欲望とか感情といった 個人的な好き嫌いの範疇である「主観」的感想が 自分の意識の本質だと勘違いしている人が多いんじゃないかと思うのだ
個人的に好きで 安心満足感が得られることを ヒトは信じようとする
ヒトって信じたいことだけを信じようとする先天的習性があるからね
だからこそ振り込め詐欺師に一旦騙されると 騙されていることを認めようとしなくなる
ヒトの意識の9割は無意識と言われていて 9割は感覚的な感情とか好き嫌いで判断しちゃっている
だから客観的に真実かどうかを検証することができなくなる
その意味においては「中枢は抹消の奴隷」ということになる
それなら 絶対に主観的感覚が促す「印象」だけでしか物事を判断できないのかと言えば そうとは言い切れない
ヒト以外なら「中枢は抹消の奴隷」なので ネコは鏡に映る自分の姿を自分だとは認識できないので威嚇し続けることをやめようとはしない
でも 認知機能に著しい障害でもなければ 大抵のヒトは物事を客観的に検証して 錯覚か 錯覚ではないかを区別すること「も」可能になる
主観的な「印象」以外に 論理客観的根拠に基づいた「考え」を働かせることも可能で そのための科学や哲学なわけです
主観的「印象」だけなら まさか赤道が超音速で回転しているなんて「感じ」られないんですけど 地球の円周と一日の自転時間から導き出せば認めざるを得ない「事実」なわけです
地球の直径が4万キロで 一日が24時間ですから 時速1666キロで赤道の地表は回転している
大気中の音速はおよそ1200キロ
超音速
◇
本能欲望というものは 本当は自分では選択することができない
「欲望そのものを欲することはできない」のである
そもそも自分の遺伝子は自分で選んでいない以上 その遺伝子から作られた脳の構造や 脳の構造から出てくる先天的本能欲望もまた自分では選択不可能なものである
しかも 自分の生育環境としての社会や時代もまた自分では選択できないものであり 生育環境から「学習」したあらゆる価値観もまた自分では選択することができない
この話をすると それまでそんなこと考えたこともなかった人はビックリして 恐怖や不安に陥ってしまって 論理客観的な「理解」を拒絶して頭ごなしにオカルトか何かだと決めつけて無視しようとするんだけど
それこそが正に「主観的好き嫌い」を「論理客観的根拠のある真実」と錯覚している状態なわけですよ
洗脳の話で良く出てくる「認知的不協和理論」っていうのは 要するに「主観的に嫌いな話には耳を貸さない習性がヒトには存在している」ことを言っているわけです
洗脳なんて特別に頭の悪い人だけが陥る特殊なものだと そう思っている人は多いんですが 実は大抵のヒトは簡単に自分の本当に望んでいる事とは乖離した行動に陥る認知上の欠陥が先天的に存在しているのです
振り込め詐欺被害が後を絶たないのも ヒトの認知上の欠陥を利用したものだからであり
ミャンマー政府軍や香港警察による民衆弾圧も 弾圧している兵隊や警官には主体的に物事を判断する能力が失われ 洗脳されているからこそ残虐行為も簡単にできるようになるわけです
軍隊っていうのは 兵隊個人に主体的選択なんぞさせません 上官の命令に服従させるために主体的判断なんぞしないように無駄に厳しい「訓練」をすることで 唯々諾々と服従させることで戦争のようなバカげたことにも何の疑問も持たずに殺人をできるように洗脳している
軍隊に入隊させときゃ大抵のヒトは洗脳されるようにできている
だからミャンマー政府軍の兵隊も 香港警察の警官も 太平洋戦争中の日本軍の兵隊も 民衆弾圧に何の疑問も持たなかった
「自分だけは 絶対に大丈夫だ」という 論理客観的な根拠がない身勝手な主観的自己過信によって ヒトは簡単に自己客観性を失い それまで信じていた世間の「常識」や価値観に何の疑いも持たなくなる
カルト宗教の信者に対して 「お前さんが信じ込んでいる教祖は頭がおかしいぞ」なんて客観的事実を突きつけても 信者は拒絶反応しかしません
一度信じ込んで それまでずっと信じこんでいた自分という既成事実を否定されると 自分の頭の悪さを自覚しなければいけませんから 気分が悪くなるので条件反射的に拒絶する
「信じたい話を信じようとする」ということは 同時に「信じたくない話は信じようとはしない」ということでもあって 主観的に嫌な話に耳を貸さなくなるのがヒトの普遍的習性だとも言えるのです
このような先天的な認知上の欠陥というものがヒトにはあるため ヒトは誰しもが簡単に間違った判断をするようになるものなのです
天動説が信じ込まれていた時代には 地動説はヒステリックに火炙りにしなければいられないほど「嫌な話」だった
火炙りにしたら地動説の反証になるわけでもないのに 非合理にも暴力で片付けようとしたわけです
むしろ理論的には反論できないものだから 非合理な手段として暴力で片付ける以外何も思い付かなかった
ヒトって暴力という非合理な手段で何かが解決すると「思って」いる
