昨晩の第67回羽田盃。
シャルフジンがすぐにハナに立ちましたが,向正面にかけてクライオジェニックが競りかけるような形になりました。2馬身差でリヴィフェイス。4番手にイルヴェントとカイル。2馬身差でフレールフィーユ。7番手にフウト。8番手にプライルード。3馬身差でミゲルとリコーヴィクター。11番手にライアンとナッジ。13番手にミヤギザオウ。コブラとファルコンソードは離れた最後尾を並んで追走。最初の800mが47秒4の超ハイペースになったこともあり,かなり縦長の隊列となりました。
競りかけてきたクライオジェニックを振り切ったシャルフジンは直線の入口では3馬身くらいのリード。この時点で2番手はイルヴェントでその外にリヴィフェイス。ただこの2頭はシャルフジンに追いつくには至らず,迫ってきたのは最内を突いたミヤギザオウと大外のライアン。この2頭がシャルフジンを差しての優勝争いでしたが,先に内から抜けていたミヤギザオウの優勝。ライアンがクビ差で2着。最後は疲れたシャルフジンは1馬身差の3着。
優勝したミヤギザオウは南関東重賞初挑戦での優勝。前走がクラシックのトライアルで3着に入っての挑戦なので格は下。このレースは大きく離された2頭を除くと,一番後ろにいた馬が勝ってその前にいた馬が2着と,超ハイペースの影響が大きく結果に出ました。しかも外を回った2着馬に対して内から伸びてきたという利もあっての勝利。ですから自ら勝ちにいって優勝争いができるのかといえば,必ずしもできるとはいいきれないところがあるでしょう。むしろこれからが試金石になりそうです。母の父はディープスカイ。
騎乗した大井の真島大輔騎手は川崎スパーキングスプリント以来の南関東重賞25勝目。羽田盃は初勝利。管理している大井の森下淳平調教師は南関東重賞15勝目。第59回以来8年ぶりの羽田盃2勝目。
他人を喜ばせようとすれば,そのことによって悲しませてしまう場合もあり得ます。その場合は他人を喜ばせようとするその感情affectusは,スピノザによって推奨されることはありません。なので歓喜gaudiumはこの条件に該当してしまう場合は推奨されません。しかし,他人に対して何もしないのであれば,その他人を喜ばせるということはありませんが,悲しませるということもありません。なのでこの観点から良心の呵責conscientiae morsusが推奨されることはないにしても,否定されるということもないのです。この点では,歓喜と良心の呵責は反対感情ではあっても差異があるといわなければなりません。それは各々の感情が,どういう方向にその感情を抱いた人を向かわせるのかという相違に由来するのです。
さらにもうひとつ,歓喜の場合にも評価の仕方については気を付けておかなければなりません。他人の悲しみtristitiaを自分の悲しみと結びつけるような感情,いい換えれば他人の悲しみを模倣することは,それ自体でみれば推奨されるのですが,それがほかの感情とも関連している場合には全面的に推奨されるわけではない場合もあります。これと同じように,他人の喜びlaetitiaが自分の喜びに結び付くような感情,つまり喜びの感情の模倣imitatio affectuumの場合にも,これと同じことが妥当します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/34/4b18a4c69b7b8b185d0654eefd7f1357.jpg)
Aという人間がBという人間が喜んでいるのを表象するimaginariことによって,自分も喜びを感じたとしましょう。そしてこの喜びが,僕が定義した歓喜に合致していると仮定します。この限りではAはBの喜びを促進するような現実的本性actualis essentiaを有するがゆえに,この歓喜は推奨されるのです。しかし,たとえばBがCを憎んでいるとして,Cが悲しんでいるがゆえに喜びを感じているとしましょう。第三部定理二三によって,こうしたことは実際に生じます。そこでAがBのこの喜びを模倣して喜びを感じたなら,AはそのBの喜びを促進しようとしますから,Cの悲しみを増進させるような行動をとることになるでしょう。しかしその行動は,AとCとを対立させるもの,いい換えればAを不敬虔impietasにさせる行動ですから,スピノザはそれを推奨するどころか否定するnegareことになります。つまりこの歓喜は全体的には否定されます。
