人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

「私」意識と真我の探究

2023-01-15 09:24:00 | 求道、探究
「《私は在る(I AM)》とは神のことであり、《私は神である》と考えることではありません。《私は在る》を実現しなさい」
(「ラマナ.マハルシとの対話第2巻」/ナチュラルスピリット刊)

私は今、後悔しています...。
だから言わんこっちゃない!...秘伝みたいなもの公開するんじゃなかった!...
おかげで、今朝”あの御方”に私が捉えられて、二度と戻って来れなくなると思ったじゃないの!
最初はものは試しで、ってノリだったのが、こんなに強力なものだったとは!
”私そのものを意識してみる”
意識するとか言うのは、実は意識するとかしないとかってレベルのことじゃなくて、即そうなるというようなことなのです。
別に言葉は”神”でも、”主”でもいい。そうなればいいのです。ただ、なんであれ”私は在る”という”原実存”(思弁で捉えられがちな実存と区別してこう表してみます)と切り離されるものではないのです。
ただちにあの現臨感覚が呼び覚まされ、ひいてはそれに捉えられ、飲み込まれることにもなりかねませんので、御用心!
私はどうしても、これをラマナ.マハルシが推奨していた、常に”私は誰か?”と尋ね続ける、真我の探究の道と関連付けたくなるのです。
私は少しかじったことがあるのですが、やり方が悪かったのか、どうしてもそのような尋ねようと思う私、為そうとする私が意識下に残り続ける感じがあったり、普通それを遂行することで、そうなるであろうように、”私は誰其れという名前ではない、肉体ではない、心ではない...”と、どこまでもナイナイづくしが果てしなく続くようで、やはり思いが超えられない感じがしてしょうがなかったものです。
いや、ラマナが言わんとしていたのは、ダイレクトに「私」意識に尋ねようとしたのではなかったのではないでしょうか?
考える私、為そうとする私が主導であっては何にもなりません。”原実存”とそれはけっして同一視されてはならないのです。
真我の探究は、ジュニアーナ.ヨガ(知識の道、考えるヨガ?)と関連付けられたりしますが、これがどうも私にはつまずきとなるようです。
私には、それはラマナが真我実現のもう一つの道、バクティ(帰依の道)と不可離のものとなった感があります。

それにしても、二カ月前、突如現臨感覚を失ってしまったあれは何だったのでしょう?
もしかして、”そういう時はこれを試してみろ!”と、あの御方からの私のための秘伝だったのかもしれません...。
コメント (12)
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神と思凝神

2023-01-13 10:15:15 | 
神という言葉は、一言で言い表せないことを表すのにとても便利です。
否、ホントは言い表すことなど不可能なのでしょう。思いを超えたものをどう言い表せるのか?
だから、神という言葉は一種のメタファー以上のものとはなり得ないものなのでしょう。
だからだから、その実体は捉えられないもの故、神に囚われるなんてことは、本来あり得ないでしょう?
然るに、それがかくも囚われに満ち、数多の混乱、相克を引き起こす要因になってしまうとは!
仏教などでは神という言葉は使いませんが、そうでなくとも使いたがらない人は多いようです。(とにかく、神という言葉は”垢にまみれている”と言える!)
囚われたくない、人間としての主体性を欠き、精神をそれ以外の何かに依存させてしまう、胡散臭い...理由はなんであれ、神という言葉を聞いただけで拒絶反応を示す人も見受けられます。
これは、神というもののその不可知なる本来性からかけ離れ、半解のまま捉え続けていることに依るのでしょう。
それが不可知の、分からない、捉えられないもの故に、我々の思念の囚われに、その周囲への感染に猛威を振い続ける...そうです!...それはあの思いを超えたものの消息を全く開示することは無いのです!
宗教的狂信者に代表されるように、彼らの語る神は、その観念、信念なりの投影であり、思いが凝って、あたかも実体を帯びた神の如くに脳内に鎮座し続ける(強固な実在信仰がある)、言わば”思凝神”に過ぎないのです。
故に狂信者ほど神に、精神的な目覚めに遠い者は居ないと言うのです。彼らはずっと睡眠状態に置かれているようなものだから!...
そして又、彼らは素のままの、ありのままの自分、自己実存に中々意識を向けることが出来ないようです。それを受け入れることは、彼らの信じるその思凝神のご意向に添わないと思っているからなのか?
その神は常に正しく、その信仰、信念から外れてはならないように命じているのだろうか?
宇宙の最高神の支配する世界はかくも狭く、自由の無い、普遍性からかけ離れた世界なのか?!...
こうなると、とても”私は正しい神を信じているのです!”などと言う気になりません!
私は神など信じちゃいません!...信じなくてもいい!
ありのままの自分を受け入れられない、信じられないと言うのなら!...しかし、それ自体、自分からは受け入れられないではないか?
思いの限界内の自分からは!...思いを超えたものを受け入れずには!...
神は実存と切り離すことは出来ない!...ここからズレたところに妄信、狂信がはびこるのです!
お分かりのように、実なる(実存的)神のことは、思凝神のことをそのままひっくり返せすことで示されると言えるのです。
然るに、信じる神の世界は、もう救いようの無い状態ではないか?
だから、救われないと本当に感じたなら、救いの道は開かれる...かもしれません?...


