昨晩の第36回東京プリンセス賞。
好発はラインブレイカーでしたが,外からレディオガガが前に出て逃げました。リードは2馬身。2番手にレディオスター。2馬身差でラインブレイカーとデュアルテイルズ。5番手はクールフォルテとフィガロアルビアンとハッピースパイラル。8番手はスピーディキック。9番手にトーセンキャロルとトキノゴールド。11番手にコスモポポラリタとカーロデスティーノ。2馬身差でエミーブレイズ。14番手にコーミズアムール。2馬身差でレディーアーサー。最後尾にリンカイテンという隊列。最初の800mは49秒6のミドルペース。
3コーナーを回ってレディオガガのリードは1馬身に。レディオスターから2馬身差でクールフォルテが続き,その外からスピーディキックが捲り上げてきました。直線に入るとレディオガガが一杯になりレディオスターが先頭に。クールフォルテは追いつくことができず,スピーディキックが並び掛けてきて2頭の競り合いに。外から競り落としたスピーディキックが優勝。馬場の内目の方から差してきたコスモポポラリタが,競り落とされて一杯になったレディオスターを差し切ってクビ差で2着。レディオスターが1馬身差で3着。追いつくことができなかったクールフォルテは1馬身差で4着。
優勝したスピーディキックは桜花賞に続いての勝利。南関東重賞3連勝の3勝目となりました。ここは能力は上位で距離の延長が最大の課題。わりと早い段階から動いての勝利でしたので,その点は克服することができたとみていいでしょう。この馬は北海道時代は短距離で活躍していて,2着馬は中距離の北海道重賞を2勝していた馬。着差はクビと大きくはありませんでしたが,おそらくレディオスターが強敵とみて,それを負かしにいったために僅差になったと思われますので,総合的な能力でもこちらの方が上とみてよいものと思います。能力だけなら関東オークスでも十分に勝負になると思いますが,距離延長はやはり課題として残っているとも思います。父はタイセイレジェンド。母の父は2003年にシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年に佐賀記念を勝ったサイレントディール。
騎乗した大井の御神本訓史騎手はブリリアントカップ以来の南関東重賞55勝目。東京プリンセス賞は初勝利。管理している浦和の藤原智行調教師は南関東重賞3勝目。東京プリンセス賞は初勝利。
僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusの反対感情としての歓喜gaudiumは,たとえ受動感情として生じるのであっても,他人の喜びlaetitiaと自分の喜びとが結びつく感情affectusです。いい換えれば他人の喜びを模倣する感情です。ただ,受動感情というのは,感情の総括的定義から分かるように,観念ideaとしてみた場合には混乱した観念idea inadaequataです。ですから,自分の喜びと結びついている喜びが,本当に喜びであるかどうかは不明です。なのでもしもそれが喜びでないのであれば,他人の喜びを促進することにはなりません。たとえ喜びを促進しなくとも,喜びも悲しみtristitiaも与えない,いい換えればより大なる実在性realitasにもより小なる実在性にも移行させないのなら,問題はありません。しかし,喜びを促進していると表象していることが,実際には悲しみの方を増進させているなら,その場合の歓喜が推奨されることはありません。つまり,歓喜というのは,他人を悲しませる方向に人を向かわせる可能性があるので,全面的に推奨される,あるいは無条件に推奨されるような感情ではないのです。

なお,このことは良心の呵責の場合にも成立はします。というか,良心の呵責は悲しみであって,喜びである歓喜とは異なり,常に受動感情なので,むしろ論理的には歓喜の場合よりも成立するといえるでしょう。ただし,それはその感情が推奨されるかどうかという観点とは異なります。というのも,スピノザはたとえ受動感情であっても,その感情が人を敬虔pietasにするのであれば推奨するのですが,敬虔ということをスピノザは態度や振る舞いとして考えているのであって,ある思惟の様態cogitandi modiとしてみているわけではないからです。そして僕の良心の呵責および歓喜のそれぞれの定義Definitioから分かるように,それらの感情がある態度なり行動なりと関連する場合には,歓喜というのはある行動へと人を駆るような感情であるといえますが,良心の呵責というのは,ある行動を停止するように人を駆るような感情です。歓喜によって何かをなすなら,その何かをなすことによって他者を喜ばせようとするのですが,良心の呵責によって何かをなすとは,なそうとしていたことあるいはなしたことをせずに他者を悲しみから救おうとするからです。