シャルフジンがすぐにハナに立ちましたが,向正面にかけてクライオジェニックが競りかけるような形になりました。2馬身差でリヴィフェイス。4番手にイルヴェントとカイル。2馬身差でフレールフィーユ。7番手にフウト。8番手にプライルード。3馬身差でミゲルとリコーヴィクター。11番手にライアンとナッジ。13番手にミヤギザオウ。コブラとファルコンソードは離れた最後尾を並んで追走。最初の800mが47秒4の超ハイペースになったこともあり,かなり縦長の隊列となりました。
競りかけてきたクライオジェニックを振り切ったシャルフジンは直線の入口では3馬身くらいのリード。この時点で2番手はイルヴェントでその外にリヴィフェイス。ただこの2頭はシャルフジンに追いつくには至らず,迫ってきたのは最内を突いたミヤギザオウと大外のライアン。この2頭がシャルフジンを差しての優勝争いでしたが,先に内から抜けていたミヤギザオウの優勝。ライアンがクビ差で2着。最後は疲れたシャルフジンは1馬身差の3着。
優勝したミヤギザオウは南関東重賞初挑戦での優勝。前走がクラシックのトライアルで3着に入っての挑戦なので格は下。このレースは大きく離された2頭を除くと,一番後ろにいた馬が勝ってその前にいた馬が2着と,超ハイペースの影響が大きく結果に出ました。しかも外を回った2着馬に対して内から伸びてきたという利もあっての勝利。ですから自ら勝ちにいって優勝争いができるのかといえば,必ずしもできるとはいいきれないところがあるでしょう。むしろこれからが試金石になりそうです。母の父はディープスカイ。
騎乗した大井の真島大輔騎手は川崎スパーキングスプリント以来の南関東重賞25勝目。羽田盃は初勝利。管理している大井の森下淳平調教師は南関東重賞15勝目。第59回以来8年ぶりの羽田盃2勝目。
他人を喜ばせようとすれば,そのことによって悲しませてしまう場合もあり得ます。その場合は他人を喜ばせようとするその感情affectusは,スピノザによって推奨されることはありません。なので歓喜gaudiumはこの条件に該当してしまう場合は推奨されません。しかし,他人に対して何もしないのであれば,その他人を喜ばせるということはありませんが,悲しませるということもありません。なのでこの観点から良心の呵責conscientiae morsusが推奨されることはないにしても,否定されるということもないのです。この点では,歓喜と良心の呵責は反対感情ではあっても差異があるといわなければなりません。それは各々の感情が,どういう方向にその感情を抱いた人を向かわせるのかという相違に由来するのです。
さらにもうひとつ,歓喜の場合にも評価の仕方については気を付けておかなければなりません。他人の悲しみtristitiaを自分の悲しみと結びつけるような感情,いい換えれば他人の悲しみを模倣することは,それ自体でみれば推奨されるのですが,それがほかの感情とも関連している場合には全面的に推奨されるわけではない場合もあります。これと同じように,他人の喜びlaetitiaが自分の喜びに結び付くような感情,つまり喜びの感情の模倣imitatio affectuumの場合にも,これと同じことが妥当します。
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Aという人間がBという人間が喜んでいるのを表象するimaginariことによって,自分も喜びを感じたとしましょう。そしてこの喜びが,僕が定義した歓喜に合致していると仮定します。この限りではAはBの喜びを促進するような現実的本性actualis essentiaを有するがゆえに,この歓喜は推奨されるのです。しかし,たとえばBがCを憎んでいるとして,Cが悲しんでいるがゆえに喜びを感じているとしましょう。第三部定理二三によって,こうしたことは実際に生じます。そこでAがBのこの喜びを模倣して喜びを感じたなら,AはそのBの喜びを促進しようとしますから,Cの悲しみを増進させるような行動をとることになるでしょう。しかしその行動は,AとCとを対立させるもの,いい換えればAを不敬虔impietasにさせる行動ですから,スピノザはそれを推奨するどころか否定するnegareことになります。つまりこの歓喜は全体的には否定されます。