人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

目の当たりの私

2022-06-26 09:21:18 | 求道、探究
「私たちには恋しい人を熱愛するように、生涯をかけてめぐり会わなければならない、たった一人の人がいます。それは誰かといいますと、本来の自己、私の自分で、自分自身に会っていただかなければなりません」
(原田雪渓ー曹洞宗師家ー「The .禅ーダルマは世界を駆けるー」.柏樹社刊)

たとえ、究極の真理を究めようと、無上の悟りに到達しようと、そこに自己なるもの、“私はここに在る“、という、その...
いや、これから先のことは、私にはどうしても言葉に言い表すことが出来ません!
本当の自分に会うこと、真我の実現...こう言い表すことは出来ます。それは、真実に実存的問題なのでしょう?
しかし、それが真我に“ついて“、実存についての、お話に終始するだけなら、自己自身からいつまでも切り離されているだけでしょう。誰が何を語っているのでしょうか?
そうですね、私はここで自己と、それが神であれ、真理であれ、ある対象との二元的在り方を超えた、非二元的な在り方について語っているのでしょう。
しかし又、何かについて語るのなら、二元だろうと一元だろうと何らの変わりなど無いでしょう。
これは、何についてではなく、正しく意識の在り方の問題なのです!
語っている私は居ない?...私は全体と一つになった?、ニアヴァーナに達した?...誰がそう言っているのでしょう? 本当にそうなってしまったことなど一体誰に語り得ようか?!
死んだら自分がどうなってしまうのか分からない、死後のこととか、自分が本当に無に帰してしまう境地(境地すらあり得ないが...)のことなど、誰にも語り得ないことはどうでもいいのです!
この私...私の“こと“でない私!...私がここに生きている...生かされている!...目の当たりの私!
ああ...どうしても、どうしても...この私自らは語ることは出来ません!

最愛のあなた...あなたが語ってくれなければ!...
近い、近すぎる!...そんなに迫られると息も出来なくなりそう!
気が遠くなってどこかに消えてしまいそう!
あまりにも幸福すぎて!...
だから、言い表さなければならない!
すべてで一つのことなのだから...

私とあなた...本当に一つになってしまうのか?!

コメント
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