好発はラインブレイカーでしたが,外からレディオガガが前に出て逃げました。リードは2馬身。2番手にレディオスター。2馬身差でラインブレイカーとデュアルテイルズ。5番手はクールフォルテとフィガロアルビアンとハッピースパイラル。8番手はスピーディキック。9番手にトーセンキャロルとトキノゴールド。11番手にコスモポポラリタとカーロデスティーノ。2馬身差でエミーブレイズ。14番手にコーミズアムール。2馬身差でレディーアーサー。最後尾にリンカイテンという隊列。最初の800mは49秒6のミドルペース。
3コーナーを回ってレディオガガのリードは1馬身に。レディオスターから2馬身差でクールフォルテが続き,その外からスピーディキックが捲り上げてきました。直線に入るとレディオガガが一杯になりレディオスターが先頭に。クールフォルテは追いつくことができず,スピーディキックが並び掛けてきて2頭の競り合いに。外から競り落としたスピーディキックが優勝。馬場の内目の方から差してきたコスモポポラリタが,競り落とされて一杯になったレディオスターを差し切ってクビ差で2着。レディオスターが1馬身差で3着。追いつくことができなかったクールフォルテは1馬身差で4着。
優勝したスピーディキックは桜花賞に続いての勝利。南関東重賞3連勝の3勝目となりました。ここは能力は上位で距離の延長が最大の課題。わりと早い段階から動いての勝利でしたので,その点は克服することができたとみていいでしょう。この馬は北海道時代は短距離で活躍していて,2着馬は中距離の北海道重賞を2勝していた馬。着差はクビと大きくはありませんでしたが,おそらくレディオスターが強敵とみて,それを負かしにいったために僅差になったと思われますので,総合的な能力でもこちらの方が上とみてよいものと思います。能力だけなら関東オークスでも十分に勝負になると思いますが,距離延長はやはり課題として残っているとも思います。父はタイセイレジェンド。母の父は2003年にシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年に佐賀記念を勝ったサイレントディール。
騎乗した大井の御神本訓史騎手はブリリアントカップ以来の南関東重賞55勝目。東京プリンセス賞は初勝利。管理している浦和の藤原智行調教師は南関東重賞3勝目。東京プリンセス賞は初勝利。
僕が定義した良心の呵責conscientiae morsusの反対感情としての歓喜gaudiumは,たとえ受動感情として生じるのであっても,他人の喜びlaetitiaと自分の喜びとが結びつく感情affectusです。いい換えれば他人の喜びを模倣する感情です。ただ,受動感情というのは,感情の総括的定義から分かるように,観念ideaとしてみた場合には混乱した観念idea inadaequataです。ですから,自分の喜びと結びついている喜びが,本当に喜びであるかどうかは不明です。なのでもしもそれが喜びでないのであれば,他人の喜びを促進することにはなりません。たとえ喜びを促進しなくとも,喜びも悲しみtristitiaも与えない,いい換えればより大なる実在性realitasにもより小なる実在性にも移行させないのなら,問題はありません。しかし,喜びを促進していると表象していることが,実際には悲しみの方を増進させているなら,その場合の歓喜が推奨されることはありません。つまり,歓喜というのは,他人を悲しませる方向に人を向かわせる可能性があるので,全面的に推奨される,あるいは無条件に推奨されるような感情ではないのです。

なお,このことは良心の呵責の場合にも成立はします。というか,良心の呵責は悲しみであって,喜びである歓喜とは異なり,常に受動感情なので,むしろ論理的には歓喜の場合よりも成立するといえるでしょう。ただし,それはその感情が推奨されるかどうかという観点とは異なります。というのも,スピノザはたとえ受動感情であっても,その感情が人を敬虔pietasにするのであれば推奨するのですが,敬虔ということをスピノザは態度や振る舞いとして考えているのであって,ある思惟の様態cogitandi modiとしてみているわけではないからです。そして僕の良心の呵責および歓喜のそれぞれの定義Definitioから分かるように,それらの感情がある態度なり行動なりと関連する場合には,歓喜というのはある行動へと人を駆るような感情であるといえますが,良心の呵責というのは,ある行動を停止するように人を駆るような感情です。歓喜によって何かをなすなら,その何かをなすことによって他者を喜ばせようとするのですが,良心の呵責によって何かをなすとは,なそうとしていたことあるいはなしたことをせずに他者を悲しみから救おうとするからです。