昨晩の第14回川崎マイラーズ。

ファルコンビークが鞭を入れていましたが,外からプレシャスエースが前に。向正面では3馬身のリードとなりました。2番手にファルコンビーク。3番手にコズミックフォースとチサット。5番手にルイドフィーネとグランドボヌール。7番手にゴールドホイヤーとモジアナフレイバー。2馬身差でグレンツェントとヒカリオーソ。3馬身差でトランセンデンス。12番手にマイネルサーパス。3馬身差でラッキードリーム。ファルコンウィングは大きく取り残されました。前半の800mは49秒6のミドルペース。
プレシャスエースのリードは直線では1馬身くらい。最終コーナーで徐々に差を詰めていたファルコンビークが2番手からあっさりとプレシャスエースを差すとそのまま抜け出して快勝。プレシャスエースを追うように上がってきたのがモジアナフレイバーとチサットでしたが,この2頭はプレシャスエースにも追いつくことができず,さらに外からゴールドホイヤーとグレンツェントが併走で追い込みプレシャスエースを差し,2馬身差の2着はゴールドホイヤー。グレンツェントがクビ差で3着。
優勝したファルコンビークは南関東重賞初制覇。前走でこのレースのトライアルを勝っていた上昇馬で,内容的には快勝といえますから,実績のあった馬たちに対して遜色ないだけの実力を身につけていたと考えてよいでしょう。逃げ切って勝つことが多かった馬ですから,2番手からのレースで勝てたことは収穫だといえそうです。父はスマートファルコン。母の父はクロフネ。祖母の父はメジロマックイーン。5代母がクレアーブリッジ。2つ下の半弟が今年の雲取賞と京浜盃を勝っているシャルフジン。Beakは嘴。
騎乗した船橋の本田正重騎手はニューイヤーカップ以来の南関東重賞13勝目。川崎マイラーズは初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞は20勝目。川崎マイラーズは初勝利。
もしも人間の良心が常に働くのであれば,道徳的目標へと向かう道を踏み外してしまう人はごく僅かになる筈です。もちろんそこでは,道徳的目標とは何かということは問題になるのであって,その目標とするところが各人によって異なるのであれば,各人がそれぞれの道徳的目標への道を踏み誤っていないにもかかわらず,社会的には道徳的目標が達成されないという場合があるでしょう。ただフロムErich Seligmann Frommは,哲学について語っているのではなく,社会心理学について語っているので,道徳的目標そのものが社会的なものであるということは前提しなければなりません。つまり,その社会的な意味での道徳的目標に達する道は,各人の良心が常に働いている限り,容易に進んでいくことができる道であるとフロムはいっているのです。
しかし一方で,多くの人びとにおいては良心の声がきわめて弱いので.それを聞くこともできず,良心が働くこともないのが現実であるとフロムはいっているのです。要するに道徳的目標は達成されていないし,それが達成される見込みすらないとフロムはみています。そしてその理由についてもフロムは説明しています。それは良心というものの性質にあるのです。
フロムによれば,良心の性質は,人間の真の自己関心を守ることにあります。自己関心とは何かということがここではまた問題になりますが,ここではそのことを深く考える必要はありません。基本的に第三部定理七でスピノザが個物res singularisの現実的本性actualis essentiaについて主張していることを,フロムはここで自己関心および良心について語っているのだと解釈しておけばよいでしょう。しかしそもそも自己関心というものが喪失するなら,良心というのは守るべきものをなくすのですから,そのときには良心は働くということがありません。つまり人間が自分について無関心であるとか,自己破壊的な欲望を有していたりすれば,良心というのは働く余地がないのです。フロムはこれについて,良心が働かないといういい方ではなく,良心は生きることができないといういい方をしています。
このいい方には意図があるのです。自己関心と良心の間に,明確な関連性があると示唆しているのです。

ファルコンビークが鞭を入れていましたが,外からプレシャスエースが前に。向正面では3馬身のリードとなりました。2番手にファルコンビーク。3番手にコズミックフォースとチサット。5番手にルイドフィーネとグランドボヌール。7番手にゴールドホイヤーとモジアナフレイバー。2馬身差でグレンツェントとヒカリオーソ。3馬身差でトランセンデンス。12番手にマイネルサーパス。3馬身差でラッキードリーム。ファルコンウィングは大きく取り残されました。前半の800mは49秒6のミドルペース。
プレシャスエースのリードは直線では1馬身くらい。最終コーナーで徐々に差を詰めていたファルコンビークが2番手からあっさりとプレシャスエースを差すとそのまま抜け出して快勝。プレシャスエースを追うように上がってきたのがモジアナフレイバーとチサットでしたが,この2頭はプレシャスエースにも追いつくことができず,さらに外からゴールドホイヤーとグレンツェントが併走で追い込みプレシャスエースを差し,2馬身差の2着はゴールドホイヤー。グレンツェントがクビ差で3着。
優勝したファルコンビークは南関東重賞初制覇。前走でこのレースのトライアルを勝っていた上昇馬で,内容的には快勝といえますから,実績のあった馬たちに対して遜色ないだけの実力を身につけていたと考えてよいでしょう。逃げ切って勝つことが多かった馬ですから,2番手からのレースで勝てたことは収穫だといえそうです。父はスマートファルコン。母の父はクロフネ。祖母の父はメジロマックイーン。5代母がクレアーブリッジ。2つ下の半弟が今年の雲取賞と京浜盃を勝っているシャルフジン。Beakは嘴。
騎乗した船橋の本田正重騎手はニューイヤーカップ以来の南関東重賞13勝目。川崎マイラーズは初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞は20勝目。川崎マイラーズは初勝利。
もしも人間の良心が常に働くのであれば,道徳的目標へと向かう道を踏み外してしまう人はごく僅かになる筈です。もちろんそこでは,道徳的目標とは何かということは問題になるのであって,その目標とするところが各人によって異なるのであれば,各人がそれぞれの道徳的目標への道を踏み誤っていないにもかかわらず,社会的には道徳的目標が達成されないという場合があるでしょう。ただフロムErich Seligmann Frommは,哲学について語っているのではなく,社会心理学について語っているので,道徳的目標そのものが社会的なものであるということは前提しなければなりません。つまり,その社会的な意味での道徳的目標に達する道は,各人の良心が常に働いている限り,容易に進んでいくことができる道であるとフロムはいっているのです。
しかし一方で,多くの人びとにおいては良心の声がきわめて弱いので.それを聞くこともできず,良心が働くこともないのが現実であるとフロムはいっているのです。要するに道徳的目標は達成されていないし,それが達成される見込みすらないとフロムはみています。そしてその理由についてもフロムは説明しています。それは良心というものの性質にあるのです。
フロムによれば,良心の性質は,人間の真の自己関心を守ることにあります。自己関心とは何かということがここではまた問題になりますが,ここではそのことを深く考える必要はありません。基本的に第三部定理七でスピノザが個物res singularisの現実的本性actualis essentiaについて主張していることを,フロムはここで自己関心および良心について語っているのだと解釈しておけばよいでしょう。しかしそもそも自己関心というものが喪失するなら,良心というのは守るべきものをなくすのですから,そのときには良心は働くということがありません。つまり人間が自分について無関心であるとか,自己破壊的な欲望を有していたりすれば,良心というのは働く余地がないのです。フロムはこれについて,良心が働かないといういい方ではなく,良心は生きることができないといういい方をしています。
このいい方には意図があるのです。自己関心と良心の間に,明確な関連性があると示唆しているのです。