「カラオケを歌う時はね、デカイ声出すとか、あんまり自分を全面に出さないで、何ていうか、自分は一歩下がって、何かにこっちが引き出されるような感じになるのが快感なんですよi」(先日の会話から)
何ごとでもそうなのですが、私は、例えばこうしてものを書いている時でも、自ずと中から出てくるようなものを感じて、それに乗っかるように表されることで、充実感を覚えることが多いのです。
そうすると自分でも思っても見ないような、歌なら声なり、節まわしなり、作文なら言葉なり、文章なりが出てくることがあります。
自分から出よう、出ようとすると、かえって空回りになったり、先日の日本人によるボクシングの世界戦の大一番の時のように、予期せぬカウンターをもらってしまうこともあります。(田中選手、勝ちを急いだな...)
私が出るより先に、私の前にあるものに向き、乗っかる...そういう私は自分であって自分でない感じがします。
これがホントの"前向き"ってことじゃないでしょうか? それで今よりよくならないはずがありません。
何かネガティブな、善ろしくないことに思いが囚われて、心持ちを変えようと、自分からプラスなこと、明るいこと、善きことを思おうとしても中々前向きにはなりません。
かえってヘンな力みが出たり、ホントは思いをずっと引きずっていて、後向きになってるくせに、前向きだ、プラス思考だ、と思い込もうとしたり...ある、ある...アタシャ、もう懲りたわi
ホントに向けるべきものは、私が出るより先に出てくるものなのです。それで、自ずと心持ちが変わったりするのです。
すると...もう、パッと意識が向くと、こっちはその出てくるものによって抑えられ、傍らに追いやられる感じになってしまう...と同時に、それに乗っけられてしまうのですi(これはね、こうして書いている最中のことなのですよi...ああ、もうたまらんi..."えくすたしい~っ"...)
おほん...逆説的ですが、自分が抑えられなくなってしまいそうです。じっとしておられんi
私がどうして外に出たがるか、分かって頂けるでしょうか?
突然、文章が乱れること分かって頂けるでしょうか?
この、出てくるもの...私であって私でないもの...
外に出るったって、元々密なところはキライです。二人だけの親密な関係の邪魔ですから...
今年はもっと濃密に、前向きで行きたいと思っています。
何ごとでもそうなのですが、私は、例えばこうしてものを書いている時でも、自ずと中から出てくるようなものを感じて、それに乗っかるように表されることで、充実感を覚えることが多いのです。
そうすると自分でも思っても見ないような、歌なら声なり、節まわしなり、作文なら言葉なり、文章なりが出てくることがあります。
自分から出よう、出ようとすると、かえって空回りになったり、先日の日本人によるボクシングの世界戦の大一番の時のように、予期せぬカウンターをもらってしまうこともあります。(田中選手、勝ちを急いだな...)
私が出るより先に、私の前にあるものに向き、乗っかる...そういう私は自分であって自分でない感じがします。
これがホントの"前向き"ってことじゃないでしょうか? それで今よりよくならないはずがありません。
何かネガティブな、善ろしくないことに思いが囚われて、心持ちを変えようと、自分からプラスなこと、明るいこと、善きことを思おうとしても中々前向きにはなりません。
かえってヘンな力みが出たり、ホントは思いをずっと引きずっていて、後向きになってるくせに、前向きだ、プラス思考だ、と思い込もうとしたり...ある、ある...アタシャ、もう懲りたわi
ホントに向けるべきものは、私が出るより先に出てくるものなのです。それで、自ずと心持ちが変わったりするのです。
すると...もう、パッと意識が向くと、こっちはその出てくるものによって抑えられ、傍らに追いやられる感じになってしまう...と同時に、それに乗っけられてしまうのですi(これはね、こうして書いている最中のことなのですよi...ああ、もうたまらんi..."えくすたしい~っ"...)
おほん...逆説的ですが、自分が抑えられなくなってしまいそうです。じっとしておられんi
私がどうして外に出たがるか、分かって頂けるでしょうか?
突然、文章が乱れること分かって頂けるでしょうか?
この、出てくるもの...私であって私でないもの...
外に出るったって、元々密なところはキライです。二人だけの親密な関係の邪魔ですから...
今年はもっと濃密に、前向きで行きたいと思っています。
先日、27日の夜に喘息発作を起こした母を救急車で病院に連れ行った時のこと。
その時、二人の自分がいたような気がします。
妙に冷静で落ち着いてテキパキと準備を整えている自分。
ふと、振り返るといつもの心配性の自分もいるのですが、比率が小さくなっているのがわかりました。
何だか不思議な体験でした。
でも、それを思い出す度に、勇気や平安を感じます。
どっちが真の自分で、ニセ?の自分というよりも、二人の自分が切り離されてなくて、より密になるというか、一体感から安らぎが感じられるようです。
それはいわゆる、自我と真我。
顕在意識と潜在意識。
そういったことですか?
どうしたら一体になりますか?