人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

天と地が結ばれたi

2021-08-21 13:19:11 | 日本的霊性
「えびすさま あらわれいでてめにみせて ときのきたるをあかしたいかな
れいとうの まことのいのちうけひなせ みちをあゆめるこのはなのみち
このはなは てんちのなかをとりもちて このよのしんのみはしらをたつ
このはなも みのりのときとはいりたり てんちをむすぶみはしらのもと
(昭和54年1月.要之神示)
奇稲田の 姫の働き要神 天地を結ぶ要なりける
北辰の気を受けて立つ来日山 巽に向けて天日鉾千早振り 十二方に光の扇打ち開き 岩裂根裂底津磐根の神ぞ、魂振り起こすなり(昭和54年3月.要之神示)」

福の島恵比須大国打ち出の小槌鳴り出て
此花の梅香に誘われ大淀渡る千鳥橋
姫島の天日鉾の御宝明かすあかる姫
須佐鳴の神剣太刀て岩根の幕開かれん
天地の結び要なる奇稲田姫の御顕れかな

天の時、地の機、人の恩、親の恩...そしてみ魂親の恩...
あの時、あそこに居なければ、ああいうことは起こらなかったかもしれない
いや、いつどこに居ても起きていたかもしれない
たとへ、人生につらいこと、無駄と思えるようなことがあっても、そこに見えない網目のように何かが仕組まれているのかもしれない
人の世は、縁が結ぶことなしに何一つ実ることはない
見たまま、思われたままの人生だけでは、その隠された仕組みのことはわからない
思うこと、為すことだけが人生なのではない
たとへ、日蝕のように、日の光が黒雲に覆われて遮られるようなことがあっても、"もはやこれまで"と諦めてしまうようなことがあっても...
その暗闇の中に閃光一閃、見えない雷の如き光が大地を貫き、そこからそれまで全く知られていなかった、人生の秘密が開示されることもあるかもしれない...

火の雨、霊の雨...
火の柱、霊の柱...
天と地が結ばれたi
本と末が結ばれたi
み魂親が顕れたi











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真夏のあつい日

2021-08-19 10:31:26 | 回想
昭和58年8月下旬、私が初めて神の手に捉えられて、人生の裏側へと踏み込んでしまったことは、あまりにも唐突なことでした。
その頃、何か精神的に進境があったのかというと...相も変わらず、そうは見えない、冴えない営業マンをしていたのです。
その後、数度その時の爆発的なものではないにせよ、同様なことがありましたが、"今日は何だか特別な日になりそうだなあ"、とその訪れを予感させることもあるのです。
とにかく、その日は、"特別"体調が不調で、そんな予感に浸っている余裕など無かったのかもしれません。
そうなる思い当たるフシというのは、全然無い訳ではなく、その頃小池先生のキリスト召団の大阪集会に行っていたのですが、確かその前日の集会で(ということは、その日は月曜日で間違いないi)、そこのボス(i?)である、U先生から按手(キリスト教に伝わる手をかざして、ある種の霊的エネルギー交換の媒体をすること)を受けたことがあり、あるいは、それが霊なる力を呼び起こしたのか、とも考えられるのですが、それは何度となく受けており、その時も、いずれの時も特に感応したということは無かったのです。
いや、その集会で、ある種の覚醒体験とも考えられる、"聖霊のバプテスマ"に与ったということも無かったのです。
(ただ、ああいうことがあって、"これが聖霊のバプテスマというものなのかあi"、とは、どっかで思いましたけど、主イエスに会うとか、特にキリスト教に結びつけられるものはありませんでした)
いや、もうとにかく、朝から熱っぽく、頭痛がしてシンドかったのです。
午前中はまだマシで、大阪、此花区で、私の一番のお客さんのところで仕事を終えて、次は大淀区の方を目指す予定が、先方の都合で午後に延びてしまったのです。
"ああ、シンドい...早く仕事終えて帰りたいよおi"...昼頃は、急につらくなり、阪神電車の千鳥橋駅前のファミレスで休もうとしたが、あいにく満席i...もう、立っているのも我慢出来ず、花壇のある休憩所に座ることにしました。
すると、しばらくして..."幸福になるお祈りをさせてもらってもいいですか?"、と新興宗教関係らしきお姉チャン(オバン?)が寄って来たので、私はうっとおしかったのですが、断る元気もなく、黙ってうなだれていたら、勝手に手かざしを始めたのです。
"それ、浄霊って言うんでしょ?...聖霊がどうとかじゃないよね?"...まさか、これがあの霊的覚醒を引き起こしたのか?
そんなことは多分無いでしょう。私はつらくなって、すぐうとうと寝てしまいました。
起きてから、多少元気になったので、次の訪問先を目指しました。
しかし、大淀区のそこは、陸の孤島みたいなとこにある...電車は近くを通ってない、バスは一時間に数本...よって歩いてゆくことにしました。
真夏の炎天下...暑いi...熱中症で倒れてもおかしくない上に、熱い、頭が痛いi...
やっとこさ、仕事を終えた時は、夕方近くになっていました。その日、その二ヶ所以外にどこか行ったのかもしれませんが、記憶にありません。
時間の経過が遅すぎる...何してたんだろ?...何にせよ、ながーく、つらい1日だったのは確かなことです。
そして...「遅いi、どこほっつき歩いてたんやi」会社の事務所に戻るなり、親会社の専務から怒鳴られる...
しかし、私にはそんなことに構っていられることなど到底出来ませんi
経験したことの無い事態に見舞われていたのですから..."何も考えられない、何も為すことが出来ないi"...
と、こういう事情だっただけに、あれは原因不明の高熱、頭痛によって引き起こされた、一種の幻覚症状だったとみることも可能なのです。
実際、私がそのことを封印しようとした時は、そういうことにしようと、敢えて思おうとしたのです。
だけど、私がその時に目の当たりにした、愛、平安、そしてリアリティというものは、それまでの人生こそが夢、幻覚に等しいということを感じさせるのに十分だったのです。
高熱、頭痛に見舞われたことは、この日以外にも何度もありますが、そういうものに与ったことは一度もありません。
あの暑い、熱い1日のことは、つらかった、シンドかった、という記憶はあっても、今具体的にそのことは感じられません。
しかし、あのじんじんと神の手が迫る感じこそは、今もアリアリと身に覚え、私の中に息づいているのです。