主観的な印象として気に入らない相手には暴力的懲罰でも与えておけば安心満足して解決したと「思って」いる
だから社会制度上では司法刑罰の判決で「解決した」とみなされているんですけど 実は何も「解決」なんてしてないんですね
無差別殺人犯を死刑にしても 「どうして無差別殺人などという何の合理性もない行動を採るようになったのか」についての原因や再発防止策への知見にもならない
そういえば昨日(10月31日) 京王線でも無差別殺人があったと報道されてましたね
無差別殺人が起こる度に死刑という合法的暴力を繰り返しても無差別殺人事件の再発防止にはならないんですね
だけど 死刑にして「解決だ」と多くのヒトは「思って(印象)」いる
中には「死をもって償え」などという意味のわからぬ尊厳論を言い出す人もいる
犯罪者を殺しても「償い」になんか一切なりませんよ 殺された被害者が生き返るわけじゃありませんからね
無差別殺人犯が何を考えているのかと言えば 実は「考え」なんかないんですね
論理客観的に「考え」たら無差別殺人なんて非合理な行動はしないんですよ
でもね ヒトって気に入らない相手を殴りたいと「思う」ことはあるものです
もちろん火炙りにしたり殴ったりしても何の解決にもなりませんよ 何の合理性もない
だけど殴りたいとは「思う」ことはある
これはヒトという種の生物の先天的本能習性が促しているだけであって 本能習性には合理性の根拠がないことの一つの証左でもある
先天的本能習性というものは あくまで祖先の生息環境下において「生存」や「種の保存」にとって有利に働いた収斂進化の結果であって 気に入らない相手を殴ってナントカしようとした個体種への収斂進化という結果でしかない
過酷な自然環境下では暴力的であることの方が生存にとって有利ですから 暴力性は進化の過程で結果的に組み込まれた「祖先から受け継いだ名残り」でしかない
バカな生物学者は 動物のオスがメスを巡って争うことに対して 「より強い遺伝子を遺すため」などという目的に則った合理的行動を選択しているかのように「説明」しますが これ 嘘なんですね 遠藤秀紀が言う遺伝的進化に対する「典型的な間違い」なんです
メスを独占したいという欲求が強く 同一種同士で争いたがる習性を持っていれば 喧嘩をしたとき必然的に喧嘩の強い方が勝つわけです
当たり前体操 ちゃんちゃん
結果的に喧嘩の強い遺伝子が受け継がれることになるので 争いたがる習性を持った個体の方が過酷な自然環境下における生存競争には適することになる
そういう「結果」でしかなくて 「目的」なんか要らないし立証もできない
チャールズ:ダーウィンによる遺伝的進化のメカニズムとは 全て「自然現象」として説明可能だというものであって 「目的のために進化を選んだ」などという説明は従兄弟のフランシス:ゴルトン(優生学というオカルト観念で有名)などが言い出した話なんです
実際野生動物のオスって 交尾はしたがるけど子育ては一切しないで 交尾さえ終われば別のメスを探しにとっとと別の場所に行ってしまう
「メスにワンオペ育児を丸投げしておいた方がより強い個体への淘汰圧力として働くからオスは子育てをしないんだ」なんて言い出すバカもいますが 「こじつけ」以外の何ものでもありませんよ
こういう行動は 実はヒトでも結構見られる
「不倫は文化」なんて言ってたバカもいましたね
オスが交尾をするのは 交尾がしたいだけであって それ以上の何の目的意識もないんですね
「より多くのメスと交尾した方が自分の遺伝子を遺せる」などと言う話もこじつけです
ヒトだって教わらなければ遺伝子なんて概念は知る由もありませんからね
より多くのメスと交尾したがる個体の遺伝子の方が「種の保存」にとって有利に働いた結果でしかありません
生涯一人のパートナーとしか結ばれることをしかしない誠実なオスよりも 誰彼構わずヤりまくるオスの遺伝子の方がより多く遺ることになる
ただそれだけの話でしかありません
カラスによるネクロフィリア(屍姦:死んだ個体との交尾)に及ぶのも 交尾自体は「ヤりたいからヤる」という方向性も目的も何もない本能に過ぎず 先天的な繁殖行動バイアスには目的とか意味とか合理性なんてのは何もないからです
ヒトでも時折繁殖能力すら持たない幼女を強姦して殺害するっていう事件が起きます これも意味も目的も合理性もヘッタクレもありません 「ヤりたいからヤる」だけなんですね
ヒトは 見た目が幼い個体を配偶相手として選んだ結果として幼形成熟性が高まったと言えます 脳が収まる頭部が肥大したのも幼形成熟が少なからず影響していると言えるでしょう
なので 同じ年齢なら見た目が幼く見える配偶相手の方を選ぶ傾向が見られます
元々は子供を見て「かわいい」と脳が気持ちよくなる習性が 配偶者選択にも働いた結果でもあるんですが これが暴走すると幼女強姦殺人という意味の全くわからない行動にも至ることがある
本能習性というものは目的とか方向性とか合理性があるわけではないので 全く合理性も何もない行動を本能が促してくることも少なくないんです
