人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

すべてデタラメだけど...

2022-05-15 09:58:51 | 雑感
私は日に日に”わが主“と一つとなってゆくのを感じています。
これは度々触れているように、私が修行などして、段々そうなって行く、というようなことを言っている訳では無いのです。
自分を変えようとして変わったことなど一度もありません。
自分を変えようと思ったことはありますが、そうして変わったと思ったことは、正しくそう思っただけのことなのです。
自分の思いで何でも変えられると思っている人は、自分の思いを止められるはずですよ!
こういう思いはもう懲りてます。変わらん自分に懲りてます。
自分で変われる、何かになれる、悟れると思っているというのは、そうなるものに成りすますということでしょう。そうして本当に主なるものと一つになる道が閉ざされてしまうのです!
だからこそ、絶対他者なる主を頂いているのです。
言い換えれば、それは私という人間がどうにも、イイカゲンで、アブなく、始末に負えないということなのでしょう。
こういう次第なので、私は自分を律するというか、克己する精神に欠けており、社会生活をしてゆく上で欠点になっているのは自覚しています。つまり、日頃エラそうなこと言っているけど信用は無い!
そう、デタラメなんです!...
しかし、私はそうでもあの御方は...デタラメな訳が無いだろ!
それがデタラメだったら、世の中のことはすべてデタラメですよ!
いいや、そうじゃない!...世の中デタラメだらけなんじゃありませんか?!
本当に信じれることってあるか?、安心出来ることは?、いつ核ミサイルが飛んでくるか分からない...段々自分が変わる?、何かになって行く?...明日という日は来ないかもしれない...
だからメンドクサいことはいいの!
しかし、こんなデタラメ極まる世の中にも、デタラメでないものもあるはずですよ!
こんなデタラメなのに何で今日も日が昇るのか?、なんで公園にチューリップとかバラの花が咲いているのか?...ベンチで本読んでたらクモが手の平に降りて来て、こっち向いて挨拶したぞ!(なんか目がいっぱいあってデタラメな顔だけど、案外可愛いです)
信じていいのか?、って信じるも何もそうなっているんです。安心していいようだ、今日という日を!
デタラメなものは、デタラメでないものと一枚になっているのです。
デタラメなものは、デタラメでないものになる必要はありません。
三日月、半月、日食...隠れているもの、部分的に見えるものは、それが全的に顕わになることを予想しているのです。
そのものが顕わになったら、デタラメでなくなるのか、どうかは分かりません。
ただ、それが顕わになるままに化してゆくにゆだねるしかないでしょう。
コメント
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