辰口温泉で指された第86期棋聖戦五番勝負第二局。
羽生善治棋聖の先手で相矢倉。先手が早くに☗3五歩と突く将棋。流れから先手が囲いの銀も攻めに使っていく展開になりました。
豊島将之七段が☖4六歩と突き捨てたのを☗同角と取った局面。後手は☖7三歩と打ちました。
銀の行き場所がないので先手が忙しくなっているように思います。☗6四歩に悠々と☖7四歩と銀を取り,☗6三歩成の飛車取りに☖9二飛と逃げました。
ここで☗6四歩と打っています。と金まで取られては先手は駒損だけが残るので仕方ないのでしょうが,少し苦しげな手という印象でした。
後手は☖4五銀左と出て☗3五角を許し,☖5六銀☗同金に☖4五桂と跳ねていきました。
この局面ではどうやら後手がリードを奪っているのではないでしょうか。最後はややきわどい攻め合いにはなったものの,後手が勝っています。
豊島七段が勝って1勝1敗。第三局は来月4日です。
当時の自然科学者と現代の自然科学者との間にある最大の相違は,当時の自然科学者は,実験や観察のために使う用具を製作するという意味においての,技術者も兼ねていたという点です。当時はそうした用具が普及していませんでしたから,そうした技術を取得することが,自然科学者を志す場合には必須であったからだろうと思います。
ホイヘンスChristiaan Huygensの場合でいえば,天体を観測するためには天体望遠鏡が必要です。したがってホイヘンスは望遠鏡を製作する必要がありました。とりわけ望遠鏡の性能のために重要なのはレンズですから,可能な限り精巧なレンズを製作する必要があったのです。
ホイヘンスが実際にレンズを製作していたことは,スピノザがオルデンブルクHeinrich Ordenburgに宛てた『スピノザ往復書簡集Epistolae』書簡三十二から確定できます。そこには,ホイヘンスが性能のよいレンズの製作のために機械を作ったとあるからです。この機械とは,レンズを磨くための皿を回転させるためのものであったようです。レンズはガラス製で,それを研磨して製作していました。
これを報告した後でスピノザは,もし球面のレンズを製作するならば,どんな機械を使うより,手で磨くのが安全だし性能も高くなるという意味のことを付け加えています。それが当時の機械の技術水準であったのでしょう。スピノザがそう書くことができたのは,自身がガラスを研磨してレンズ製作に携わっていたからに相違ありません。スピノザの場合には,自然科学に対する向学心のためであると同時に,生計を立てる手段でもありました。要するにスピノザは自分で磨いたレンズを売っていたのです。
レンズを売ることができたのは,スピノザが磨いたレンズの性能が高かったからでしょう。自分で磨いた方がよいレンズができるのであれば,だれもスピノザからレンズを買う必要などないからです。これはホイヘンスによって確かめられます。ホイヘンスはユダヤ人の磨いたレンズは性能がよいという主旨のことをはっきりといっているからです。これはホイヘンスがスピノザの磨いたレンズを使用したことの証明でしょう。こう仮定しないと,ホイヘンスはそう断言できないからです。
羽生善治棋聖の先手で相矢倉。先手が早くに☗3五歩と突く将棋。流れから先手が囲いの銀も攻めに使っていく展開になりました。
豊島将之七段が☖4六歩と突き捨てたのを☗同角と取った局面。後手は☖7三歩と打ちました。
銀の行き場所がないので先手が忙しくなっているように思います。☗6四歩に悠々と☖7四歩と銀を取り,☗6三歩成の飛車取りに☖9二飛と逃げました。
ここで☗6四歩と打っています。と金まで取られては先手は駒損だけが残るので仕方ないのでしょうが,少し苦しげな手という印象でした。
後手は☖4五銀左と出て☗3五角を許し,☖5六銀☗同金に☖4五桂と跳ねていきました。
この局面ではどうやら後手がリードを奪っているのではないでしょうか。最後はややきわどい攻め合いにはなったものの,後手が勝っています。
豊島七段が勝って1勝1敗。第三局は来月4日です。
当時の自然科学者と現代の自然科学者との間にある最大の相違は,当時の自然科学者は,実験や観察のために使う用具を製作するという意味においての,技術者も兼ねていたという点です。当時はそうした用具が普及していませんでしたから,そうした技術を取得することが,自然科学者を志す場合には必須であったからだろうと思います。
ホイヘンスChristiaan Huygensの場合でいえば,天体を観測するためには天体望遠鏡が必要です。したがってホイヘンスは望遠鏡を製作する必要がありました。とりわけ望遠鏡の性能のために重要なのはレンズですから,可能な限り精巧なレンズを製作する必要があったのです。
ホイヘンスが実際にレンズを製作していたことは,スピノザがオルデンブルクHeinrich Ordenburgに宛てた『スピノザ往復書簡集Epistolae』書簡三十二から確定できます。そこには,ホイヘンスが性能のよいレンズの製作のために機械を作ったとあるからです。この機械とは,レンズを磨くための皿を回転させるためのものであったようです。レンズはガラス製で,それを研磨して製作していました。
これを報告した後でスピノザは,もし球面のレンズを製作するならば,どんな機械を使うより,手で磨くのが安全だし性能も高くなるという意味のことを付け加えています。それが当時の機械の技術水準であったのでしょう。スピノザがそう書くことができたのは,自身がガラスを研磨してレンズ製作に携わっていたからに相違ありません。スピノザの場合には,自然科学に対する向学心のためであると同時に,生計を立てる手段でもありました。要するにスピノザは自分で磨いたレンズを売っていたのです。
レンズを売ることができたのは,スピノザが磨いたレンズの性能が高かったからでしょう。自分で磨いた方がよいレンズができるのであれば,だれもスピノザからレンズを買う必要などないからです。これはホイヘンスによって確かめられます。ホイヘンスはユダヤ人の磨いたレンズは性能がよいという主旨のことをはっきりといっているからです。これはホイヘンスがスピノザの磨いたレンズを使用したことの証明でしょう。こう仮定しないと,ホイヘンスはそう断言できないからです。
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