人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

リアルな霊的導き

2022-06-12 10:32:23 | ガイダンス
ある悟り系と思しき方のブログで、”ガイダンスというものは、真の自己の目覚めには何の関係もない!、むしろそれと関わるのは有害ですらある!“、という趣旨の文に接して、思わず我が目を疑ってしまいました。
その真意は、おそらくその文面の外にあるようにも感じられたのですが、それだけを読む限り、ということなのですが...
ごくシンプルに言って、その言葉には何のリアリティも感じません。現実に即したものが感じて来ないのです!
古今東西の聖者、賢者と言われる人たちで、ガイダンス、導きというもの無しにその道を全うした者など居たでしょうか?
一歩たりともその道を歩むことなど出来ないでしょう!
その道に立つこと、乗っかることが出来る...神縁、仏縁というものからしてがそうなのです。
何度も言うように、精神的な道は、考える自分のみからは何一つ始まって来ないのです!
その道には迷い、苦難というものが付きものです。現実にそれらに直面したら、どうしたらいいのでしょう?
いや、何らの道標を持たずに歩むこと自体が迷いというべきでしょう。
祈ることも知らない、頭の高い人間には何も開かれない...
そんな人間は、修行マニアか、知的遊戯に熱中するだけの悟りマニアのようになるだけでしょう。
どこまでも、考え、何かを為そうとする自分を超えることが出来ないのですから...超えせしめるもの無くしては!...
私はよく現臨するもののことを“見えざる導き”、と言い換えたりしますが、具体的に霊的なガイダンスに与るものは、このものに他ならないのです! それにより全くリアルな、愛、平安に導かれる...
といっても、アタシャ、“それは守護霊、先祖の霊、あるいはハイヤーセルフであり”...などと実体あるかのように説き、それとコンタクトを取れるように、”愛念を送り、祈り、瞑想しましょう!“、などと囚われをもたらすようなことを言うつもりなどありませんよ!
そういう囚われを持ってしまうのは、ハッキリ有害です!...それは思念を超えられないで、より強めていることでしょ?
先の人が言っている真意は、おそらくその辺りにあるのでしょう?
その見えざる導きは、もしかして、本当に守護霊なのかもしれません。リアルにスピリチュアルなガイダンスなのだからそうには違いないでしょうが...分からないものをマインドで捉えようとするから、囚われちゃうのです!
自己イメージで無しに、思いを超えたものにゆだねる...
思念に囚われ、過度に自分と別の何かに依存したりしてはなりません。
何でリアルに感じるかというと、実存と切り離されたものでないからです。その霊的交わりからますます実存的とならざるを得なくなるくらいです。
思いに囚われることと、それを超えたものの違いが曖昧なままのスピ界...
この現状を打ち破るものは、真にスピリチュアルなガイダンスに依るしか無いかもしれません?
コメント
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