スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

五稜郭杯争奪戦&フロムの良心

2022-05-18 19:36:29 | 競輪
 昨晩の函館記念の決勝。並びは小松崎‐佐藤‐守沢の北日本,山本‐稲川の近畿,佐々木‐清水‐瓜生の西国で郡司は単騎。
 稲川がスタートを取って山本の前受け。3番手に小松崎,6番手に郡司,7番手に佐々木で周回。残り3周のホームの出口から佐々木が上昇開始。小松崎の横あたりで併走を続け,ホームに入ってから一気にかましました。前受けの山本が4番手,小松崎が6番手,最後尾に郡司の一列棒状に。後方からの捲りが来ないまま,最終コーナーを前に清水が番手捲り。清水マークの瓜生が直線で差し切って優勝。バックから内目を進出し,直線で瓜生と稲川の間を突いた郡司が清水とほぼ並んでフィニッシュ。写真判定となり郡司が4分の3車身差で2着。清水が微差で3着。マークの山本の内から直線は外に出した稲川が4分の3車輪差で4着。
 優勝した熊本の瓜生崇智選手はグレードレース初優勝。今年は初優勝で,昨年もFⅠで1回の優勝があっただけの伏兵。このレースは小松崎か佐々木の先行が有力で,場合によっては先行争いもあるかと思っていました。後ろからの周回になった佐々木がうまい駆け方をしたので佐々木の先行になり,なおかつ小松崎が6番手で郡司が最後尾になりましたから,清水にとって絶好の展開となりました。なので番手捲りを敢行した時点でこれは清水の優勝だろうと思いました。郡司に追い込まれたのはともかく,瓜生に差されてしまったのは僕としては意外でした。

 歓喜gaudiumについて僕がいいたかったことはこれですべてです。なので別の考察に移ります。
                                        
 『スピノザ〈触発の思考〉』の第1章には,フロムErich Seligmann Frommに対する言及が含まれています。浅野は『スピノザ 共同性のポリティクス』でもフロムに言及していて,フロムに言及するスピノザの研究者は少ないのですが,例外のひとりといっていいでしょう。これは『人間における自由Man for Himself』というフロムの著書への言及で,わりと長い引用がなされています。当然ながらこの章は良心の呵責conscientiae morsusを巡る考察ですから,この部分でフロムが言及しているのも良心に関してです。ここでは全文を引用するのではなく,フロムがいっていることの概要を僕がまとめることにします。
 フロムは基本的に良心は,もう少し正確にフロムのいい方に倣えば,僕たちの人道主義的な良心というものは.僕たちの自己表現でありそれと同時に僕たちの人生における道徳的経験の本性であるとみています。実際に良心がどのようなものであるかは関係ありません。フロムは良心をそのようにみているということが重要なので,良心というのはそうしたものではないという見解,そうした見解があり得ることは僕も認めますが,そうした見解を対立させることはまったく意味がありません。
 一方でフロムは,事実として多くの人びとは,良心の声がきわめて弱いのでそれを聞くこともできないし,当然ながら良心が働くということもないといっています。これもそういう事実があるか否かということについては見解の相違があり得るでしょうが,少なくともそういう人が現実的に存在するということは事実で,その点が受け入れられるのなら問題はありません。そういう人が多いかどうかはこの部分の考察とは無関係だからです。そしてフロムはこの点が,道徳的な不安定さの原因であるといっています。フロムは社会心理学者なので,これは社会状況の不安定さへの言及なのですが,ここでは個人の不安定さと解しても構いません。フロムのいっていることが事実であれば,それは個人的な不安定さの原因であると同時に,社会的な不安定さの原因にもなるというように解してください。これは論理的にそうなるでしょう。
コメント
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