以前、私には導師というか、特定の師というものは存在せず、私の精神的歩みは”見えざる導師”に依っている、という旨のことを書いた事が有ります。
だが、観方を変えればあらゆる人が師だったとも言えるのです。反面教師のような存在も含めて…
(私はかつてある人に「僕の精神的歩みは誰に依るのでも無い、独学なのだよ!」などと、罰当たりにもウソぶいた事が有りましたが、もう、そういう事は口が裂けても言えないのです!)
その中で五井先生、小池先生、M師、M女史といった方たちとは、彼らが中心となった教団なりグループに定期的に集会に参じるなど、具体的な関わりを持っていたのです。
とは言え、その関わり具合たるや実に中途半端なものだったと言わざるを得ません。
周囲の関係者もさぞや”我々の中にヘンなヤツが紛れ込んでいる…”と思ったに違いありません(笑)
有体に言って、私にはそれらの集まりというのは、ある面であまり居心地のいい場所では無かったのです。
その集まりの中でその教師や教えに関し、無批判な追従的言辞、絶対視する向きに接した時、居たたまれない嫌悪感を覚えたものです。
その理由は今までに沢山書いているのであまり触れませんが、私は彼らの言う”我々の一員”と感じたことはほとんど無かったのです!
他の人は知らないが、私は所謂信者、OO先生を信奉する人間を標榜することも、自覚することも(深く共鳴するということとは全く違うことです)無かったのです。
熱心な信者にしてみれば、そういうイイカゲンな姿勢しかとらない私が、その教師のことを色々書いたりしているのは、おこがましいことに映るかも知れません。
私はただ何処までも定見となるものを遠ざけ、それらから自由でいたかったのです。
これが信従的有り様と不協和音を奏でていた訳ですが、ある人はこういう私の在り方に対し批判的に「君は傍観者だ!」と言い放った事が有ります。
私もそれで”僕はこんな不徹底な事でいいのか?”と煩悶したことも有りましたが、生理的に受け付けないものがあるのだから仕方ありません。
ある人は遠まわしながら「君が信じてやまないものは先生でも教えでも無く、自分のエゴなのだろう…」と言いました。
おそらくその通りでしょう…私はいつもエゴという安全な隠れ蓑をキープしていて、その宗門に身を預けようとしなかったに違いありません。
だが、これらの人たちは、どんな教師、教えも介さずに、自己を超えたもの…あるいはドエライ悪魔に委ねて、境界線を踏み越えてしまった舞台裏は多分知らないでしょう。ここで書かしてもらっている私の中の活火山的なものは誰にも(おそらくM女史以外には)知られていなかったのです。
今の私にハッキリ感じられるのは、そうした契機に巡り合えたのは、特定の宗教的教えから自由だったからだったという事です。
これが私のエゴを、あるいは別のものを映し出しているのか、求道の当初からの我が”見えざる導師”の師風?なのです!
(そしてその声なき音信から”私の時”というものを知らされていたのです)
だが、一方で私は敬愛の念を込めて”見える導師”についても書かせてもらっています。
それは彼らの存在抜きにその契機も無かった、というのも紛れも無い事実だったからです!
それも相対性に陥ることの無い、それはもう安全かつ狡猾なガイド?によって…です。
私はこれら教師についてその熱心な信者とは全く違う視点で書くことが出来ます。
思い浮かべるだけで涙がこみ上げて来そうなほど、敬愛の念は拭い去れませんが、固着したある”像”への拝跪からは自由だったのです。
私はしばしばあの普遍的光の中でこれらの教師方を観ている感を覚えます。
あたかもキラキラ輝く星々があって、それぞれ独特の輝きを放っていながら、そこに一つのユニヴァース(宇宙、普遍)を映し出しているような…
そしてこの地上での彼らとの出会いには見えざる導きというものがありました。
そこには、見える世界と見えない世界の光の架け橋が有るのです…。
だが、観方を変えればあらゆる人が師だったとも言えるのです。反面教師のような存在も含めて…
(私はかつてある人に「僕の精神的歩みは誰に依るのでも無い、独学なのだよ!」などと、罰当たりにもウソぶいた事が有りましたが、もう、そういう事は口が裂けても言えないのです!)
その中で五井先生、小池先生、M師、M女史といった方たちとは、彼らが中心となった教団なりグループに定期的に集会に参じるなど、具体的な関わりを持っていたのです。
とは言え、その関わり具合たるや実に中途半端なものだったと言わざるを得ません。
周囲の関係者もさぞや”我々の中にヘンなヤツが紛れ込んでいる…”と思ったに違いありません(笑)
有体に言って、私にはそれらの集まりというのは、ある面であまり居心地のいい場所では無かったのです。
その集まりの中でその教師や教えに関し、無批判な追従的言辞、絶対視する向きに接した時、居たたまれない嫌悪感を覚えたものです。
その理由は今までに沢山書いているのであまり触れませんが、私は彼らの言う”我々の一員”と感じたことはほとんど無かったのです!
他の人は知らないが、私は所謂信者、OO先生を信奉する人間を標榜することも、自覚することも(深く共鳴するということとは全く違うことです)無かったのです。
熱心な信者にしてみれば、そういうイイカゲンな姿勢しかとらない私が、その教師のことを色々書いたりしているのは、おこがましいことに映るかも知れません。
私はただ何処までも定見となるものを遠ざけ、それらから自由でいたかったのです。
これが信従的有り様と不協和音を奏でていた訳ですが、ある人はこういう私の在り方に対し批判的に「君は傍観者だ!」と言い放った事が有ります。
私もそれで”僕はこんな不徹底な事でいいのか?”と煩悶したことも有りましたが、生理的に受け付けないものがあるのだから仕方ありません。
ある人は遠まわしながら「君が信じてやまないものは先生でも教えでも無く、自分のエゴなのだろう…」と言いました。
おそらくその通りでしょう…私はいつもエゴという安全な隠れ蓑をキープしていて、その宗門に身を預けようとしなかったに違いありません。
だが、これらの人たちは、どんな教師、教えも介さずに、自己を超えたもの…あるいはドエライ悪魔に委ねて、境界線を踏み越えてしまった舞台裏は多分知らないでしょう。ここで書かしてもらっている私の中の活火山的なものは誰にも(おそらくM女史以外には)知られていなかったのです。
今の私にハッキリ感じられるのは、そうした契機に巡り合えたのは、特定の宗教的教えから自由だったからだったという事です。
これが私のエゴを、あるいは別のものを映し出しているのか、求道の当初からの我が”見えざる導師”の師風?なのです!
(そしてその声なき音信から”私の時”というものを知らされていたのです)
だが、一方で私は敬愛の念を込めて”見える導師”についても書かせてもらっています。
それは彼らの存在抜きにその契機も無かった、というのも紛れも無い事実だったからです!
それも相対性に陥ることの無い、それはもう安全かつ狡猾なガイド?によって…です。
私はこれら教師についてその熱心な信者とは全く違う視点で書くことが出来ます。
思い浮かべるだけで涙がこみ上げて来そうなほど、敬愛の念は拭い去れませんが、固着したある”像”への拝跪からは自由だったのです。
私はしばしばあの普遍的光の中でこれらの教師方を観ている感を覚えます。
あたかもキラキラ輝く星々があって、それぞれ独特の輝きを放っていながら、そこに一つのユニヴァース(宇宙、普遍)を映し出しているような…
そしてこの地上での彼らとの出会いには見えざる導きというものがありました。
そこには、見える世界と見えない世界の光の架け橋が有るのです…。