人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

一つの現実世界

2022-05-03 11:32:02 | スピリチュアル
私が初めて神に捉えられて、至福に与った時、“もし、このまま思考、為そうとする力を失ったまま現実生活に戻らなくなったらどうなるだろう”、という思いが過ったのでした。
こうなったということは、既に思考が戻りつつあったということを物語っている訳なのですが...
至福の中で神と共にある...もし、生というものが、二元的現実、生死を超越した(矛盾した言い方になりますが)次元で捉えるのなら、そういうこともありなのかも分かりません。
しかし、そのことは、こうして神の意志でか、自らのものでか、この世に生まれ出でることになった、その意味に答えてはくれないでしょう。
というか、こういうこの世的でない話自体、この現実世界で生きていることが大前提になっているのは言うまでもないことじゃありませんか?!
私の目はまだ黒いからこうして書いて居られるのです!
考えることも、やる気も力も老化で弱まってるが、ちゃんとある!...
そうなると、それらを抑え、時には無化させて、あの至福をもたらす、思いを超えた力は何処に?...
あるとも、ここにある!...いや、そっちの方がもっと根底的にあると言ってもいいのです。リアルにある!、という感じなので...本当に現実にあるのはどっちなのか?!
そして、どんどん私自身の深みに、実存と分かち難く浸透してゆくようなのです。ますます、その現臨感覚が強まって来る...
言い換えると、この日常の意識状態が、その現臨にある状態に徐々に、適応させられているということになるでしょう。
それは、ごく日常的なことなので、あまり気が付かなったのですが...ってつまりそういうことを言っている次第なのです。
どんどん深化して行って、その先はどうなるかは分かりません。
何かと一つになるのでしょうか?、そういう感じはどうもしますが...いつそうなるかは分からないし、そうなる局面は常にあるとも言えます。何しろ、”それはある”のだから...
それは、いつ炸裂するとも限らない核兵器があるようなものです。
ただ、すべてはあの御方にゆだねられているのです。それは絶対他者なる神であり、知られざる私でもあるでしょう。
深化の先に、私のこの世界はあるのかどうかは分かりません。
ただ私は強くこのことを願わされています。...この世界があの至福の世界と一つになる日の来たらんことを!...
私自身の願いでもあり、願わされている感じなのです。願いは一つなのか!
この世の現実世界があり、あの二元を超えた普遍的現実世界があるのではなく、一つの現実世界を目の当たりに...
日々、その現実が迫ってくるのを覚えています。

コメント
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