人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神の誘い

2021-09-05 09:42:56 | 
神に目覚める、神的なものに与るには、どうしたらいいのか?
いくら神が愛であり、全能であってもその気の無い人には無理でしょう。
これは、極めて当たり前のことを言っているまでです。
腹が減った、何か食べたい...その気が無ければ食べ物に与ることは出来ません。
そうは言っても...神は見えないし、捉えられないし、誰かが言っているように、我々の思いを超えたものなのだから、そういう気があったとしても、漠然としたものになってしまうのも致し方ないでしょう。
そこでフツーは、そういうことを伝えている宗教やスピ団体、教え、教師、メソッドなどに頼る訳ですね。
それらは、その本来求めているものの何がしかを伝えているのでしょうが...それらはあくまで媒体なのであり、そのものと直接つながるということは、フツーはありません。
そして、その媒体自体にトラワレてしまうということもフツーにみられるものです。
やがて、漠然として曖昧模糊としたものが、いよいよ本来性からズレてきて、教え、教師、メソッドに依存し続けることが、その人の"その気"になってしまうに至るのです。
ですから、熱心な信者、修行者ほど神に目覚めることは難しいと言えるでしょう。(後者などは、"いいや、神のことより、悟りだ"、とするかもしれませんが...)
ここで、私は人が何を求めているのか、何にその気を抱いているのか、ということ自体に良し悪しの判断を下そうとは思いません。
本来性からズレてしまったとしても、それ相応に得られるものもあるのでしょう。でなきゃ私などアホらしくてやってられませんよi
大事なことは(少なくとも私には)、愛、平安、幸福に与れるか、どうかということに尽きるのですi
それが無いのならば、教え、メソッド、そして悟りの境地があったとして何になろう!...
"じゃあ、あなたは神を求めることからズレてやしませんか?"、とお尋ねか?(誰も尋ねてない?、あ、そう...)
神と愛、平安、幸福...それは分けることが出来ませんi
私の本来性とも分けることが出来ませんi
本来のものからズレたものを求めている人は、このことをよーく考えて、意識してみて下さい。
媒体となるもの、何かを指し示しているものは、遅かれ、早かれそのものへとシフトしなければならない、ということを知らしめているのではありませんか?
"いや、私にはまだその時が来ていないi"...だってえ?...だから、あなたはその気が無いんだ、と言っているのですi
今、その気の無い人は、いつになったって、何十年経っても、何度生まれ変わってもその気など無いでしょう。
やがて、お弁当は売り切れ、食堂は閉まる...いつまで経ってもメシにありつけません。ありつける機会は、二度と巡ってこないかもしれないのに...
もし、言い知れない、愛、平安に包まれたのを感じたのなら...それがあなたの時なのかもしれません。
それは美味しい食べ物の匂いのようなものです。否応なしにそれに惹き付けられてしまう...
忘れていたこの美しき香り...こちらのその気は失せたとしても、神の方からその気を浮き出させているのです。
神の誘い...神の方がこちらと一つにならんとハタラキかけているのです。
コメント (3)
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