スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&感情の複雑さ

2022-05-14 18:55:16 | 将棋
 11日に札幌で指された第33期女流王位戦五番勝負第二局。
 里見香奈女流王位の先手で中飛車。後手の西山朋佳白玲・女王が三間飛車にしての相振飛車。互角の中盤戦が長く続く将棋でした。
                                        
 第1図から☖4三歩と打ち☗同銀不成に☖8五歩と突きました。先手は飛車取りを無視して☗1三角成。後手としても☖8六歩と取るほかありませんが☗3五馬。そこで☖7六歩と突いたものの☗5四銀成☖7五銀☗6四歩と打たれました。
                                        
 第2図となっては先手優勢がはっきりとして,差がつくことになりました。第1図では☖4六角☗同飛に☖7六歩と突き,☗同飛☖8七角☗3六飛☖7八角成のように指せば,少なくとも互角の戦いが続いたように思います。実戦のように☖8五歩と突くにしても,☖4三歩と打った意味は把握しかねるところです。
 里見女流王位が勝って1勝1敗。第三局は25日に指される予定です。

 厳密にいうと,ここで僕が示した例は,AがBの喜びlaetitiaを模倣していると同時に,BのCに対する憎しみodiumも模倣しているのであって,この点に注意すれば,スピノザは憎しみを全面的に否定するnegareから,この種の歓喜gaudiumを推奨しないという結論になるのです。僕が定義した歓喜は,自分がなしたあるいはなすであろう他人に対する利益の観念ideaを原因causaとして伴った喜びであるので,喜びの模倣としては限定的です。しかしこの例は歓喜に限らず,喜びを模倣する場合は全般的に妥当します。BがCを憎んでいて,Cの害悪を表象するimaginariことによってBが喜んでいるとき,AがBの喜びを模倣するなら,AはBの喜びと同時にBのCに対する憎しみをも模倣しているということは一般的に真verumだからです。いい換えれば,Bに対して利益を与えたのがA自身であるか否かは無関係であるからです。なので,喜びの模倣は原則的に推奨されますが,そこに憎しみの模倣が同時に存在するなら,それは推奨されません。もちろんこのことは悲しみtristitiaの模倣にも妥当します。他人が喜びを感じていると表象して悲しんでいる人間の悲しみを模倣するということは,実際は悲しんでいる人間の喜んでいる人間に対する憎しみを模倣しているというのと同じことだからです。
 推奨されていないのは憎しみなので,こうした事例が歓喜や良心の呵責conscientiae morsusが推奨されない場合の例として必ずしも適切ではないという面があるということは僕も認めます。ただ,これはだれもが反省的に考えてみれば経験から理解できることだと思いますが,人間の感情affectusというのは単純なものではありません。憎しみや愛amorがあるがゆえに,そうでない場合は感じない喜びや悲しみを感じるなどということは,僕たちにはしばしば生じることなのです。なので,たとえば良心の呵責なら良心の呵責,あるいはその反対感情としての歓喜なら歓喜だけに着目して,それが推奨される感情であるということを,一般的にいうことはできないということは,こうした人間の感情の複雑さから,容易に理解できるのではないでしょうか。何かが一般的にいえるなら,それはたとえば憎しみとか高慢superbiaといった感情が,全面的に否定されるということだけなのです。
コメント
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