人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

幸福と導き

2024-09-15 09:25:56 | ガイダンス
先日、ラジオの深夜番組で脳内物質ドーパミンについて語られていました。
それは、なにか幸福を感じた時に分泌されるものらしいのですが、新たな研究によると、それはその感覚に基づいてある行動へと導くという性質があるとのことです。
それを聞いて私は、その二つのことは分けられないものではないか、とどうしても思わざるを得ないのでした。
つまり、人間の行動を促すものは、幸福感であり、それを感じる方に赴くということ、生来から、本能的機能からして人間は幸福を求めるように出来ているということなのでしょう?
このことに対し、自分の幸福ばかり追求したりするのは、自己中心的な在り方ではないのか?、とか倫理的なことを持ち出すのは、別の問題であり、第一それが本能のレベルとなっては如何ともし難いことと言わねばなりません。
これに照らせば、人間が幸福を追求すること自体悪かろうはずなどない、と言えるでしょう。
しかし、そもそも幸福とは何か?、それが肝心なことなのです。
先の、自分の幸福ばかり追い求めてみて、人生の常道から言っても、その通りにならないのが普通でしょう。
幸福というものが自分の利益、快楽と結びつけられるならば、これが正に自己中心の欲望の充足ということになるでしょう。これを促すものがそのドーパミン効果なのでしょうか?
何か油ぎったようなものが分泌されるのを感じこそすれ、それが幸福の実現にはつながらないと私には感じられます。何故ならば、それは何らかの不都合が生じて自滅の道を辿るだろうから!...
要するに、その根本的幸福感と自分のみに偏りがちな利益、快楽とは異なるものだ、ということなのです。そのことは、それらを追求することで、心の底から、自己の内奥から幸福を感じられるかどうかで分かることです。
幸福というものは、さも”これを得れば、こうなったら...”という幸福を思い描いている状態とむすびつくものでは無いのです。それを得ずとも、そうならなくても、それは感じられる!...それが根本的幸福なのです。
現に今、特別なことは無くとも私にはハッキリと感じられます。”幸福だなあ!”、と。
そして、明らかになるそういう状態に導くものがあるのが!
私は、ずっとここで、見えない導きについて触れて来ました。それは、愛、平安、リアリティ(これらが幸福そのものでなくて何であろう!)をもって導くのだ、と。
それは、自然とそういうものが現前している方に、すべての私が赴かざるを得ないということなのです。
これはね、もう本能からして脳内にそういう風にプログラミングされてることなんですよ!...って、それは、専門の科学者がナントカ、カントカとか言ってるだけなんであって、そんなこた、知らないですよ!
仮にもし、こういうことが、脳内物質だけのことで説明されることが実証されたとしたら!
すべての宗教は、ドーパミン信仰に統一されるであろう!
いや、とにかくこれは、科学では見えない領域のことなんだ!
科学者は、幸福そのものと行動とは、分析的に分けて理解するのだろうけど、これは、行動とか思考とかのことでなくて、より根本的には意識と関わることなんです!
このことは、肉体とか精神に分けられる部分的な私でなくて、すべての私、私の神にしか分からないことでしょう!...


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