書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

犬も食えない

2020年06月09日 13時40分25秒 | 日記

まさかのカップヌードル

2,420円(税込)

しかも食用ではない

 

Ende;

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錯覚

2020年06月09日 10時25分14秒 | 意識論関連

純粋理性批判ってのは「純粋統覚」だの「悟性」だのといったカント独自の分類をでっちあげて理性を伴わぬ感覚や直感に基づいた判断の方が正しいと決めつけているだけであり

論理の飛躍や見落としが激しく到底哲学としての論証にはなっていない

ヒトという種の生物に見られる共通規格でありさえすれば人間性を伴った「正しい判断」であることの論証になる訳ではない

それは単なる多数決や民主主義に過ぎず 制度手続きと論理的根拠の混同である

カントはデイビッド:ヒュームが言った「因果法則も習慣的印象に過ぎない」という話に衝撃を受けたというが

「衝撃を受けた」というのは強い感情(主観)が伴うために客観性を失うことになるのである

野依良治が「主観が大事」と述べた際にも強い「怒り」の感情が伴っており

振り込め詐欺の被害者も恐怖心などの強い感情を煽られることによって簡単に客観性を失うのである

 

「人間は主観の外に出て世界を認識することはできない」のだが だからといって錯覚を錯覚だと理解認識することが出来ないわけではなく 論理的に現象を理解すれば主観が作り出す錯覚や妄想に惑わされずに真実を見分けることが可能である

望遠鏡や電子顕微鏡といった機材というのは ヒトの感覚器の限界を拡張することが出来るわけであって スペイン風の時には原因がわからなかったウイルスの存在を認識できるようになったのであり 先天的なヒトの感覚器だけでしか物事を判断することが出来ないわけではない

ウイルスが肉眼では見えないからといって「存在しない」としか認識できないわけではない

ある物質を熱して溶ける温度が一定だとみなすのは 何度も繰り返し試した結果からの推測なのだが 100回繰り返して同じ温度で溶けたからといって101回目も同じ温度で溶けるとは限らない 何度も同じものを加熱冷却したことによって融点が変わってしまう可能性もないとは言えないだろう

ある航空機が10万回墜落せずに飛行できたとしても それが「これからも絶対についらくしない」ことの論証にはならない 10万回も飛行したために劣化して空中分解するかも知れない

40年間運転し続けた原発が一度も放射能を放出しなかったからといって 「これからも絶対に放射能を放出しない」ことの論証にはならない

どんなに白いスワンを大量に集めてきても スワンの全ては常に白いことの論証にはならない

科学というのはあらゆる観点から検証する必要性があり 単純に「これさえ立証すれば全てを証明した」ことにはならない

ところがヒトという種の生物は物事の解釈を単純化したがる習性があるため 「これさえやっときゃ全ては解決した」かのような短絡安易な解釈で満足したがるため 多角的な検証をすぐに無視してしまうのである

「客観性っつったってどうせ主観の中にあるのは一緒じゃねぇか」と言われて衝撃を受け 錯覚に起因する誤謬の存在を無視して 衝撃という感情的興奮につられて勝手にでっちあげた主観的感覚の方を正当化するための「理屈」が純粋理性批判である

「純粋統覚」だの「悟性」があるからヒトは理性や人智を超越した謎の「叡智」を発揮できることの論証になるんすかね

理性を超越したら論理的根拠の説明は要らないし

人智を超越しちまったら一体誰が思いついて 誰がどう応用すると言うんでしょうな

その話は一体だれが責任とって呉るんでしょうか

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