古来古神道には「鎮魂帰神」と謂われる、神人感合の秘法が伝えられています。
それは、全く世の表側の宗教界隈からは隠れた、正に秘法たる存在だったのですが、明治、大正時代、出口王仁三郎師によって大本教に持ち込まれました。
鎮魂帰神の法にもいくつか流派があり、単に「鎮魂法」と呼び慣らされる場合も多いのですが、近年では、宮中の神事にも関わりが深いと言われる、「伯家神道」に伝わるそれが知られています。
王仁師が伝えたものは、明治時代の神道家「本田親徳」師が体系づけたものを継承したものであり、一口に言えば、“神がかり“体験へと誘導する方法と言えるでしょう。
これにより、秘法は一気に大衆化され、大本教の存在も広く認知されることとなり、ある意味、埋もれた神が世に表れることになったのかも知れません。
と同時に、それによりその評判も一気に落とす結果になってしまいました。
ただのお話じゃ済まない、神霊の実地のご活動は、実にアゲサゲが激しいものと見えます。
世に知られる、大正期の第一次大本弾圧事件(昭和期にもっと激しい第二次弾圧があった)を引き起こした要因の一つは、その秘法実修時での神霊の“跋扈“による狂態が世人の知られるところとなったため、と言っても過言ではありません。
つまり、そこで、人の肉体か、表層の心によって長きに渡り幽閉され続け、はれて自由に表れるのを許された神サマは、“中途の神“ばかりだったのです。だから、開祖出口なお刀自にかかる「艮の金神」の意志でか、鎮魂帰神法は、中途で禁止されるに至ったのです。
“ミタマを鎮めて神に帰る“...その主眼となるものが、幽閉されていた何かの霊を浮かび上がらせ、あるいはそれを外から掛からせる?...そんなものである訳がない!
私は、正直こういう方面は全くの素人であり、多く語る資格はありません。僅かに学生時代その鎮魂帰神法を踏襲したとされる、“秘術“をある教団でやらされたことがあるくらいです。
自分から求めて関わりを持ったことなど一度もありません!...むしろ、ああいう世界からは離れたい、といつも思っていました。
本来の鎮魂帰神とは、神直々につながる直日(霊)、本心(霊)に帰ることの他には無いはずなのです。これ本田師、王仁師とも述べられているところです。
私には、又王仁師があるところで「鎮魂帰神は、キ教で言う“聖霊のバプテスマ“と同じである」と語っていたことが印象に残っています。
しかし、聖霊のバプテスマは、人為で行われる方法の類ではありません。
天来の聖霊の光の照射というものが前提となるものであり、神の恩寵無しには開かれることは無いのです!
ですから、そこには祈りというものが重要であるのは言うまでもありません。
鎮魂帰神というものも本来は、人為による業にあらず、神ながらのまにまに行われる“神業“なのではないか?
何によるのか、何を主眼にしているのか?...これは意識がどこに向けられているか、と言い換えてもいいでしょうが、それにより何に導かれるかが決まるかも知れないのです!
少なくとも、中途半端な気持ちでやれば、中途の神に蹂躙されるのは目に見えているでしょう。
神に帰える道にあっては、直日(霊)の光の照射に与ることが前提になるはずではないか?
鎮魂の伝では、依り代というか、それをシンボライズしたものとして、各種の“御鏡“が設えてあるのです。
ヨソから神がかかる、とか憑依霊だとかの思念は、さっさと祓うに限るのです!...こういう思念を助長させるものの気がしれません!
思いを超えたもの~神が臨むことを祈る...神式の祝詞であってもいいでしょう。
祈り心を欠いて、神の道など開かれる訳がありません!
本当のところは、鎮魂帰神と聖霊のバプテスマが同じものなのかどうかは分かりません。
ただ、あの隠れた意識を目覚めしめる光が、それは実存的な光と言っておきましょうか...それが何であるのか?...聖霊か、直霊か、はた又?...もはやどちらでもいいです!
