「生きて、生きて、ただ生きていられさえすれば!
たとえどんな生き方でもー
ただ生きていられさえすればいい!...
何という真実だ!、ああ、まったく何という真実だろう!...」
(ドストエフスキー「罪と罰」.ラスコーリニコフの言葉)
「君はヒマそうでいいなあ...そんなにヒマだと、時間を持て余してばっかりだろう?」
”へっ!、バ、バカな!”
私は、ここ何十年もの間、そりゃあヒマかもしれませんが、時間を持て余すなんてことはありません!
読書とか音楽、動画鑑賞とか、趣味の時間に充てるということはありますが、ネタが尽きたからといって、何をしていいか分からないということはありません!
だったら、何もしなければいいでしょう!...
起きてるか、寝てるかはしてるでしょう。
そんなんは退屈でしょうがない?、んなこたあない!
退屈ってことは多分、不幸なことに違いありません。何もしなくても幸福でいられる...それで退屈に感じる訳が無いのですから...
勿論、私にも何していいか分からず、ヒマを持て余すこともありましたよ。
そういう時というのは、大概、”あれをして何になる?“とか、“何の意味があるか、何の役にたつのか?”とか、しまいには“人生って一体何だ?”とか、色々考えてしまうものでしょう。
考えるだけで死にたくなりそう...
しかし、ヒマだ!...この時間一日48時間あったっていいですよ!
幸福の方が怒濤の如く押し寄せてくるように感じることもあります!
そのような思考に囚われて居なくて、不幸に感じるということはまずありません。
あなたの人生は、考えているあなただけの人生では無いのです!
何をしようが、しまいが今日も東に日は昇り、西に日は沈む...日中ずっと不幸な気分で居て、真紅の夕日を眺めているうちに幸福に包まれた、ということも私には何度もあります。
それとか風が吹くとか、風向きが変わるだけでそうなるとか...(ヒマだろーっ!?)
こういうことは、考えている私からはそうならないのは言うまでもありません!
“それじゃあ、日が暮れるのを待つとか、風向きが変わるのを待ちゃあいいのだな”、ってそうなるかどうかは分かりませんよ!
“考えなきゃあ、いいのだな”、って出来るのならやったんさい!
これはすべてあのもの、あの御方が臨み、それと共にあるということを言っているのです。
それは何も数十年前、そのことを自覚するようになってからのことばかりではありません。
物心付いてから、そうとは知らずにそういうことはあったのです。
そして、私が何故、このことをこうして書かされているのかと言えば、私が人一倍思考に囚われる人間だったからなのです。いや、今だってそうですよ!...ただそれだけで終わりにゃならないと言っている訳です。
私のすべての生というものは、絶対にそれで終わりでは無いのです!
たとえどんな生き方でもー
ただ生きていられさえすればいい!...
何という真実だ!、ああ、まったく何という真実だろう!...」
(ドストエフスキー「罪と罰」.ラスコーリニコフの言葉)
「君はヒマそうでいいなあ...そんなにヒマだと、時間を持て余してばっかりだろう?」
”へっ!、バ、バカな!”
私は、ここ何十年もの間、そりゃあヒマかもしれませんが、時間を持て余すなんてことはありません!
読書とか音楽、動画鑑賞とか、趣味の時間に充てるということはありますが、ネタが尽きたからといって、何をしていいか分からないということはありません!
だったら、何もしなければいいでしょう!...
起きてるか、寝てるかはしてるでしょう。
そんなんは退屈でしょうがない?、んなこたあない!
退屈ってことは多分、不幸なことに違いありません。何もしなくても幸福でいられる...それで退屈に感じる訳が無いのですから...
勿論、私にも何していいか分からず、ヒマを持て余すこともありましたよ。
そういう時というのは、大概、”あれをして何になる?“とか、“何の意味があるか、何の役にたつのか?”とか、しまいには“人生って一体何だ?”とか、色々考えてしまうものでしょう。
考えるだけで死にたくなりそう...
しかし、ヒマだ!...この時間一日48時間あったっていいですよ!
幸福の方が怒濤の如く押し寄せてくるように感じることもあります!
そのような思考に囚われて居なくて、不幸に感じるということはまずありません。
あなたの人生は、考えているあなただけの人生では無いのです!
何をしようが、しまいが今日も東に日は昇り、西に日は沈む...日中ずっと不幸な気分で居て、真紅の夕日を眺めているうちに幸福に包まれた、ということも私には何度もあります。
それとか風が吹くとか、風向きが変わるだけでそうなるとか...(ヒマだろーっ!?)
こういうことは、考えている私からはそうならないのは言うまでもありません!
“それじゃあ、日が暮れるのを待つとか、風向きが変わるのを待ちゃあいいのだな”、ってそうなるかどうかは分かりませんよ!
“考えなきゃあ、いいのだな”、って出来るのならやったんさい!
これはすべてあのもの、あの御方が臨み、それと共にあるということを言っているのです。
それは何も数十年前、そのことを自覚するようになってからのことばかりではありません。
物心付いてから、そうとは知らずにそういうことはあったのです。
そして、私が何故、このことをこうして書かされているのかと言えば、私が人一倍思考に囚われる人間だったからなのです。いや、今だってそうですよ!...ただそれだけで終わりにゃならないと言っている訳です。
私のすべての生というものは、絶対にそれで終わりでは無いのです!