人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

怪物と現臨

2021-09-16 11:48:09 | スピリチュアル?
「あいつが見えるーこっちへ来るー地獄の嵐ー巨大な朦朧とした影ー黒い翼ーヨグソトホートよ、我を救いたまえ...」
(H.P.ラブクラフト「暗闇の出没者」)

私が8歳になったか、ならない頃のある夜、深夜放映されるテレビ番組が始まるのを、眠いのをがまんしてワクワクしながら待ち続けていました。
"大相撲ダイジェストだって?、そんなもの結果だけ分かったらいいから早くやってよおi、早く観たいi、「フランケンシュタインの怪物」i"
確か午前0時だったか、ようやく始まりました。戦前の米映画「フランケンシュタイン」の短縮版の放映...
そして、後ろ向きから振り返る怪物の恐るべき容姿i...この時一緒に観ていた母が目を付してしまい、私にも「見ちゃダメよi」と促していたのを覚えています。
しかし..."見なきゃよかったi...そうすれば、それから約3ヶ月の間、怪物の幻影に悩まされることは無かっただろうに...もっとも、8歳の子供にそんな運命が待ち受けていることなど誰が想像出来ようか?"
「怖いわi、何かがやってくる、忍び寄ってくるのよi...」(劇中のエリザベス~F博士の"本当"の花嫁~の言葉)
それは怪物の造形からもたらされたものではありますが、いつしかそれを超えて見えない怪物、恐怖にまで膨れ上がっていったのです。(これは、その映画で名怪奇俳優のボリス.カーロフが演じていたもの限定だったことは付け加えねばなりません)
あたかもラブクラフトが描いた、一連のクトウルー神話の邪悪な神々?、怪物のように...
"ヤツは私が思い描いただけで、現れやがるi...どんなに打ち消そうとしても、ますます強く、顕わに...ヤツはいずれ私の世界を占領してしまうのだろうか?"(昔から私には、頭の中に怪物じみたものが潜んでいるという自覚はあります)
目に見えない、得たいの知れないものが、やがて顕わになる...それはこちらに迫り、臨んでくる...
そうですi...それは全く私が現臨と呼んでいるものの裏返しのような側面を持っていたのです。
そう、それは私の想像の産物だi...いや、そおじゃないんですよおi
まるっきり違うところは、それがこちらに迫り、臨むことで、ますます思念のトラワレにハマってゆくか、それが解かれて、自由に、ラクになるかというところにあります。
恐怖を呼ぶものか、幸福を呼ぶものかの違いはありますが、私の心象には、昔から何か見えないものが迫り、顕わになるというモチーフが横たわっていたのです。
何にせよ、そのことは私の人生において、抜き差しならぬ刻印を残したことは間違いなく、もしかしたら、私のそうした精神的苦境は、精神的解放への道を予兆していたのかもわかりません。
クトウルー神話の邪悪な神々も想像するには、忌まわしき祟り神か何かのように、押し込められ、封印された、"元なる神"の存在を負のイメージで描いたものだったのかもしれません。

コメント (3)
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