普遍的な光であるのは間違いないのだから...
それは、全く世の表側の宗教界隈からは隠れた、正に秘法たる存在だったのですが、明治、大正時代、出口王仁三郎師によって大本教に持ち込まれました。
鎮魂帰神の法にもいくつか流派があり、単に「鎮魂法」と呼び慣らされる場合も多いのですが、近年では、宮中の神事にも関わりが深いと言われる、「伯家神道」に伝わるそれが知られています。
王仁師が伝えたものは、明治時代の神道家「本田親徳」師が体系づけたものを継承したものであり、一口に言えば、“神がかり“体験へと誘導する方法と言えるでしょう。
これにより、秘法は一気に大衆化され、大本教の存在も広く認知されることとなり、ある意味、埋もれた神が世に表れることになったのかも知れません。
と同時に、それによりその評判も一気に落とす結果になってしまいました。
ただのお話じゃ済まない、神霊の実地のご活動は、実にアゲサゲが激しいものと見えます。
世に知られる、大正期の第一次大本弾圧事件(昭和期にもっと激しい第二次弾圧があった)を引き起こした要因の一つは、その秘法実修時での神霊の“跋扈“による狂態が世人の知られるところとなったため、と言っても過言ではありません。
つまり、そこで、人の肉体か、表層の心によって長きに渡り幽閉され続け、はれて自由に表れるのを許された神サマは、“中途の神“ばかりだったのです。だから、開祖出口なお刀自にかかる「艮の金神」の意志でか、鎮魂帰神法は、中途で禁止されるに至ったのです。
“ミタマを鎮めて神に帰る“...その主眼となるものが、幽閉されていた何かの霊を浮かび上がらせ、あるいはそれを外から掛からせる?...そんなものである訳がない!
私は、正直こういう方面は全くの素人であり、多く語る資格はありません。僅かに学生時代その鎮魂帰神法を踏襲したとされる、“秘術“をある教団でやらされたことがあるくらいです。
自分から求めて関わりを持ったことなど一度もありません!...むしろ、ああいう世界からは離れたい、といつも思っていました。
本来の鎮魂帰神とは、神直々につながる直日(霊)、本心(霊)に帰ることの他には無いはずなのです。これ本田師、王仁師とも述べられているところです。
私には、又王仁師があるところで「鎮魂帰神は、キ教で言う“聖霊のバプテスマ“と同じである」と語っていたことが印象に残っています。
しかし、聖霊のバプテスマは、人為で行われる方法の類ではありません。
天来の聖霊の光の照射というものが前提となるものであり、神の恩寵無しには開かれることは無いのです!
ですから、そこには祈りというものが重要であるのは言うまでもありません。
鎮魂帰神というものも本来は、人為による業にあらず、神ながらのまにまに行われる“神業“なのではないか?
何によるのか、何を主眼にしているのか?...これは意識がどこに向けられているか、と言い換えてもいいでしょうが、それにより何に導かれるかが決まるかも知れないのです!
少なくとも、中途半端な気持ちでやれば、中途の神に蹂躙されるのは目に見えているでしょう。
神に帰える道にあっては、直日(霊)の光の照射に与ることが前提になるはずではないか?
鎮魂の伝では、依り代というか、それをシンボライズしたものとして、各種の“御鏡“が設えてあるのです。
ヨソから神がかかる、とか憑依霊だとかの思念は、さっさと祓うに限るのです!...こういう思念を助長させるものの気がしれません!
思いを超えたもの~神が臨むことを祈る...神式の祝詞であってもいいでしょう。
祈り心を欠いて、神の道など開かれる訳がありません!
本当のところは、鎮魂帰神と聖霊のバプテスマが同じものなのかどうかは分かりません。
ただ、あの隠れた意識を目覚めしめる光が、それは実存的な光と言っておきましょうか...それが何であるのか?...聖霊か、直霊か、はた又?...もはやどちらでもいいです!
普遍的な光であるのは間違いないのだから...
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