書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

決めつけ

2020年06月06日 23時10分46秒 | 意識論関連

「人間ひとりが、狂うことは稀だが、集団、政党、国家、時代が狂うのは定めである」 -フリードリヒ:ニーチェ

集団政党国家時代が狂うことが絶対に不可避であることの論理証明があるわけではない

「定め」であることの根拠が全く示されておらず

また 当然原因も根拠も不明なので再発防止策なんぞ一切出てこない

これは単なるニーチェの勝手な決めつけでしかない

こんな糞の役にも立たない勝手な決めつけを哲学だと勘違いし

何かの役に立つと錯覚しているのは極めて無責任である

哲学は「役に立たなくても良い」のだが 「役に立たないことが論理的に証明出来るのに証明しない」のは何も「考え」ていないからであり

それは「哲学」ではなく 「根拠のない身勝手な思い込み」に過ぎない

 

養老孟司の「ヒトとはそういうものである」だとか

室山哲也の「人類は絶対に絶滅します」と一緒で

論理的根拠もなく勝手に決めつけ科学や哲学だと言い張っているだけであり

無責任で悪質なペテンである

 

 ◇

「イジメはなくならない」などと称して自発的に何も対策を考えようとしなくなるのに都合が良い言い逃れと同じで 「なぜイジメが起きるのか」という原因究明が出来れば再発防止に役立つのであって それを考えることを面倒くさがって放棄するために論理的根拠もなく「イジメはなくならない」と決めつけ 勝手に満足する

「イジメはなくならない」と称して対策をしなくなれば それは確かになくならないだろう

それはもはや「トイレットペーパーがなくなる」という「予言」と一緒で 予言を盲目的に信じたバカの多数によって予言は達成されるのである

ニーチェや養老孟司による根拠のない勝手な決めつけを鵜呑みにしておけば 何の責任意識も持たずに何も考えず 何も対策をしない方が個人的には楽であろう

それは ただの怠慢怠惰でしかない

ニーチェや養老の話を鵜呑みにしたがる奴というのは 精神が怠惰だからである

怠惰を正当化し 既に存在している自己を正当化することによって 何も考えなくなり 現時点での選択可能性を喪失するのである

それこそが人間性や倫理の喪失を招くのである

 

Ende;

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自己矛盾

2020年06月06日 14時02分21秒 | 意識論関連

エマニエル:カントの「叡智界」だとか フリードリヒ:ニーチェの「超人」だとかを未だの哲学として教育機関で教えているというのは

これは例えば錬金術や天動説を未だに科学だとして教えているようなものなんですよ

「科学の歴史」と題して「過去にこうした間違った話を科学だと信じていた時期もありました」と教えるなら間違いじゃありませんけどね

今の哲学界というのは間違っていようがなんだろうが 人気さえあればロシア文学だろうと妄想観念だろうと「哲学」として扱っている

哲学っていうのは「考える」ことであって 主観的に「信じたいことなら論理的根拠や実証的証拠が伴わなくても信じて構わない」わけじゃありませんよ

ヒトは主観的に「信じたいものだけを信用したがる」習性があります 

主観に頼っていると客観的真実を見失うから論理的客観性に基づいて「本当のこと」を見極める必要がある

科学や哲学というのはそのためにある

なのに哲学界は主観的好き嫌いに基づく文芸を哲学と明確に区別出来ていない

これはフィクションやファンタジーと科学をゴッチャにしているのと同じこと

それは異常なんですよ

もしエマヌエル:カントの純粋理性批判が論理客観的証明であるというのであれば 畑村洋太郎に説明できる奴がいるのかって話ですよ

「叡智界」なんつうオカルト話が出てくる話を畑村洋太郎が理解できる形で説明できる奴なんか世界中探したって出てこないんですよ

なのに文科系大衆やマスコミには人気がある

それはなぜか 客観的理論を伴う話じゃなくて 読んだ奴が主観的に満足して勝手な解釈をでっちあげられるからですよ

野依良治は「わかった」と錯覚したようですけど だから「ボケジジイ」なんですよ

「論文を捏造するのはやめましょう」なんつう幼稚園レベルの「教育指導」を再発防止策だと言い張るようなバカですから そりゃボケているとしか言いようがありません

かつてはノーベル賞を獲るくらいの知能があったかも知れませんけど

過去の栄光が今現在の知能の論証になるわけではありませんよ

科学や哲学を主観的に「信じたい」かどうかを判断基準にするべきではありません

個人的な好き嫌いというのは客観性も論理性もないからです

それとも何ですか あんたの好き嫌いには論理客観性が先天的に組み込まれているとでも思ってんですか?

