ブログの更新を毎日実践されている佐賀県武雄市の樋渡市長を見習って毎日更新を考えて見たものの、ネタ切れ続出である。無理に書くと嵩(かさ)上げした底蓋が見えてくるようで同好の士以外には理解しがたい趣味ネタでごまかしている最近である。そのようなことは読んでいただいているみなさんにはお見通しと思うのであるが、一年ちょっと経過したブログ経験を振り返った。
これまでの感想はこんなものである。 ブログは即時性と気分に応じた自由なテーマ選定が出来るのでストレスは感じない。 その反面、体系的な記録性に乏しくて検索エンジンで見つけた記事が自分の書いた文章であったという笑えないこともある。 自分の考えの一貫性のなさであるがブログのみにしておくとこんなことも生じている。 特に、テーマを思索的なものにすると自己矛盾をたびたび起こしそうなので避けているのが現状である。 レトリックで遊び回ると何でも出来るような気持ちになるのであるが、話題を「からくり」という具体的な現実論に閉じ込めておけば発散することも少ないようである。これが私の安全弁であろう。
話はがらっと変わるのであるが、これまで携わってきたコンピュータシステムの世界では「動くという結果が全て」であり、美辞麗句を並べたてても動かぬものは動かないのである。こんな世界で長年やってきたものだから歯の浮くようなお世辞や非現実論は大嫌いである。 が、このIT界にも大言壮語がまかり通るようになっており、本当に大丈夫なのだろうかと老爺心ながら心配である。(汗)
ブログとホームページの話から逸脱しそうなので軌道を戻します。(汗)
ホームページは更新までの準備等が意外に面倒である。特に新しい項目を起こす場合は気合が必要である。 その反面、自分の考えを体系的に残すことが出来るので分類、記録性ではブログに勝(まさ)っており、これまでの取り組んだことどもを整理された状態で手元に残せるところが捨てがたい。 私の場合は仕事ではなく趣味の成果をまとめているので自分で読んでも楽しいのが何よりである。 「趣味に限定しているのは大変惜しい、日本の損失である。」と酔っぱらっては独りで苦笑いしている。(笑) 物足りないのは直接のコメント機能がないのでメールでのご意見拝聴となることである。確かに、いただいたメールには大変貴重なものも多いのであるが、数は限られている。また、会話性に乏しい。 自分の書いたものがどう受け止められているのか、どう補正すればいいのか知りたいのは人情である。
その点では直ちにコメントの付くブログは記述内容の評価が直ちに出るようで怖い面もある。この結果自分自身の考えがコロリと変わって君子豹変するの面が出てしまっているかも知れない。ご容赦願いたい。
今後プロバイダ等のブログの運営者に望むとすれば、ブログで書いたものを整理しHPとして体系的に再整理するサービスである。寡聞にして知らないのであるがそのようなサービスがあればHPとの相乗りも考えてみたい。休み明けの今朝、こんなことをふと思った次第である。仕事はこの間ストップである。(汗)
言い忘れるところであったが、ブログの最大のプラス面は、新しい方々とネットワークを通じて知り合えることである。この点は、パソコン通信が出現し、オンライン、オフミで様々な方と知り合いいまだにお付き合い願っている人も多い。これに相通じるものがある。 新しい人的ネットワークの構築への効用には絶大なものがありそうである。 その反面、良薬は使い方一つで毒薬にもなることもあるのでその処方には細心の注意も必要と感じている。
日頃の所感を走り書きにしてみたが、ブログを楽しんでいるブログ名人の方々はどの様にお考えなんだろうか。