私の精神的な歩みで、初めて主体的に関わることで(それ以前M教団に入信していたのですが、そういう関わりでは無かったということです)、影響を受けた方が五井先生でした。
初めて千葉県の市川市にあった、聖ケ丘道場に行ったのは、昭和52年晩秋の頃で、その日は奇しくも五井先生のお誕生祝賀会なのでした。
確か市川駅からバスに乗って、数分徒歩で道場に向かっていたのは、秋晴れの昼過ぎぐらいだと思ったのですが、何故か私の中ではずっと周囲が青色に染まった早朝というイメージが付きまとっているのです。
その行程が何か清々しい気持ちで一杯だったことが、そのように映し出していたのかも分かりません。
そして、"いよいよ五井先生とお目にかかれるのかi"という期待をもって、大勢の信者さんと共にその場にあって、隣からは「先生は体調が悪いので、ご登壇されないかもしれない」という、声も聞こえてきたのですが、私は"絶対に先生に会えるi"という確信をもって望んでいたのでした。
しかし、会が始まり、来賓の方や講師の先生、当時五井先生の後継者、現白光会の代表である昌美先生の話などが続き、大分待ちくたびれてきました。
又、その中で"五井先生は今世紀最大の聖者ですi"とか、やたらと先生を持ち上げる話にだんだん辟易させられたりしました。
特に青年部主宰による五井先生を讃える寸劇ときたら、もうクサイのなんの...こういうのは、M教団で散々見せられてもう沢山なのでした。
その後何度も、一年くらいは定期的に同場に行ってますが、こういう教団に特有の宗団心理におもねるような在り方に共感したことは一度もありません。
夕方近くになって、五井先生夫人Mさんの話があり、「いつも、人類の業を背負って苦しんでいる先生を見ているのがツラくて...」と、涙ながらに本心を吐露しているように見受けられて、私もついもらい泣きしてしまいました。
そして、ついに幕がパーっと開いて、実にクサイ演出だと思いましたが...ご登壇されたのですi
著書に載っている写真と違って、大分弱々しく見えたのにビックリしましたが、とにかく初めて実物の五井先生にお目にかかることが出来たのですi
そして、又確か「一寸今、しゃべれる状態じゃないのだけど、家内が一言とせがむので...」と、それこそ一言、二言内容は先の言葉以外は覚えてませんが、先生の肉声を聞くことが出来たのですi
この間私は涙でグショグショ...一時の感情かも分かりませんが、嬉しさや懐かしさやらが混じったものが込み上げてきて、さっきまでのクールな態度など吹き飛んでしまったのです。
覚えている限りでは、こういう形で先生にお目にかかったのは、あともう二回、肉声を聞いたのはあと一回だけだったと思います。
思えばこの初めての先生との出会いは実に貴重なことだったのです。
しかし、私にとり五井先生は既に雲の上の人だったと言わざるを得ません。
もし、もっとお元気だった頃、面と向かってお会いしていたら、先生の印象は違うものになっていたかもしれません。
こう書いてみて、思うことはただ著名な宗教家と実際に会ったということだけだったのかも分かりません。
私はやっぱりクールな性格で、その後この当時のような五井先生への帰依の感情も覚めてしまった訳でもあります。
でも、いつもこの時のあの早朝の周りが青みがかったような印象がずっと心の奥に残っているのです。
そして、その覚めた性格と相反するような、理屈なしに、ある方に惹き付けられてしまうという...それも一面には違い無いのです。
人生の局面には、見える景色は移り変わってしまうものだけど、その深部にはずっと変わらず息づいているものもある...40数年前を今に...そんなことをふと思わされております。
初めて千葉県の市川市にあった、聖ケ丘道場に行ったのは、昭和52年晩秋の頃で、その日は奇しくも五井先生のお誕生祝賀会なのでした。
