暑さがぶり返して些か参っています。14時から打ち合わせだったので余裕を持って散髪にいったところが、珍しく待ち行列でした。のんびり構えていたのですけど最後は急いでとお願いして何とか帰宅し昼食を終えました。計画を見る能力が落ちてしまったか?
それはさておき今日からの高校野球第1試合は有田工業対大垣日大でしたが、見事逆転勝ちの有田工業です。素晴らしい、我が母校の武雄高校も40年ほど前に出場したものの敗退しておりますが、大舞台での一勝は素晴らしいと思います。伯父の一人が有田工業でしたので草葉の陰で喜んでいることと思います。これで有田の街も元気を取り戻して貰いたいものです。
有田の街の雰囲気を古い写真から掘り起こします。
辻君ち。(^0^)
稗古場、報恩寺に寄り添う観音山の頂にある記念碑です。曾祖父の名前が刻んでありましたが、風化してそろそろ読めなくなっておりました。
どうでもいいのですが、曾祖父の家のあった辺りに残る煉瓦塀の残骸、古井戸もありましたが或いはと思って眺めてきた記憶があります。中樽です。
大正4,5年頃の曾祖父一族です。伯父が数名写っていますが、まだまだ子供、懐かしい祖母や記憶に無い祖父も居ります。有田に寄った時はこの曾祖父の墓参りもしています。有田工業を卒業したのは一番小さな子供で写っている伯父です。(^0^)
上有田駅で降りて坂道を下り、佐世保線直下のトンネルを抜けた先には古い有田の街並みでありますが、写しておりませんでした。(^0^;)
有田工業の勝利で嬉しくなり有田特集になりました。(^0^;)
意味不明ですが、突然の武雄温泉楼門です。現在大修理中。東京驛の設計者辰野金吾氏の設計であります。東京驛に足りなかった干支がここで発見されました
近所に住む高校の後輩、村島さんがこのお話を巧くまとめているので是非ともご覧下さい。
今日はこんなところでお仕舞いです。