エマヌエル:カント
認識主体で構成される世界を「現象界」 人間が決して経験できない世界そのものを「物自体」と呼んで認識能力が扱える範囲外に位置づけることで難問を解決しようとするのだ
-地上波デジタル放送番組表 番組説明より抜粋
認識の仕組みを研究したのが純粋理性批判
何を知り得て 何を知り得ないのか
「人間らしく思考」
近代哲学の2大難問
西 研 読み方は「にし けん」
ゾロアスター(ツァラトゥストラ)の回もコイツだったよ
純粋理性とは「人間に元々備わっている認識の能力」
「全てが因果律に従っているのであれば自由はないのではないか」
イギリス経験論
大陸合理論 先天的に論理的知覚能力が備わっている イデア論的なもんか?
物心問題 心は物から出来ているのか
主観と客観
客観的に存在するものを「物自体」
コペルニクス的転回(自画自賛も甚だしい 単なるカントの勝手な妄想でしかない)
先天的なはずすことの出来ないVRゴーグルのようなもので世界を見ている
認識可能な範囲内でしか認識できず 客観的「物自体」を全て認識することはできない
「共有できるもの=客観」(客観的根拠がなくても共有することがあるからこそ オカルト暴走も起きるのであり これもカントの勝手な妄想である)
ヒトの共通規格
二段階の認識能力 悟性 感性
感性 直感 観念や判断を作り出す能力を悟性
悟性 判断する能力
共有できるところ
「ヒトは客観的事実を共有できるのか」 できなかったからガリレオを火炙りにしようとしたのであり カントは錯覚という認識の欠陥が考慮に入っていない
ヒトは時に著しい認識の欠陥によって実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけることがある
そして それは多数のヒトによって共有されることで大量虐殺に至ることもある
純粋理性批判という著作は 「自分の認識には欠陥や誤謬はないと錯覚できる」ため大衆から人気があるのだろう
理論が難解だと 論理の飛躍や欠損を認識できなくなる習性がヒトにはある
意味もわからず有難がり まるで万能の理論であるかのように錯覚する
その上自己の先天的欠陥が無視できるような快感に基づく錯覚によって 主観的に「好き」になり 盲目的に信じ込み 誰も間違いに気付くことができなくなるのである
これは養老孟司やマイケル:サンデルやカルト宗教における洗脳の基本構造でもある
要するにカントの純粋理性批判というのは 論理的に理解出来ないのではなく そもそも論理的に間違っているため理解できないのであり
理解出来ない故に間違いを誰も指摘できず
しかも 論理的には理解していないにも関わらず多くのヒトが主観的に「好き」という感覚を促すことで盲目的に信じ込むようになるのである
「悟性」などという分類は応用性が何もなく カントの勝手な妄想観念にしかなっていない
ヒトという種の生物は 主観的感覚として「好き」になった話や相手を盲目的に信じ込む習性があり この先天的習性によってヒトは簡単に洗脳に陥るのである
そもそも 大脳辺縁系を損傷した人は決して利己的行動などしないことからも 純粋理性批判が間違っていることの証明である
いちいち論理反証などしなくても 最初から論として成立していないのである
そんくらい気づけ
バカ共が
世の中の間違いなんていうのは無数にあり そのいちいちを私1人で訂正反論するわけにはいかない
俺はキリストでも釈迦でもないので この世のバカのいちいちに噛んで含めるように説明する気はないし そんなこと俺1人でできるわけもない
少しは自分の頭で論理的に検証してみろよ
大脳容積自体にほとんど違いなんぞねぇんだからよ
クソめんどくせー
何だこの不毛な時間
誰か補償してくれ
Ende;