人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

歌を忘れた日本人

2020-03-03 11:57:00 | 映画・音楽など
先月、会社の研修の二次会で、余興でカラオケをやったりしたのですが...私は音楽、歌を愛する人間として、歌心の分からない人たちの前で歌うことがバカらしく、無駄なことに思えてなりませんでした。
仕事の話を二次会の席でいつまでもぐだぐだと、とりとめなく語り合うのもいいでしょう。
私はそんなんは何のための余興、慰労なのか理解出来ず、全くナンセンスにしか思えません。せめてどっちかにしてもらいたい、ぐだぐだやるんならそんなんに付き合う必要は無い、アタシャ帰るi これからはそのようにしてもらいたいとつくづく思った次第です。
その時、ぐだぐだとした日本人どもに対して、歌心があるのをハッキリ示していたのは、日系ペルー人や、コロンビア人などラテン系の人たちでした。
これは同じ日本人として本当に恥ずかしいことですi
私がラテン.ボレロの名曲「アモール(Amor)」を歌ったところ、機せずしてラテン.ピープルの合唱が起きたのには一寸感動しました。(おい、聞いたかi ぐだぐだ、おツカレの日本人どもi  我々は仕事ではテンデバラバラだけど、歌の世界で一つになれるんだぞi)
しかし、この曲は日本でならいざ知らずそんなに有名だったのか?
これで気を良くした私は続いて「シボネイ(Siboney)」を歌ってみたところ、こっちはポカーンと冷ややかなものでした。
日本じゃこっちの方が知られてる気がするんだけどなあ...そうか、分かったぞi この人たちはシボネイ族(スペイン人によって滅ぼされたキューバの先住民族)の末裔でもなんでもないので、思い入れが無いのだろう...
やっぱりみんなの心に訴えるのは...そう、アモール、愛i 愛なんですよi
そして、この人たちの英語による選曲を見てみると...「ライチャス.ブラザース」の「アンチェインド.メロディ」や「プラターズ」の「オンリー.ユー」(勿論私のレパートリーでもある)とか...彼らの好みというのが何となく分かってきました。
ラテン歌謡でも勿論、カンツオーネなどでも聴かれる、"泣き"の入った歌が好みなんだi...これらの曲が我が国の巷に流れていた時分は、ちょうど広くラテン音楽が浸透していた頃と重なります。
(私は昔からどうも演歌が好きになれず、それがあまり邦楽に親しみが持てない、一寸偏見混じりの主たる理由なんですが、私はずっと日本人の心に響くのは、こぶし入り演歌より、泣き入りの歌の方だという根拠の無い持論を持っているのです)
この頃の日本人は皆歌心を持っていたんじゃないですか? ねえ、じいさん、ばあさんi
今こそ、日本人は歌心を取り戻し、愛に目覚めなければならないんですi..."アモール、アモール、ナシオデティ、ナシオデミー..."
私が喜々として歌っている時、ラテンの皆さんもいつも笑いながらスペイン語で何か話し合っていました。(私は歌うことは出来ても全く話せません)
それはきっと、"この人は、あのダメな日本人たちと違ってじっつに歌心を知っているi"、と言っていたのでしょう。
いや、もしかして、"この人、日本人のくせに日本の歌を忘れていてバカじゃなかろうかi"、と言っていたのかも...
コメント (13)
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