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「私」を意識してみる②

2023-01-11 09:47:00 | 意識、照明
神と一つになるにはどうしたらいいか?
それには秘伝のようなのは有るのか?

私は勿論知りません!...たとえ、あったとしても軽々しく言う訳ないでしょう?
二月くらい前ですが、私は現臨感覚を突然失うというハメに見舞われたのです。
その前、ここでどういうことを書いていたか?...“ついに、秘伝が明らかに!“とか何とかデタラメなことだった気もするが(知っているのか?)...あれは確か...忘れちゃいました!

し、しっかし...もう、懲りたわい!...うっかり言うもんじゃない!...“「私」を意識してみる“、な~んてことを!
これが秘伝?...まさか?!...誰も真に受けてやる人間居ないだろ?
そう、やったって掴みどころ無いし、どっからやっていいか分からないし、出来ない…やれない!
私を意識してみる、なんて漠然とし過ぎてる。
如何に何かを思おうとしても、為そうとしても、その自分の限界を思い知らされるだけ!
んじゃあ、その現前に立ちはだかる壁をとっくりと体感してみる!
そして、思いを超えたものに与るなんてこた、キッパリ諦めること!...もう、お手上げ!...そう、断念することが肝心!
現前の壁!、え?、現前の!...何が現前しているのか?
雑念は勝手に出て来るが、能動的に考えたり、イメージを膨らましてはならない!...壁を、限界を体感してみる。意識がそこに向けられる...
すると、現前にあるものは、その向こうにあるもの、つまり超えたものと一枚のものであるということが体感されて来る!
限界があるということは、それを超えたものがあることを予感させずにおかない!
肉体の私、精神の私、考える私、為す私...諸々の要素に分離、限定されない私そのものは、それらを超えて現存している!
考え、為すだけのものが私なのではない!
現前には、思われた私を超えたものと一枚の私が在る!...(以上、私による私のための覚え書)

というようなことを賢明なる読者は、迂闊に試みたりはしないでしょうね?
それは魔道ですよ!...その先にある魔境に踏み入れたら二度と戻って来れなくなりますよ!
誰かさんのように、人生の落伍者になってしまいますよ!
それでもと言うんなら、やって出来るのならやったんさい!
忠告しましたぞ!(←こういうことは予め書くことじゃないのか?)


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自然に、迷いなく...

