スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

優駿牝馬&理性と良心

2022-05-22 19:38:00 | 中央競馬
 オークスの第83回優駿牝馬。サウンドビバーチェは発馬のために集合してからほかの馬に顔をけられた影響で放馬してしまい,顔を挫創したため競走除外となって17頭。
 サークルオブライフは両脇の馬に挟まれて1馬身の不利。ニシノラブウインクが逃げて5馬身くらいのリード。2番手にパーソナルハイ。2馬身差でアートハウス。4番手にラブパイロー。5番手にスタニングローズ。6番手にプレサージュリフト。7番手にエリカヴィータとスターズオンアース。2馬身差でナミュール。10番手にピンハイ。11番手にウォーターナビレラ。12番手にベルクレスタ。13番手にルージュエヴァイユ。14番手にシーグラス。2馬身差でライラック。2馬身差でホウオウバニラとサークルオブライフという隊列。最初の1000mは60秒6のスローペース。
 直線の入口でニシノラブウインクのリードは2馬身くらいになりましたが,直線に入るとまた後ろを引き離しました。追ってきたのは馬場の中央近くまで出されたアートハウスで,その外からスタニングローズとスターズオンアース。大きく開いたニシノラブウインクとアートハウスの間からはナミュールとプレサージュリフト。内と外が大きく離れての競り合いでしたが,一番外のスターズオンアースの伸び脚が優って優勝。スタニングローズが1馬身4分の1差で2着。内目から伸びたナミュールが1馬身4分の1差の3着。
 優勝したスターズオンアース桜花賞から連勝。桜花賞は必ずしも有力候補ではありませんでしたが,そこを勝ったことでここは有力候補の1頭。力比べのようなレースを制しましたので,名実ともに3歳牝馬の頂点に立ったといえるでしょう。マイル戦よりは中距離の方に適性がありそうに思えました。父はドゥラメンテ。祖母がスタセリタ。母のひとつ下の半妹がJRA賞で2016年の最優秀2歳牝馬,2017年の最優秀3歳牝馬に選出されたソウルスターリングでそのふたつ下の半妹が2018年にアルテミスステークスを勝ったシェーングランツ
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手はマイルチャンピオンシップ以来の大レース制覇。第78回,79回に続く4年ぶりのオークス3勝目。管理している高柳瑞樹調教師は桜花賞以来の大レース2勝目。

 注意しなければならないのは,フロムErich Seligmann Frommの良心の見解がスピノザの哲学にマッチしているからといって,フロムが良心に関していっていることと,スピノザが理性ratioに関していっていることが同じと解してはいけないということです。いい換えれば,フロムがいっている良心は,スピノザがいっている理性ではありません。このことは詳しく説明しておきます。
 現実的に存在しているある人間が理性に従っているとき,その人間には良心があるのですが,実際にある人間に良心があるといわれるのは,その人間の良心が働いているようにみえるということです。したがって,良心が働くagereというのは,何らかの思惟作用だけを意味するというわけでなく,むしろ身体的運動を多く意味します。いい換えれば良心とは,ある人間を何らかの運動motusつまり身体的運動を伴った行動に駆るようなものとみられているのです。よって,たとえば理性に従っている人の行動は,良心が働いている行動となりますが,良心が働いている行動をするためには理性に従っていなければならないというものではありません。これは,人が敬虔pietasになるためには理性に従っていることが必要条件となっているわけではなく,理性に従っていなくても,つまり働きを受けている場合も人は敬虔である場合があるのと同じです。つまり,たとえある人間が働きを受けているのであっても,良心が働いているとみられるような行動をする場合はあり得るのです。
 よって,良心と理性とは異なります。むしろ良心というのは良心が働いているような行動に人を駆るようなことをいうのであって,それは理性というよりも感情affectusに近いあるものなのです。あるいは感情そのものといってもいいかもしれません。というのは,人間はそのときの現実的本性actualis essentiaに従って思惟しまた運動するのですが,このようにして与えられた現実的本性というのは,第三部諸感情の定義一によって,欲望cupiditasといわれるべき感情であるからです。もちろん良心とは欲望そのものではなく,人間を良心的な思惟Cogitatioあるいは運動motusに駆るような欲望というべきなので,欲望の一種,つまりある種の欲望とみなされなければなりませんが,理性というよりは欲望なのです。
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