養老孟司は「地球温暖化の原因が温室効果ガスの放出によるものだと言っている学者が9割なら 9割は信じても良い」と言ったが
これは嘘である
それなら「哲学者の99.99%がカントの純粋理性批判を支持していれば99.99%は信じても良い」ことになってしまう
カントの純粋理性批判というのは論理客観的根拠が著しく欠損しており ただのオカルト妄想にしかなっていない
科学や哲学にとって重要なのは 客観的証拠や根拠であり 「学者の多数決」ではない
客観的根拠に基づいて 「何が間違いなのか」を認識するのは最終的には個人の検証であって 多数派迎合ではない
ヒトという種の生物は先天的に客観的論理検証性が働きづらい性質があるため わざわざ科学や哲学といった論理的根拠を伴った客観的事実を認識するための方法論を必要とするのであり
「哲学」だと称して根拠のないオカルトやお伽話を信じていたのでは哲学もスッタクレもなくなるのである
ヒトの多くは実証不能の観念を鵜呑みにし 他人に多大な迷惑をかける習性が先天的にある
だから 実証不能の観念なのか それとも客観性のある論理的根拠を伴う事実なのかを識別するために科学や哲学が必要となるのである
妖怪悪霊の類いを信じ込んで効果のないおまじないで安心しても安全性は全く向上しないのである
疫病対策として妖怪を祀っても それは主観的気分の問題であって 客観的には効果がないことは明らかである それはたいていの人が知っている
ところが 純粋理性批判に関しては多くの人が客観性のある論理的根拠を伴う「哲学」だと信じ込んでいるため 純粋理性批判を鵜呑みにして「理性には利己的利益追求の側面があります」などと言い出すバカが後を絶たない
バカは自分で物事を考えない
物事を考えないからバカなのだが
何が論理的根拠を伴う「考え」なのか それとも客観性のない「思い込み」に過ぎないのかを区別出来ないのが原因である
自分で物事を考えず 多数派に迎合して自律的判断を放棄しておいた方が判断責任を負わなくて済むため 主観的には安心してどんな話でも鵜呑みに出来る
バカというのは その主観的な安心そのものが「利己的」であることすら自覚することはない
感覚や直感には利己的利益追求の側面が存在しないとでも言うのであろうか
何も考えない方がむしろ利己的なのである
ヒト以外の動物は常に利己的である
ゴリラやチンパンジーに白目がないのは 相手から視線を悟られないために結果的に進化したためであり 基本的にゴリラやチンパンジーは相手に自分が何を考えているのかは知られたくないのである
イヌやサルにエサを与えて芸を仕込むことは出来るし 盲導犬や介助にサルを用いることは可能であるが これは訓練によってヒトにとって都合の良い行動を「学習」させることで可能になる一種の洗脳であり あまり知能の高過ぎる動物は使うことが出来ない
すると「知能が高いと理性が働くから 理性は悪だ」という説明も可能になるが これは間違いである
知能が低いイヌの場合 軍用犬として殺戮に運用することも可能となるのであり どう運用するのかは使う方の目的次第である
重要なのは「目的」である
目的が目先の欲望だけである場合には 利己的行動しか促されることはなく これは理性の有無とは関係がなく ワニでもサルでも野生動物は全て利己的なのである
ヒトがなぜ利己的行動を悪だと認識できるのかと言えば それは社会安全性において必要だと「理解」しているからである
自然界においては利己的行動だけでも 結果的に環境調和が可能な生物相へと「進化」した結果 肉食動物の繁殖力が一定程度低く 草食動物の繁殖力が非常に高い個体種だけになったのであって 別に彼らが「自然環境と調和するため」という目的意識に基づいて自らの遺伝的形質を選択したわけではない
「犀は草食動物だが繁殖力が低い」のだが それは肉食動物から喰われないためであって むしろ天敵がいないために繁殖力の低い個体でなければ環境調和に適さないため 結果的に淘汰されたと言える
つまり 環境調和であれ何であれ 野生動物の形質というのは全て結果的な必然性であって 誰の「目的」も介在していないのである
それなら自然界同様に社会から犯罪者を片っ端から「淘汰」していけばヒトは人間性が高まるという妄想も働くかも知れないが これは自然界の「結果」を鵜呑みにした短絡的発想に過ぎず 本当に自然界における遺伝的進化を促すためにはヒトの99.99%以上を淘汰しなければ遺伝的進化など起きることはない
そもそも遺伝的進化による先天的な行動習性や形質といったものは 特定環境下においてのみ有効性を発揮するものであって 環境が変われば無駄になるものでもある
ネアンデルタール人が絶滅したのは寒冷地適応が地球温暖化に対応できなかったのが原因だと言われている
もし ネアンデルタール人の中により温暖な気候に適した個体がいて その個体同士だけが子供を作り続ければ環境の温暖化にも適応することが出来たかも知れないが そうした遺伝的進化というものは常に成功する保証は何もないのである
遺伝的進化が促されるのは何世代もの苛烈な淘汰が必要であり 自然界の過酷な淘汰圧力の結果に過ぎない遺伝的進化をヒトに適用する時点で 既に人間性を著しく欠いているのである
ヒトは 深く物事を考えれば社会安全性が結局は自分の利益になることを認識することが可能ではある
