他人の幸福への配慮をするためには 自分自身が主体的にこの世界で生き続ける理由が必要である
カントの如く頭ごなしに「他人の幸福に配慮することが道徳的で正しい」などという話に合理性はない
カントは「自分には叡智が働いている先天的に優秀な人物なんだ」と勝手に妄想し 勝手に満足しているだけであって ありもしない「叡智」妄想で満足して何も考えなくなることこそが むしろヒトという種の生物における習性であり シーケンシャルな「因果律」でもある
自己がこの社会の中で生き続ける理由なしに 他人への配慮も意味を為さない
なぜ教育において自主性や主体的判断を重んじられるのかと言うと それが個人の自律的な社会的責任判断選択の源となるからである
ところが 幼少期から虐待を受けて育った子供が大人になると 再び自分の子供に虐待を連鎖したり 他人に対しても暴力的行動を採る傾向というものがあり 同時に自律的な社会的責任判断選択もできなくなるのである
これもまた「因果律」ではあるものの 幼少期から脳に「学習」させられてしまった環境自体に選択可能性はない
子供の頃にどのような育て方をされるかについてはそれぞれであって 決して一律に公平だとは言うことは出来ない
劣悪な環境で育った場合程自律的判断能力が欠落しがちな傾向があり 決して犯罪の結果だけを基準に「罰の公平性」を問うても意味がない
犯罪者に特有な子供の頃の養育環境というものがあるのであれば それは改善しなければならない
なぜなら子供には自分の養育環境を選択する余地がないからである
「他人の幸福に配慮する」ことが道徳的だと言いながら 「叡智界」などという実証不能のファンタジーに基づき 犯罪の全ては自己責任だと言い張るカントは頭がおかしい
犯罪者と言えども 決して自ら犯罪者になろうと思って生まれてきた者などいないのである
環境依存性という「因果律」に左右されて自律的な社会的責任を負わないことは「悪いこと」ではあるが
自主性や主体的意思を一切重んじてもらえないという養育環境の不公平まで「叡智界」を根拠に一律に人間性を発揮しろというのは あまりに短絡的で慈悲に欠ける冷徹な発想である
カントの勝手な妄想に基づいた道徳法則などというものは実存せず あるのは論理的根拠に基づいた社会安全性の追求のみである
社会安全性を優先しない倫理など存在しないからである
カントの勝手な妄想によって満足することにより 回避可能な危険性が放置されていて倫理もスッタクレもあったものではないのである
カントが勝手に決めつけた道徳法則などというものを万人が普遍的に鵜呑みに出来るわけもなく その道徳法則なるものの存在を鵜呑みにして満足している大衆や「哲学者」達も 所詮はヒトという種の生物の盲目性に基づく「因果律」に支配されているに過ぎず
バカであることに違いはない
バカは怠惰で無能なのだ
ヒトという種の生物における 先天的な「社会性」というものは 必ずしも常に人間性を伴うような都合の良いものではなく 特定の集団組織における統率的協調行動を促すだけであって これはむしろ差別排除やイジメの大きな要因ともなるのである
「普遍的」という言葉に惑わされ あたかも多数派なら普遍性の論証になると思ったら大間違いである
ナチスは民主的に選ばれたことを忘れてはならない
「どんなにたくさんの白いスワンを集めてきても この世の全てのスワンが白いことの論理的証明にはならない」(カール:ライムンド:ポパー)のである
国会原発事故調査委員会報告書において 事故の最も根源的原因として「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」だと結論づけている
「組織の利益を優先」するという組織体制への迎合性や同調性もまた 「個人の自律」を不具にする大きな要因であり 決して「ヒトの先天的な社会性」が常に人間性を伴うわけではない
カントの純粋理性批判を読んだバカの大半は 「自分には実証も知覚も不能の叡智が存在している素晴らしい存在なんだわ」などと勝手に妄想して満足し それが糞の役にも立たないという現実(真実)を見えなくさせ バカになるよう誘導されていることに誰も気付かなくさせているのである
バカは疑うことを知らない
なぜなら バカは何も「考え」ないからである
Ende;