そうだ、本日は鐵道記念日だ。と云うことをTVの報道で思い出しました。本物にはあまり興味の無い鐵道ファンですけどさすがに記念日となると何かを書いておかねばとネタも無いのにこのブログを開きました。 明日は講義日なので資料を見直して印刷しているところです。その間に書いてますが、・・・・
日本國有鐵道からJRになって20数年経ったのでしょうか。前日に新橋駅ホームで鉄道唱歌が延々と歌われていた場面が放映されていたような記憶があります。
E電と云う定着しなかった言葉もこの時に採用されていましたが、いつの間にかコソコソと消えていきましたね。E電は文字変換でエデンとなりますが、ひょっとしたらこの意味も持っていたのだろうか?
先週土曜日に実は大宮の鉄道博物館に行っておりました。 退職者とその予備軍総勢9名が集まり老後の楽しみ方の勉強をしていました。(^0^) 久々の博物館は開業時と比べてだいぶ落ちついていました。ボランティアの案内人から実物展示場を説明して貰ったので知らなかったことの多いこと、勉強になりました。
15時からの見学だったので空いていたのかもしれませんが、そろそろぶらり旅の立ち寄りどころにしていいかもしれません。
説明はありませんでしたが、私だけニンマリしていたのが、特急富士の展望車デッキです。 内田百閒氏翁はこのデッキに飛び乗って臨時東京驛長の職を辞したと思うのですけど?記憶が曖昧だ。(^0^;)
これが展望車内部、とても普通の給料取りでは乗れない一等車でありますが阿房列車の百閒さんは借金しつつこれに乗ったのは快挙であります。
我々はしょぼくれて木造電車の座席に腰をかけて説明を聞いておりました。展望車との違いは歴然としております。 上京後この電車に乗ったことがありますが、その頃は南武線を走っていました。車内に金属製の掴まり棒、懐かしかったです。
その他見るモノ一杯で短時間での巡回は困難です。平日に腰辨当で行くのが一番のようですね。
連結器は現在手がけている車両の参考になりました。模型が本物通りになっていることを再確認しました。
と云うような勉強会を終えて大宮駅から天下の赤羽のネオンの海に消えていった我々でありました。もちろん勉強はこの後延々と続けられたのです。 皆さんご苦労様でした。
もう一週間近く経ってしまったのですね。時間の過ぎるのが早いこと。
さて、一週間不在だった家人も本日帰宅したので家事からは少し解放されるのかな? 仕事と家事と遊びの三者連立はなかなか難しかった期間でした。
明日は早起き、頑張って出かけます。