"神は愛なり"、などと言います。
しかし、実際のところ私は、神が我々が考えているような愛を有しているか、どうかということは分からないのです。
ここには多分に我々の願望が入り込んでいるのも確かなことでしょう。
しかし、神のことは置いといて、その我々が感じ、考える愛とは何でしょう?
愛は情欲といったものに容易く変質するし、憎しみに転じてしまったり...そしてそれはご存じの通り、往々にして冷めるものでもあります。
愛という実体などどこにも見い出されないにも関わらず、人間は愛を追い求め続けずにおれないようです。
私自身、そういう人間との関わりの中で、一時熱くなってしまうことはあっても、変わらぬ愛というものを味わったことはありません。
しかし...私は神的なものに捉えられた時にまして、"私はこんなにも愛されていたのかi"、と実感したことは無いのですi そして、それはいつも変わらないものです。
いや、それはむしろ愛し、愛される、という関係性、対象を伴った愛というよりも、愛そのものの中にある、という感じのものです。
愛そのもの...これが我々がずっと見過ごしてしまっているものではないでしょうか?
それは、大事な存在への愛の中にも、その対象とされるものからだけでなく、各々に元々息づき、共有している愛として感じられるはずのものです。
このことに留意してみることで、愛というものがこれまでと違って感じられると思います。
こういう愛というものが無いのなら、そもそも愛なんてものは何処にも無いと言っていいでしょう。
神のことは分からないものだけれど...私はそう直に感じられるものを通して、愛そのものは神的なものから来ると、そして"神は愛なり"と言わざるを得なくなるのです。
神のことは分からない...でもそれはこの愛というものに限らず、平安、普遍、真理、救済...神にまつわるどんなことにも言い得ることですが、神的なものを抜きにそれらを捉えようとしても、そうした命題自体が、追求すればするほど玉ねぎの皮を剥き続けるように、空しく宙に浮いてしまうようになるのではないでしょうか?
それはこの我々人間なるもの自体がそうであり、私自身がそうなのです。
だから何度も私は言いたいi...神は思われたものじゃない、捉えようとしても分からない、捉えられてみて、初めてその片鱗に触れることが出来る、そしてそのことは、あなたが知っているすべてのことの比にならないほどのことを物語るものなのであり、人皆がそうとは知らずに追い求めずにおれないものなのだ、とi
そして、私にとり特に感じられたものは、私ほどそれとは遠いものと思っていた、愛のことだったのですi
しかし、実際のところ私は、神が我々が考えているような愛を有しているか、どうかということは分からないのです。
ここには多分に我々の願望が入り込んでいるのも確かなことでしょう。
しかし、神のことは置いといて、その我々が感じ、考える愛とは何でしょう?
愛は情欲といったものに容易く変質するし、憎しみに転じてしまったり...そしてそれはご存じの通り、往々にして冷めるものでもあります。
愛という実体などどこにも見い出されないにも関わらず、人間は愛を追い求め続けずにおれないようです。
私自身、そういう人間との関わりの中で、一時熱くなってしまうことはあっても、変わらぬ愛というものを味わったことはありません。
しかし...私は神的なものに捉えられた時にまして、"私はこんなにも愛されていたのかi"、と実感したことは無いのですi そして、それはいつも変わらないものです。
いや、それはむしろ愛し、愛される、という関係性、対象を伴った愛というよりも、愛そのものの中にある、という感じのものです。
愛そのもの...これが我々がずっと見過ごしてしまっているものではないでしょうか?
それは、大事な存在への愛の中にも、その対象とされるものからだけでなく、各々に元々息づき、共有している愛として感じられるはずのものです。
このことに留意してみることで、愛というものがこれまでと違って感じられると思います。
こういう愛というものが無いのなら、そもそも愛なんてものは何処にも無いと言っていいでしょう。
神のことは分からないものだけれど...私はそう直に感じられるものを通して、愛そのものは神的なものから来ると、そして"神は愛なり"と言わざるを得なくなるのです。
神のことは分からない...でもそれはこの愛というものに限らず、平安、普遍、真理、救済...神にまつわるどんなことにも言い得ることですが、神的なものを抜きにそれらを捉えようとしても、そうした命題自体が、追求すればするほど玉ねぎの皮を剥き続けるように、空しく宙に浮いてしまうようになるのではないでしょうか?
それはこの我々人間なるもの自体がそうであり、私自身がそうなのです。
だから何度も私は言いたいi...神は思われたものじゃない、捉えようとしても分からない、捉えられてみて、初めてその片鱗に触れることが出来る、そしてそのことは、あなたが知っているすべてのことの比にならないほどのことを物語るものなのであり、人皆がそうとは知らずに追い求めずにおれないものなのだ、とi
そして、私にとり特に感じられたものは、私ほどそれとは遠いものと思っていた、愛のことだったのですi