない。

 犬は尻尾を振れ、猫はゴロニャンの姿勢を取れがその筋の鉄則なのだろう。

 気配を感じて視線を上方に移すと、そこにも猫が居た。

 
 
 大きな木の地上3mくらいの場所で休憩中の猫が居た。

 普通は気づかない位置なのだが、地上の方で別の猫が演技をして見せるのでつい立ち止まって見ているうちに直ぐ上の猫に気づいてしまうという構成になっている。

 休みの日の公園は、人も動物も演技をしたり寝っ転がったりとそれぞれの一時をエンジョイしているのだ。

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3月中旬の庭の花

2019-03-14 10:45:42 | 日常あれこれ
 庭梅の花が1輪咲いて、それから10日ほど経っも後続が咲かず、最初の1輪は相当のフライングだったことが判った。

 ところが昨日から咲き始め、なかなかの風情を醸し出し始めた。

 
 (庭梅の開花)

 家の南側に位置し、恵まれた環境に鎮座している、期待の星なのだが、まだ実がならない。

 サクラに似た花びらだが、満開近くなると花の数が多いので昨日の江津湖のユキヤナギ状態になる。

 そうなる以前の、1~2部咲きの今の方が風情的にはよろしい、と、これは私の勝手な思い込み。

 
 (ボケの花)

 家の西側に位置し、やや放置状態だが年に一度だけ花をちょっこと咲かせて存在を主張する。

 小さな鉢にもう十年以上も縮こまっているのだが・・・。

 
 (椿の花)

 家の北側のほとんど光の当たらない恵まれない環境にあるので、気が向いたら花を咲かせるといった状態。

 5~6鉢が裏のブロック塀沿いに並んでいて、植木鉢は半分土に埋められた状態である。

 岡山の親戚から頂いたものだが、夏場に鉢が暖かくなるのが最も悪いそうで、この方法がよろしいとアドバイスを受けた。

 花にも裏年と当たり年があるのかどうかは知らないが、今年は数鉢に蕾が見える。

 一鉢ごと種類が違うので、まったく違った花が違った時期に咲く。

 
 (ヒヤシンス)

 花壇に地植えのヒヤシンスは、これまた放置されたまま律儀に毎年花を咲かせる。

 いま満開の状態なので、久しぶりに花が終わったら堆肥でも回りに施してみようと思っている。

 回りの雑草が喜んで肥料を横取りしそうな雰囲気の漂う一角で頑張っている。

 かくて、本格的な春がそこに来ていることを知らせてくれる先駆けの花達が開花を見せた。

 ボケの花を見ながら、ボ~ッと生きているのも悪い事じゃない。

 「謎解きのような句に会う春句会」・・・しろ猫

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春の江津湖は花盛り

2019-03-13 20:49:28 | おでかけ
 先日は久々に相方を連れ出して江津湖周辺を歩いた。

 冬は寒い、夏は暑い、野球のシーズンともなるとテレビでいそがしい、などと相方は歩かない理由が多すぎる。

 私も以前は毎日歩いていたが、だんだんと相方並みに言い訳が多くなって週に3回以上(基準)などと妙な目標を定めたものの、その実行は怪しいものになってきつつある。

 天気は良かったし、ぐるりと廻ってみると春の花々もよく咲いていた。

 
 (スミレ)

 すみれ・たんぽぽ・までは確認出来たので、レンゲ草が咲けば春の三点セットが揃うことになる。

 
 (ユキヤナギ)
 
 (ハクモクレン)
 
 (菜の花畑)
 
 (???)
 キキョウに似た花で、ツルニチニチソウにも似ているし、でも、判らない??

 
 (遊歩道沿いの花壇)

 菜の花だの、何だのかんだのといった花々が、何の脈絡もなく(のように見えた)植えてあって、ことごとく花が咲いていた。

 花を見ながら歩いただけで、なんと歩数計は10000歩を越えていた。

 江津湖おそるべし、今度から歩くテーマを決めて相方を引っ張り出すことにしよう。

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芭蕉林と虚子の句碑

2019-03-12 09:36:46 | おでかけ
 新聞記事を当てにして、江津湖の芭蕉園にツクシを探しに行き、結果的に日頃芭蕉林の中を歩いたことがなかったことに気づいた。

 いつも水辺沿いの道を歩くばかりで、林の中まで入る事はなかったのだ。

 
 (芭蕉林)

 普通の地面に芭蕉は生えているのだが、全体の半分くらいの面積が流れる水の中に茂っている。

 まるで芭蕉の水耕栽培のようだ。

 芭蕉がこんなにも親水性のある植物とは知らなかった。

 水の近くならまだしも、水の中というのは驚いた。

 近くに高浜虚子の句碑が建っている。

 
 (虚子の句碑)

 句を読もうと正面に廻ったら、下五の芭蕉林と虚子と彫ってある部分以外はほとんど読めなかった。

 句碑の古さと達筆の合わせ技で、ただう~んとうなるだけだった。

 ただ芭蕉林という部分は分かるので、虚子もこの芭蕉林の中を歩いたのだろう。

 付近にはこの句碑の建立者某と書の某という名前がハッキリ読める字で彫った石碑が建っていた。

 句碑の前には池があって、小魚を狙って鳥たちがじっと佇んでいた。

 
 

 すぐ横を流れる川では、大小様々の魚が泳いでいた。

 綺麗なハヤなどが泳いでいたが、その中で一際大きい鯉と思われる魚を写しながらよくよく見るとどうやら鯉ではなさそうだ。

 世の中で草木と魚ほど種類の多いものはない。

 なんだか分けの判らない事だらけで、句碑ぐらい解明しようと家に帰ってから調べたら「縦横に水の流れや芭蕉林」という虚子の句があった。

 虚子もここを訪れたとき、水の流れの中に林立する芭蕉を見てちょっと心を動かされたのだ。

 芭蕉林の中を流れる水を撮しながら感じたことは、まんざら虚子の句と無縁ではなかった。

 「切り取って箱庭にする大自然」

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