人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神についての結論(の如きもの)

2022-10-21 11:54:48 | 

“神は人の思いを超えている“
我ながらホントくどいな、と思います。
でも、こうしていつも書いていて、感じることはそういうことばかりなのです。
神は思いを超えているということは、”神のことは分からない!”と言っているに等しいのです。
私は幼い時から神を信じ、求めて来ました。
だけど、未だに神について分かったことなどありません。分かったつもりになったことなら何度もありますよ。
神は唯一神、多神、汎神...と様々な宗教で、異なる神が説かれ、そのいずれかが正しいと判断して、各々の信者はその宗教に従って行きます。
彼らは、自分なりに神についての何か結論を得たのでしょうか?
結論とは、頭の中だけで何らかの決着をつけたつもりになるというだけのことではないでしょうか?
”神など居る訳ない!”、と決め込む人もホントはどうか分からないはずなのに、そういうことにしているのでしょう。
人は何故、そうして結論を求めようとするのでしょうか?
何か不安、恐怖があるからではないでしょうか?
神?、何かの霊?、得たいの知れないもの(こう感じさせるものの多くは、得たいの知れない宗教からイメージされるようです)...それに捉えられると自分は、どうなってしまうのか?
だから、神のことは分かってから信じよう!...いつ分かるのだろうか?
どっかで手打ちにしないとならない、落ち着かない。
しかしそこに、本当に”落ちる“、ということがあるでしょうか?
落ちるところに落ちる...これは”落ちた!“と思うことじゃありません。体はまだどっかに置き去りになってたりして...
それは、自分のすべてが安らぐこと...つまりはそこで思いは超えられるのです。
愛、安らぎがある!...だったら、分からなくてもいいではないか?!
神?、いや極端な話、サタンだっていい!...このものの他に本当に落ち着くということは、どこにも見い出されないのだから...
神についての結論(の如きもの)...もう、結構なトシになって、やっと神は決して分からないものだ、ということが分かった!(気がします)

コメント (13)
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