人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ワン・アンド・オンリーの道

2014-10-16 20:14:06 | 求道、探究
非二元の道ではおそらく知らぬ人は居ないであろう覚者にラマナ・マハルシという人がいました。
彼はもう半世紀以上前にこの世を去っていますが、まだ欧米では東洋の精神世界がさほど知られていない時代に、直接的な真我実現の道を説いた
実にワン・アンド・オンリーな存在でした。
その真我実現の方法でよく知られているのが「私は誰か?」とひたすらたずねて行くという、探究の道です。
私は実際に教示を受けたことなど無いのですが、やろうとしたことはあります。
しかし、根気が無いというか、続きませんでした。
多分やり続けることに依り、やがて対象が消え、純粋意識に導かれるのでしょう。
素人考えですけど、これには「やり続けよう」という意志的アプローチが必要かと思われます。
ラマナはこれとは別に真我実現に導くものとして、「明け渡し」という事を重視していました。
全託、おまかせ、です。
「全託って難しい」と言ってる人もいますが、そりゃあ、そうでしょう。
やって出来る人などおそらく居ませんよ!
これはこちら側の意志的ハタラキかけとは違って、明け渡せてくれるサムシングの存在が大前提となるはずです。
もし、何らかのアプローチを見出すとすれば、「祈り」的な何かでしょう。
非二元の道ではともすると、そうした自分以外の神を対象として帰依して行く道を「二元的」と決めつける傾向があるようです。
キリスト教とか聖書に基づく宗教はそのようなものだとか…
そうした宗教で必ずしも対象的に神を捉えているとは限りません。
マイスター・エックハルトとか神秘主義などと言われているのがそれです。
ここでは詳しく触れませんが…
一方では一神教を説く宗教からは神人一体などは異端だとか…おなじみの文句は繰り返されてます。
随分我々は又、東洋=一元、西洋=二元といった短絡的な区分けにも慣らされてきた感が有ります。
しかし、紋切型のそういう類のお話はおそらく、机の上で語ってるしか意味はないでしょうね。
今どの道を歩んでいようと、遅かれ早かれ「明け渡し」に導かれるはずなのです。
現実に何であれ実在に向かわんとする者にとって、
問題は一元だとか、二元だとかでは無い!
東洋だとか、西洋だとかでは無い!
結局は一人一人の問題に帰結せざるを得ないでしょう。
それがワン・アンド・オンリーの道です。

コメント
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