確か市川駅からバスに乗って、数分徒歩で道場に向かっていたのは、秋晴れの昼過ぎぐらいだと思ったのですが、何故か私の中ではずっと周囲が青色に染まった早朝というイメージが付きまとっているのです。
その行程が何か清々しい気持ちで一杯だったことが、そのように映し出していたのかも分かりません。
そして、"いよいよ五井先生とお目にかかれるのかi"という期待をもって、大勢の信者さんと共にその場にあって、隣からは「先生は体調が悪いので、ご登壇されないかもしれない」という、声も聞こえてきたのですが、私は"絶対に先生に会えるi"という確信をもって望んでいたのでした。
しかし、会が始まり、来賓の方や講師の先生、当時五井先生の後継者、現白光会の代表である昌美先生の話などが続き、大分待ちくたびれてきました。
又、その中で"五井先生は今世紀最大の聖者ですi"とか、やたらと先生を持ち上げる話にだんだん辟易させられたりしました。
特に青年部主宰による五井先生を讃える寸劇ときたら、もうクサイのなんの...こういうのは、M教団で散々見せられてもう沢山なのでした。
その後何度も、一年くらいは定期的に同場に行ってますが、こういう教団に特有の宗団心理におもねるような在り方に共感したことは一度もありません。
夕方近くになって、五井先生夫人Mさんの話があり、「いつも、人類の業を背負って苦しんでいる先生を見ているのがツラくて...」と、涙ながらに本心を吐露しているように見受けられて、私もついもらい泣きしてしまいました。
そして、ついに幕がパーっと開いて、実にクサイ演出だと思いましたが...ご登壇されたのですi
著書に載っている写真と違って、大分弱々しく見えたのにビックリしましたが、とにかく初めて実物の五井先生にお目にかかることが出来たのですi
そして、又確か「一寸今、しゃべれる状態じゃないのだけど、家内が一言とせがむので...」と、それこそ一言、二言内容は先の言葉以外は覚えてませんが、先生の肉声を聞くことが出来たのですi
この間私は涙でグショグショ...一時の感情かも分かりませんが、嬉しさや懐かしさやらが混じったものが込み上げてきて、さっきまでのクールな態度など吹き飛んでしまったのです。
覚えている限りでは、こういう形で先生にお目にかかったのは、あともう二回、肉声を聞いたのはあと一回だけだったと思います。
思えばこの初めての先生との出会いは実に貴重なことだったのです。
しかし、私にとり五井先生は既に雲の上の人だったと言わざるを得ません。
もし、もっとお元気だった頃、面と向かってお会いしていたら、先生の印象は違うものになっていたかもしれません。
こう書いてみて、思うことはただ著名な宗教家と実際に会ったということだけだったのかも分かりません。
私はやっぱりクールな性格で、その後この当時のような五井先生への帰依の感情も覚めてしまった訳でもあります。
でも、いつもこの時のあの早朝の周りが青みがかったような印象がずっと心の奥に残っているのです。
そして、その覚めた性格と相反するような、理屈なしに、ある方に惹き付けられてしまうという...それも一面には違い無いのです。
人生の局面には、見える景色は移り変わってしまうものだけど、その深部にはずっと変わらず息づいているものもある...40数年前を今に...そんなことをふと思わされております。
五井昱修氏が死んだのは、人類が滅びるカルマを一身に受けた故なのであろうか。
彼は癌化による損傷を受けておられた。
あまねく聖化による問答と帰依。そして霊能による病気治しと救い。そこには、人類のカルマとは別に対抗する魔、坑魔が働く。更に人から煽てられ尊敬される増長の流れが彼を殺した。
聖人やヘチマや、救世主などの解釈は人の思想範囲。
天寿の全うとは、人類からの尊敬など何の役にも立たない。なんせ、神のお役に立たねばならない。
即ち多くの善良な人々への聖なる感化も、人を依存へと貶める地獄でしかないのかもしれない。
宗教とは金星ルシファーである由縁に。