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千鳥橋の夕日は美しかった...

2021-08-17 11:30:11 | 回想
誰しもが、人生で後悔していることがあるものでしょう。"後悔先に立たず"って言うけれど、いつもそのことを振り返させられたりするものです。
私にとってその一つは、大阪で働いていた頃、私の一番の得意先の方に東京に帰ることになった際、キチンと、それまでお世話になったことへの感謝、御礼をしなかったことです。
もうとにかくその時は、年末である上に、急にそういう話が決まって、引っ越し準備とかなんやらでテンテコ舞いでして...って言い訳にもなりませんが...
私はその時営業マンをしていたのですが、その会社は大阪、此花区にある中小企業で、親会社の顧客だったものを私が引き継いで担当をさせてもらっていたのです。
私の前任者のじいさんと初めてそこを訪問した時は、杜撰な管理、サービスが要因で、契約打ちきりのピンチに立たされている状態なのでした。もし、そのまま打ちきりになっていたら、私の関西での生活はおそらく途中で挫折していたでしょう。
私はただペコペコ頭を下げていただけでしたが、その場はその社長さんとじっ懇の関係だった、親会社の専務の口利きで、どうにかなったのでした。
とにかく、世間知らずの私が、どうにかこうにか社会人(らしきもの)の空気を吸うことになり、キチンとしたそういう教育も受けていないにも関わらず、ネクタイの締め方から、電話の応対の仕方、失礼の無い接客態度とか、基本的なマナーについて教わったのは、大阪の"高額納税者名簿"にも載っている、地元の名士の、その社長さんからだったのです。(もっと多く接していた、零細企業の社長さんと違って、"もっと、勉強せんかいi"、なんて言葉はついぞ聞いたことありません。大いに勉強になりましたよi)
そんな私を先の件もあるというのに、それから大阪を離れるまでの20年以上もよくお付き合いさせてもらったものだなあ、と思います。
その会社の専務兼経理の社長夫人と初めて会った時は、何かのミスで、鬼のような目つきで睨まれ、きつーくお叱りを受け、"おお、コワ~i"、とさっさと引き上げた記憶があります。
しかし、そう感じたのはその時だけで、集金などで会う時は、大概長居をすることが多かったです。
夫人はとても話好きで...雑談、親会社の人間の人となりのこととか、あまりおおっぴらに話せないことでも、訊かれたら、「いやあ、それは一寸...いや、実はですね...」と、何でも答える私...横でそれを聞いていて...「は、は、は、そーかいな、ホンマか、それはi」と、笑っている社長...という具合に付き合わされてしまい、私も結構楽しい思いをさせてもらっていたのです。
商店街をブラつくのが趣味ということで一致して、大阪の商店街談義が多かったですかね。横で忙しそうにしながら聞いていた社長からは「君はちゃんと仕事しとるんか?」と言われたりしましたが、「も、勿論ですとも(片手間に...)」と答える私。
その会社に行った折、暇をみては近くの千鳥橋や四貫島の商店街をブラついていたものです。
やがて「USJ」が出来た頃は、夫人から「もう、行かれました?」とよく訊かれましたが、一度も行ってません。
ある時、社長から「君はちっとも営業マンに見えんなi」と多分、見たまんまのことを言われたことがあったのですが、夫人からは「そこがいいのよ、貴方は...私は気に入ってるわ、何かフツーの人には感じないものを感じるわね...」と、援護をするように...
このヒトはどこかそういう風に、人の性格を感じ取るようなところがあったようですが、社長からは、いや、多分それ以上に夫人から結構信頼されていたようです。
又ある時、社長のデスクの上に、原始福音の雑誌「生命之光」の特集号が置いてあったのを見たことがありましたが、社長に、ある種の人生哲学、経営哲学に造詣があることを伺われたことは多々あったものの、信仰のことととかは知りません。夫人から聖書の話をチラッと聞いたことがありましたが、あるいは...しかし、分からずじまいです。
ともあれ、社会の荒波にもまれたことも、時折思い出すこともあるのですが...いや、大阪で働いていた20数年間、荒波にもまれたことなんか一度だってあっただろうかという気さえしてきます。
"大阪はイヤだ、水に合わん、東京に帰りたいi"、といつも思っていたものですが...その東京に帰って来た時の方が、よっぽど人生の厳しい場面に向き合わされたのではないか、と思えます。
この縁を初め、感謝を忘れてはならないでしょう。
その会社の帰り、確か平成10年、盆明けの頃だったでしょうか、千鳥橋から大阪湾の方を望み、夕日がとても美しかったことが思い出されます。