2023-01-09 09:32:35 | 求道、探究
世の中には、色々な情報が飛び交っています。
精神的な道においても、この教えが、メソッドが正しいというものがいくつもあるし...一体何を決め手にしたらいいのか?
又、あるグループに関係していて、そのグループの在り方に疑問を感じて、その指導者なりに相談してみたが、よくある話で、”あなたは自分の思いで我々の在り方に疑問を抱いているようだ、それはあなたの”我”なんだから、打ち消すようにして、我々の真実の道に従って行けばいいのです!”、と説き伏せられたりします。
その周囲にもヘンな同調圧力がかかっていたり...でも、どうしてもその疑問は拭い去らないものを感じているのだけど、無理にその在り方に合わそうとしたりとか...ありませんか?...ありましたねえ、ろくな思い出しかないですよ!
もし、そこの創始者なりがマトモな教師なら、きっとあなたの疑問にマトモに向き合い、応じようとするでしょうが、その存在亡き後とか、グループが大きくなってしまった時などには個々の人格性に歩み寄らない、集団におもねった別の力が働くということをまず知らねばなりません。
まあ、私ならそんなメンドクサいことに関わるのはイヤだから、そんな団体、サッサとおサラバでしょうね?...私は本音で向き合いたい!、それが出来ないなんて!、まっぴらゴメン!...それが私の本心から来るのか、自我の思いから来るのか分からないけど...
考えるのはいいけど、結論は自分の考えで出さないほうがいいでしょう。余計な思惑が入ったりしますから...
本心からかどうかはともかく、そこに自然に、何らの遮るもの、滞るものなく、す~っと、吸い込まれるように意識が向いてしまう、あるものが感じられるかどうか...私でしたらこれが決め手になります。
こういう感覚は実際に大調和協会というグループで、命位様と相対した時にテキメンに感じたことなのです。その方とは何度も本音をぶつけることが出来、それに応じて下さったこと、とても感謝しています。
ああいうのは、考えている自分からは出て来たりしません。知らず知らずに意識に根付いていたのです。
自然に、障りなく...何も滞るものがない、迷いがない!...余計なものが入る余地はない!...義理も、忖度も、実用性も、主義も、メンツも...そんなものはすべて...
”関係ないね!”
あなたの真実は思いを超えたものによって分かります!...その時、自然に、迷いがなくなる!
だから、誰かが、周りが、雑魚が言っていることじゃなく、祈りをもって、あなたの神、主なるもの、真の導師に尋ねたらいいのです!
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信じられない!、この人生!

2023-01-08 09:54:24 | ガイダンス
学生時代のある日、五井先生の白光会の道場で、そこの行事でもある、お浄めと人生相談をそこのおそらく霊能者であろう講師の人から受けたことがあります。
当時の私は、大学の勉強などそっちのけで、宗教や精神世界的なことを熱心に勉強?していたのでしたが、確か相談では、五井先生にも惹かれているが、そのルーツにも当たる宗教、大本教にも多大な関心を持っているのだけど、こういう専一でない求め方でいいのだろうか?、というようなことを聞いてもらったと思いました。
すると、講師の先生、ろくすっぽその相談内容のことに答えるでもなく、そうした私の在り方を窘め、見下ろすような態度で、“君は学生なんだからそっちの勉強をなさい!”、と言い放つだけだったのでした。
そして、(しょうがないな、という風に)型通りのお祈りとお浄めをしてもらって、終わってみると...先生、それまでの態度が一変してしまい、この一介の青二才に向かって幾分興奮しながら、“あなたは実に深く祈られているようだ!、大変な(守護の神霊から)お導きを受けてらっしゃる!、こっちが吸い込まれるようだ!...あなたはどうぞそのままで精進なさって下さい!“と丁調に言うのでした。
私は当時からその会の代名詞的とも言える、“世界平和の祈り“を専心に行じていた訳でも無いにも関わらず...ただ、当時はまだ現臨感覚というものは芽生えていなかったのですが、何となくこちらが自分を超えたものに吸い込まれるようにも、そうしたものに導かれ、守られている感じは持っていたのでした。
それから数年後、“大調和協会”の命位様と面談の席では何度となく、やはり“あなたは大変な導きを受けているようね!、とってもいいわ!、そのあなたを成就なさって下さい!”というような言葉を頂戴したのでした。
しかし...”あなたはどうもそのようには見えないんだけどねえ?”とそのこととは裏腹のようなことにも触れ、ある時は、“魂はとても澄んでいるのだけど、業が深いのね!”ということも言われたことがあります。
要するに、私という人間は全く大したこと無いのです!、問題だらけなのです!...あまりに業が深くてどうにもならないのでしょう。
しかし...守護の神霊だかどうかは分かりませんが、他人行儀でなく、我が主なるものは、その私には不相応ながらも確かな御方なのです!...勿論、私はそう確信してますが、かく私の主観だけで言ってるのではありません!
私個人のことなど、捨てておいても一向に構いません!...何でエラそうに、私“が”悟りの境地に段々近づいた、などと言えるだろうか!
しかし、今生で到底出会うはずのないあの御方に相まみえてしまったのです!
信じられない!、この人生!
そうなったなら、もうどうあっても、こうあっても、私が善かろうが悪かろうが、清かろうが汚かろうが...
只々我が主が益々顕わに、生きてハタライて下さること...それが私の祈りです!
私は吸い込まれるように、我が主の中に消えてゆくのみ...それで本望です!
私は元々無なのだから...

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