人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

鎮魂と神の道

2023-05-03 09:31:00 | 日本的霊性
“神の道“というのは、これはもう、日本の古来の道そのものなのですね。なんつったって“神道“なんですから!
先月、千葉県のある神社にお参りしたのですが、久しぶりに何て言うか、自分の中に、ある中心(妙な言い方ですが)が感覚され、それがズシンと鎮まるような感じを覚えました。
少し前に、“神が内側に感覚されることはあまりない“、みたいなことを書いたりしたのですが、そういうこともやはりあるのです。なんてこたない、久しく感じてなかったってことでしょう?
それは、自分の中のどこに感じるかというと、具体的には下半身、ハラの辺りです。鎮まると言ったらそういうことになります。
魂というものが有るのか無いのか知りませんが、そういう何かのタマみたいなものが鎮まる...“ははあ、これが鎮魂ってもんやねんな!“
これまで漠然と感じてたものが一寸意識的になると、ストンと落ちたような?...これも又鎮魂の妙ではあるまいか?
いつもそうなるとも、その神社でなるとも限らないですが、大概そうなるという、神域というものもあることはあります。
神は偏在している、と言いますが、どこでもいいようで、ここでなければ、というものも確かにあるでしょう?
こういう道は日本ならではのものでしょう。
これは、お寺や教会などでは、お祈りや礼拝によってそうなることはあっても、その地場との
関わりでなるというのは、この道ならではのものですね。
これには、お土、木々、岩などの自然の恵みが媒体となっているのは言うまでもありませんが、自分自身の中にあるものとの共振というもの抜きにしては起こり得ないでしょう。
鎮魂とは、自然に、自己の中心に帰ること...あちこち飛び、馳せ、浮きあがる思いを中心に鎮(静)め、統べること...
別段、鎮魂行などしなくても、お参りするだけで、いや、神域に近づくだけでそうなったりします。
勿論、“考えている私“だけからは、そうなったりはしません。そうさせるものが臨むからに他なりません。
それによりは魂(のようなもの)が揺さぶられり、呼び覚まされます。魂が振るう、振魂!
鎮魂には、このような側面も伝えられているのです。
そうだ、そうだ!...この二つは切り離されないものだったのです!...ストン!
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