おまえさん 一体何者なんですか?

自分を何様だと思ってんですかね?

私は自分をスケベなハゲヲヤヂだと思ってますよ だから正しいのは論理的根拠に基づく客観性だと「知って」いるから自分の主観的好き嫌いは信用しません

学校安全に関わる研究者が金髪で「何かチャラい」と「思って」も 言っている内容が論理的に正しければ信用します

でも 言っている内容に論理整合性がなければ京大学長だろうが東大名誉教授だろうがノーベル賞受賞者だろうが叩きます

「権威」というのは 主観的に「信用したい対象」という主観的分類でしかなくて 論理客観的に「権威」というものを立証するこた出来ないんですよ

ガリレオを火炙りにしようとした当時の教会も ヴァルター:ベンヤミンを死においやったのも当時の「権威」であることに変わりはありません

地動説を火炙りにしようとした「失敗」経験に基づいて 「なぜ失敗したのか」の原因を突き止め 再発防止に役立てなければ 何度でも同じような過ちを繰り返し 真理を見失うことになります

真理 真実が見えなければ 正しい行動選択は出来なくなります

意味のない「おまじない」の類いに邁進して 実効性のある行動はしなくなる

「ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し他人に多大な迷惑をかけてきた」からといって 「ヒトとはそういうものであって 何度繰り返しても治らないものである」という解釈をしておいた方が何も考えずに無責任に放置することができます

何も考えず 何も責任を取らない方が安心でしょうよ

それこそがむしろ「利己的」だということを誰も「考え」もしないんでしょうな

理性を批判しときゃ自分の主観的な感覚が正当化出来ると「思って」いる

だから客観的論理検証に基づく根拠を誰も「考え」なくなる

ヒトは先天的にバカなんですよ

でも バカは自覚すれば治る

自分の何がどうバカなのかを客観的に理解していれば バカに陥らずに済む

バカのままでいたほうが気が楽でしょうな

国民を弾圧する独裁者というのは それが安心だからやるんですよ

警察や軍隊が平気で市民に危害を加えるのも

デモに乗じて略奪や暴動を起こすのも

その方が安心だからやるんです

自分の主観的な安心の多数決によって 破綻への暴走が始まるんです

暴走している間は安定しています

安定しているから破綻するまで暴走することになる

誰もブレーキをかけない

暴走者の群れと暴走者の群れが衝突しても それは武力の強い方が「勝つ」だけであって そこに正義なんぞありゃしませんよ

ナチスを止めたのはソ連でしたが ナチス以上に国民を虐殺したそうです

暴動を制圧するのに軍隊や武装警官は「便利」でしょうけど 彼らには主体的な「意思」なんぞありゃしません

命令通りに服従するだけの洗脳状態を人為的に作り出した集団が兵隊というものなんですから

自国の武力の方が強ければ主観的には安心でしょうけども その主観こそが軍拡というバカみたいなチキンレースの原因なんですよ

そして 軍隊というのは自分たちの存在価値を示して評価を得るためには 実際に戦争をするのが一番効果的だから戦争が起きる

ヒトがバカなのは 主観を意識の本質だと錯覚し「思って」いるからです

だから 「主観が大事」なんつう根拠のない野依良治の勝手な決めつけなんぞ要らないんですよ

要らないものは要らない

 

「理性を批判する理論」という時点で自己矛盾ですよ

話にならない

「理性が悪だから主観的感覚や直感の方が正しい」という「理論」が純粋理性批判です

その結論が「人間は叡智界に属しているのである」ときたもんだ

もう何が何だかサッパリ訳がわからない

そういうオカルトの方が大衆やマスコミには人気がある

「ヒトとはそういうもの」なんですよ

それで良いと「思って」んでしょね

 

 

Ende;

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