人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

宿業を生きて

2022-10-23 10:30:09 | スピリチュアル
私のようにずっと都会生活をしていると、ご存知のように、とにかく人間関係にまつわる摩擦、アツレキが絶えないのなのですね。これは、もう宿業と言えます。
だから、都会から離れて山奥に引っ込んで生活したほうがどんだけいいか!...な~んてことを本気で思ったことなど一度も無いですよ!...きっと宿業なんでしょう。
業が渦巻く都会生活より自然に囲まれた生活の方がそりゃいいかもしれない。だけど飲食店、コンビニ近くに無いぞお、チョイとそこまで...行けない!、不便だ、メンドクサ!...それだけでしょうか?
愛、平安に与る...これを何度書いて来たことか!...私はこれをその宿業にまみれた都会生活の中で書いているのですよ!
それは、私個人だけからは、けっして与ることなど出来ないのは言うまでもありません!
人間関係の中で生きていることが当たり前になっているので、普段意識されることはありませんが、私のように煩わしい人間関係を嫌い、孤独を愛する人間であってもそうなのです。
現実には、形の上では単独であっても、人はけっして孤独にはなれないのです。“私は孤独だあ“、と感ずる時には、関係性が意識されているはずなのです。
そして、私はそのように孤独な生活を満喫(?)している訳ですが、その実孤独を感じることはほとんど無いのです!...この都会では無理です。
それに...私には常に“あの見えない御方“が共なっているではないか!...絶対に一人っきりにゃなれっこありません。そもそも“愛“なんて言葉はどこからも出てくるはずないですよ!
愛、平安...それはこのものあってのものに他なりません!
そうでなければ、人間関係なんてものは!...語るだに呪わしい!
ホント、バカバカしいったら、ありゃしない!...けど、やめられない...宿業。
人は皆、意識するしないに関わらず、その過程、結果は様々でしょうが、人間関係に幸福を求めているのではないでしょうか?
そして、本来の人間の在り方というものは、どっかで感じているのではないでしょうか?
しかし、見える人間関係、人間の在り方には、十重二十重にその本来性を業想念が覆い、見えなくしているのでしょう。
しかし又、その人間関係の裏側には、見えないその本来性が隠されているのです。
それは、“命の有機的つながり“とでも言うべきものでしょう。私はこのつながりにあって私であることが出来る...それから切り離されることは無いのです。
そして、あの御方、霊なる形無き命こそは、分かち難く、そのつながりに調和たらしめているものでしょう。
宿業そのものとも言えるこの私、私を取り巻く人間関係にその命が息吹き、通る時、我々は愛、平安に与り、本来性に帰ることが出来るのです。
これは、ハッキリと意志的にしていることでは無いけれど(させられているから?)...ただ、その形無き命の顕現、そのハタラキのいや増さんことを!
これが私の形無き祈りなのです!...
コメント
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