人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

知られざる人間の在り方

2022-10-07 10:28:50 | 意識、照明
度々言ってますように、ここでは“心の持ち方を変えよう“、というようなことは言ってないのです。
悪い心から善心に、ネガティブな思いからボジティブな思いに入れ替えるとか...
多分、そういうことを推奨する方は、より幸福であらんがためにそうしているのでしょうが...中々そんな心持ちになれない私などには絶望的なことです。そうなれない自分と葛藤が生じて却って重い思いに苛まれそうです。
そして又、“思ってるだけじゃダメだ、実行に移さなければ!“という声も聞こえてきそう...
しかし、善行をしたつもりが相手には有難迷惑だったり、要らん摩擦が生じたりして...
かように、思うことも為すことも幸福に与ることにつながるとは限らないのです。
だけど、人間の在り方というのは、思考と行動だけなのでしょうか?
一つ言えることは、こうした心と行動に働きかける在り方というのは、対外的で、意識が外向きになっているということでしょう。
相手がなければ、こっちが悪かろうが、ネガティブだろうが関係無い。それで幸福になれないのはこっちの勝手なのです。もっともそういう悪い思いの波動(?)が知らずに他に及ぼすということはあるかもしれませんが...しかし、そんなこと気にしてたら呼吸も出来なくなりそう...
要するに、対外的にしろ何にしろ、分かり切ったことは、自分が幸福であることに越したことは無いってことでしょう。
もっと分かり切ったことは、自分が幸福と感じなければ、そんなもの幸福でも何でも無いということでしょう。
そうです。思考、行動よりも人間の在り方の根底にあるものは、感覚、感情的なものではないでしょうか?
人間の在り方というのは、大体この思考、行動、感覚の三つということになっているようですね。
いや、在り方というのなら...それは意識の在り方というものじゃなかろうか?
それは、感覚と切り離せないのは言うまでもないですが、もっともっと根底的なものであるはずなのです。
これが世の中でずっと蔑ろにされて来たのです。それが言及されることはあっても、しばしば思考的なものとか意志的なものとごっちゃにされているような有様なのです。
このことが、かくも人間の本来的な在り方は、知られず、閉ざされ続けて来たということを物語っているのでしょう。
意識の次元のことは、根底的であるため、持ち方を変えたり、行動に移し変えたりは出来ません。
多くの人は考えて、行動して幸福に与ろうとします。いやそれは、そうして獲得出来るものと感じているようです。
しかし、意識的であることで、それは既に与っていることが知られるのです。
意識が何かに向くとか、例によって訳の分からない言い方ですが、これはもう、“現臨にある“、ということと同じなのです。
そして、現臨にあって、幸福でないと言うことはもはや出来ません!
愛、平安、リアリティ...言葉に言い尽くせないものですが、それは現臨と共にあると言っているのです。
そうでなければそれは、何か目に見えない得たいの知れないもの、神的でない、別の何かのことでしょう。そういうものに意識が自ずと向けられることはありません。
心持ちを変えようとしなくても、それを用いて信じようとしなくても、自ずからそうなる!
そこには、特別な信仰も、方法に則っとった実践も無い。意識次元を根底に持たない人間など誰も居ません。
ですから、この道は、信仰を持った人にも持たない人にも、どの道にも開かれているのです。
と、いうようなことは、あくまで捉えどころの無い私の表現なので、何かの参考になればと願いつつ...
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