「貴方は一体何教なのですか?」
と宗教について話している時など、時折こう聞かれたことがあります。
このブログを読まれた方もそう聞きたくなられるかも分かりません。
まあ「何教でもありません」と答えるのが一番無難でしょう…。
大学生の頃2年ばかし、ある新宗教に入信したことがあります。
本当の意味で特定の教団に依りかかっていたのはこの時だけだったと思います。
半分くらいは洗脳されていたのかも分かりません。
後の半分くらい、それは内心と言ってもいいかも知れませんが、その信者でいる事が苦痛で仕方ありませんでした。
何か教団の教え、決まりなどに雁字搦めにされて、精神の牢獄に入れられている様でした。
私にはこの2年間の経験が、その後の歩みに大きな影を落としたと言ってもいいと思います。
宗教の怖さ、愚かさといったものを知ったからです。
その教団をやめてすぐ,「やめた事でバチが当たるんじゃないか?」という不安を抱えながらも、喩えようのない解放感で心躍らせたことなど、
今でもハッキリ覚えています。
借り物の教えに過ぎないものなんかに心を支配されるなんて、そんな精神的不健全な思いはもう沢山!…
私の本当の精神的探究?はそこから始まりました。
宗教にはある意味懲りたのですが、何人かの宗教家から影響を受けたのも事実です。
そのような縁を受けたことはずっと感謝しています。
ただ、そうした縁からの交流を通して、冒頭のように私の不定見ともとられるような有り様に対し「?」に思われたことも有ります。
「この人はクリスチャンだと思っていたら、節操なく他宗教の事なんか話し出したりして、信頼して損した…」
「彼は根なし草のように漂ってるだけなんだ…」
「コイツの頭ン中にゃ一体どんな神サマがお在しますんだ…」
まあ、好きに言わしておけばいいのです。
私の信仰表明?からは、特定の宗教にしか通用しない言葉は出て来ません。
世の宗教にはそんな言葉で溢れているから…その教団特有の教義、特有の修行法…。
何故ならば、私の導師からはそのような事は何一つ伝えられたことがないから…
「あたかも神の国が訪れたかのように伝えなさい」というのが沈黙の声の促しです。
私の信仰表明には、特定の本尊もありません。
私の導師は姿、形も無くどんな相対も超えているから…
この教えには生まれる以前から入信していて、世の宗教の様に任意に改宗したり、離教する事は出来ません。
この教えの門は一端開かれたが最後、閉ざされることは無いのです。
どうやったら信者になれるかですって?
さあ、そいつは貴方の導師に聞いてくださいな…
信者は今のところ私しか居ないようです。
しかし、もし何時かこの世に神の国が実現したら、
全人類に及ぶかも分かりません…。
と宗教について話している時など、時折こう聞かれたことがあります。
このブログを読まれた方もそう聞きたくなられるかも分かりません。
まあ「何教でもありません」と答えるのが一番無難でしょう…。
大学生の頃2年ばかし、ある新宗教に入信したことがあります。
本当の意味で特定の教団に依りかかっていたのはこの時だけだったと思います。
半分くらいは洗脳されていたのかも分かりません。
後の半分くらい、それは内心と言ってもいいかも知れませんが、その信者でいる事が苦痛で仕方ありませんでした。
何か教団の教え、決まりなどに雁字搦めにされて、精神の牢獄に入れられている様でした。
私にはこの2年間の経験が、その後の歩みに大きな影を落としたと言ってもいいと思います。
宗教の怖さ、愚かさといったものを知ったからです。
その教団をやめてすぐ,「やめた事でバチが当たるんじゃないか?」という不安を抱えながらも、喩えようのない解放感で心躍らせたことなど、
今でもハッキリ覚えています。
借り物の教えに過ぎないものなんかに心を支配されるなんて、そんな精神的不健全な思いはもう沢山!…
私の本当の精神的探究?はそこから始まりました。
宗教にはある意味懲りたのですが、何人かの宗教家から影響を受けたのも事実です。
そのような縁を受けたことはずっと感謝しています。
ただ、そうした縁からの交流を通して、冒頭のように私の不定見ともとられるような有り様に対し「?」に思われたことも有ります。
「この人はクリスチャンだと思っていたら、節操なく他宗教の事なんか話し出したりして、信頼して損した…」
「彼は根なし草のように漂ってるだけなんだ…」
「コイツの頭ン中にゃ一体どんな神サマがお在しますんだ…」
まあ、好きに言わしておけばいいのです。
私の信仰表明?からは、特定の宗教にしか通用しない言葉は出て来ません。
世の宗教にはそんな言葉で溢れているから…その教団特有の教義、特有の修行法…。
何故ならば、私の導師からはそのような事は何一つ伝えられたことがないから…
「あたかも神の国が訪れたかのように伝えなさい」というのが沈黙の声の促しです。
私の信仰表明には、特定の本尊もありません。
私の導師は姿、形も無くどんな相対も超えているから…
この教えには生まれる以前から入信していて、世の宗教の様に任意に改宗したり、離教する事は出来ません。
この教えの門は一端開かれたが最後、閉ざされることは無いのです。
どうやったら信者になれるかですって?
さあ、そいつは貴方の導師に聞いてくださいな…
信者は今のところ私しか居ないようです。
しかし、もし何時かこの世に神の国が実現したら、
全人類に及ぶかも分かりません…。