可能ではあるが それは深く考えずに目先の欲望に任せてしまえば社会安全性よりも利己的行動の方を優先してしまいがちである
だから犯罪だの紛争が絶えない
釈迦は「情けは他人の為ならず」と述べたが それは宮沢賢治の「世界中の人が幸福にならなければ 自分の幸福もあり得ない」のと同義である
ゴリラやチンパンジーレベルの中途半端な知性は利己的利益追求を加速させることになるが ヒトは深く物事を考え 何が本当なのかを理解認識することによって目的を持った人間性を発揮することも可能なのである
ヒトであってもゴリラやチンパンジーレベルの中途半端な知性しか発揮しなければ利己的な行動しか採ることはない そんなバカなら世の中に掃いて棄てるほどいる
さらには中途半端な知性すら働かずにイヌ程度の盲目性を発揮してしてしまえばバカげた戦争にも便利に使えるようになるのである
相模原障害者施設津久井やまゆり園の被害者の個人情報報道が問題になったのは その個人情報に基づいて直接電話や訪問や「手作りのおはぎ」を持ってくるという迷惑な「お励まし」が起きたことである
「お励まし」を行っているヒトというのは 主観的に「かわいそう」だと思ったからやっているのであって 客観的に迷惑かどうかを全く配慮しないバカが一定する世の中にはいることの証拠である
現在の義務教育における「道徳」教育というのは 主観的な「かわいそう」という感情論の喩え話をしているだけであって これは被害者や遺族への配慮を欠いた「お励まし」を助長するだけである
「相手の気持ちを理解した」という錯覚に基づいた行動であろうが 実際には「お励まし」をすることによって 「自分は心の優しい人だ」と思い込むための利己的な自己満足でしかない
「情けは他人の為ならず」ではあるが 合理性や方向性のない身勝手な観念で「お励まし」をされても迷惑だということを バカは自覚認識することが出来ないのである
松永莉子パパに対して無神経に「頑張って」だとか「早く忘れろ」だとか言い出すバカもいるらしいが 頑張るべき対象を失ったから地獄なのであって無神経にも程がある
鬱状態の人に対して「頑張れ」は禁句である これは臨床心理では常識であり 絶対に言ってはならない
ところが一般的には何か災害などが起きるとすぐに「頑張れ」と言い出すのが常識みたいになっているが これは個人に対しては厳に慎むべきである
マスコミ報道で「お涙頂戴」とばかりに被害者報道を繰り返し その報道に煽られて無神経な「お励まし」を行うことは人間性を欠いた行動である
被害者を取材して個人情報を垂れ流して「お涙頂戴」的報道でもしておけば視聴率は採れるのだろうが それは身勝手な利己的行動にしかなっていない
自分達の組織の利益を追求しているだけであって 社会安全性にとってはむしろ害しかもたらしていないことも自覚せず 「事件の再発防止のため」などという論理的根拠もない身勝手な実証不能の観念を振り回すのは 合理性のない「道徳」教育が助長しているのである
知能が一定程度までは利己的行動は助長されるが 理性が充分に発揮されれば利己性が悪であることを自覚し自制することができるようになる
ゴリラやチンパンジーは生息数が少ない それは生物としては特に優れていないことをも意味する
ボノボは感情が高ぶると誰彼構わず抱きつきケツを振って満足するが これは時折イヌでもやる程度のことである これをヒトの社会人がやったら頭がおかしい
自分の感情は自分でナントカするのが人間というものである 「誉めてもらわないとやる気が起きない」だとか言っているのは自発性や主体性の欠如したバカの言い分である
芸術や文芸というのは科学や哲学と違って主観の世界である だから会田誠や江戸川乱歩による猟奇殺人小説のような不道徳な作品でも構わない そもそも「道徳」なんてのが社会安全性にとって意味がないからである
「たかしくんは やさしい気持ちになりました」でも「たかしくんは 女子の太もも見てムラムラしました」でも同じ主観であることに違いはないし それこそ「たかしくんは腹が立ったので殴りました」でも主観であることに違いはない
個人的な好き嫌いをどんなに多数で共有しても それが論理的根拠を伴った客観的事実の論証になるわけではない
養老孟司は主観的な好き嫌いの話を陳列して「客観的事実などない」などと言い出したのであり 科学者としても哲学者としてもポンコツ過ぎて論外である
養老孟司の嘘は大多数の人は見抜けず 簡単に鵜呑みにして主観的満足だけでなにかを「理解した」かのような錯覚に陥る
こうした錯覚によってヒトは真理を見失い 訳のわからぬ実証不能の観念を鵜呑みにし 他人に多大な迷惑をかけることになるのである
嘘つきは養老に限ったことではなく マイケル:サンデルやマルクス:ガブリエルや西研や茂木健一郎 挙げたらキリがないほど山ほどいる それらのどこがどう間違っているのかを全部私が教えるわけにはいかない
嘘つきという利己的行動は 知能が充分に働いていないバカの行動であり バカはいなくなることはない
「いなくならない」からといって放置して良いのではなく 「いなくならない」からこそ嘘を見抜く知性や理性が必要不可欠なのである
航空機事故もおそらく「なくならない」だろう だからこそ徹底した論理的原因究明と再発防止策が必要なのである
バカという「失敗」を教訓にすれば バカは確実に減る
バカが減れば社会安全性は確実に高まるのである
Ende;