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最愛のものに次はないi

2021-08-15 10:06:34 | 
最愛のもの...
何が自分の最愛のものなんだろう、って...
考えたって分かりゃしないi
出会った瞬間に分かるもの
右コ左ベンもなく、そっちに行ってしまう
選択の余地がない
最愛のもの...一番愛しているもの?
二番は?...次は?
次なんてない
一も二もない
最愛のものしかないi
唯一無二のもの
それはこの世のものなのだろうか?
今生で会えるものなのだろうか?
だから...
何度生まれ変わっても、出会える保証などないi
その一瞬を外す訳には行かないi
あれやこれやじゃないi
どうしようか、こうしようかじゃないi
選択の余地がないのだi
この次は?...
次はないi

最愛のものとの相愛の瞬間...

いつも一番大事なものが通り過ぎてゆく気がする...
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幸福は誰のものでもない

2021-08-14 11:01:31 | スピリチュアル
私は、人生で最良のものを手に入れてしまったのです。
これさえあれば、たとえ私がどんなにダメで、ミジメでも、人が何と言おうが、幸福で居られるのです...。
なーんてこと、思っているうちに、その幸福はその手からスルリと抜けてゆくだろう...それは手に入れることなど出来ないのだから...(私は前の記事で、結論めいたことを書くと、すぐにそれを又解かしちゃうようなことを書くことを、性懲りもなく繰り返す性分があるのです)
だけど、そういう風に感じちゃうってのも事実ですよ。ですから、これはね、そういうものに"与る"ってことなのです。
与るってことは、私のものじゃない。そう、無いi...無に与る、ってのもヘンな言い方ですが、ああいう至福感というものは、無と隣り合わせのものなのです。
"私が思っていたことも、為して来たことも無に帰してしまったi..."そこから開かれてゆくものなのですから...
それは無化するハタラキにより、文字通り、思いや為そうとする意志が無力化してしまうことですが、同時にその"一個なる自分というものは、それだけで存在していない"、という意味で、無であることをも目の当たりにさせられるのです。
私という個は、有機的つながりにおいてある、ということ...個的なものと、普遍的、全体的なものとは相依、相則していること...これは仏陀が縁起というもので説いていたことです。
こういうことは、近年、"ホロン"という概念で、ニュー.サイエンスとか、トランス.パーソナルと言われる方面などでも究明されて来ていますので、多くの人に知識的にも理解されているのでしょう。
では、悟りというものは、そういうことを知的にではなく、思いを超えた意識の次元で目覚めることなのでしょうか?...誰が?、誰に?
私という個は、普遍なるものとつながっているのだから、私だけで悟るということは無いのでしょう?
もっと肝心なことに触れてみましょう。
思いや人為的なものが無になる...個と普遍の有機的つながりのことが示される...このことが分かったというだけなら、知的に分かることとどう違うのでしょうか? 
"それはだから、表層的知性レベルか、深層的意識レベルの違いだi"、と言われりゃそうなのかもしれませんが、ただそういう説明を受けただけでは、肝心なことは伝わって来ません。
誰が悟るのか分からないことは置いといて..."愛と平安"、それに与れるかどうかが肝心なことなのです。
そもそも、無に与る、つながりに与る、こういうことは、思いを超えたものによってしかもたらされることが無いはずのものです。
少なくとも私は、愛と平安をもたらすもの~神的なものに与ること無しに、何かの真理を究めようと意識が赴くことはありませんでした。
そのことは、ああいう体験をする以前から感じていたことで、その体験を通じて、そのことをより目の当たりにさせられたとも言えるのです。
そして...神的なものは私することが出来ないi...それは無と隣り合わせのもの...このことから予感させられるものがあります。
私のものでなければ誰のもの?...私が人生で最良のものに与るということは、誰のものでもなく、あらゆる人もそれに与れるということではないのでしょうか?
神的なものにあるということは、私とすべてのものは、切り離すことが出来ないということなのだから...

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