本能習性というのは あくまで「結果に対する必然性」しかない
「吊り橋効果」ってご存知でしょうか
一緒に怖い体験をした相手に対し 意味もなく恋愛感情(繁殖行動バイアス)が働いてしまう性質のことです
女性がDV男に引っかかるのも 「力の強い男が本能的に好き」という以外に 暴力的な男と一緒にいると「怖い」ので 脈拍数とか呼吸数が増えて「吊り橋効果」によって好きになったように錯覚するからです
冷静に「考え」たら迷惑者でしかないクソDQN男であっても「好きになったような錯覚」に陥るのは 恋愛感情(繁殖行動バイアス)の暴走でしかなく 合理性なんぞ1ミリもないんですが 主観的感覚や印象の中には そうした錯覚によって非合理で無意味な行動を採ってしまう場合が結構あるんです
オオカミのメスは子供ができると群れを離れて一頭だけで子供を育てます
これはオオカミのように本能的な「社会性」が強く 封建的で順位序列の強烈な群れの中では子供までもが暴力差別の対象となってしまうため 子供を安全に育てるためにはむしろ群れから離れてワンオペ育児をしないと子供が守り切れないためです
ヒトの子供を集団で生活させておくと 自然とイジメ差別が始まります
元々は狩猟採集生活をしていた祖先が 獲物を狩るための統率協調的行動への満足感 いわゆる「仲間意識」への安心感を得るための行動バイアスが 狩る獲物の代用として同級生を標的にすることで得ようとする本能的習性の暴走によってイジメは始まるのです
なので 集団で統率的に行う「イジメは楽しい」のです
スポーツにおいても チームに分かれて集団で勝ち負けを楽しめるのも 集団で何かを統率協調的に達成することが楽しいと感じられるからです
ところが イジメの場合は標的とするイジメの対象は誰でも構わないので 下手をすると自分が標的にされる危険性もあるため 被害者にされないためには加害行為を率先してやり続けないといけなくなり 強迫観念的にイジメが苛烈になることもあるのです
軍隊や警察が民衆弾圧に利用できるのも 自分が被害者にされないためには率先して加害者として行動しておかないと不安になるためであって 強迫観念的に民衆弾圧を行う原因でもあります
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)では 一般の人が権威の命令に従って他人に暴力を振るうようにもなる普遍的性質があることを立証しました
でも この科学的立証っていうのは「普通の人」って受け入れようとしない傾向が強くて 根拠も示さずに「それでも権威に服従しない社会は崩壊する」などと勝手に決めつけて「なかったこと」にしようとする
アイヒマン実験で立証された結論というのは 権威の命令に唯々諾々と従うのではなく 自分の頭でもちゃんと考え判断することの重要性を説いているのであって そうしないと社会が崩壊するからちゃんと自分の頭で考えましょうねって話なんですけど
大衆の多くは権威には無為に服従して疑わない方が主観的には安心満足なもんだから 何が何でも権威に服従することを正当化しようとして根拠もない勝手な解釈をでっち上げようとするわけです
アイヒマン実験の結果というのは 多くのヒトにとっては気分が悪く 都合の悪い 嫌な話であるために 論理客観的根拠も示さず否定的な解釈だけをこじつけて 主観的に「納得」して終わりにしたがる
論理客観的に「考える」ことが面倒くさくて嫌なので 思考停止して嫌なことは全部「なかったこと」にして終わりにしたい
そういう精神的な怠惰怠慢をヒトはやらかすんですね
フリードリヒ:ニーチェの「迷言」の数々は 衆愚が精神的怠惰を正当化するのに都合良く「解釈」可能な根拠のあやふやな話だから大衆人気があるだけなんですよ だから本当は「哲学」なんかじゃない
哲学ってのは真理を追求するものであって 「本当のこと」を見極めるためのものが「哲学」であって 勝手な主観的解釈をでっち上げて満足安心するためのものではないんですけど 多くのヒトは勘違いしていて 哲学で悩みがなくなるとか 気分が良くなるものだと勝手に思い込んでいるもんだから 気分が悪くなる話は全部無視しようとする
「哲学者」と呼ばれる研究者の多くも無責任で 「哲学には好き嫌いがあります」などと称して あたかも個人的好き嫌いが論理客観的に正しいことの論拠にでもなるかのように言いますけど 「嫌いだから論理客観的な根拠のない嘘」であることにも「好きだから論理客観的な根拠のある真実」であることの論証にもならないんですよ
科学は多数決ではありません
統計的な証拠はありますよ 100万人に投与した医薬品に重篤な副作用が出なければ 副作用は心配しなくて大丈夫みたいな判断はあります
しかし 論理客観的な根拠のない話を多くの研究者が信じていても それが客観的真実であることの証拠になるわけではない
「ウイルスにとって宿主が死ぬと困るので 適応した株種への変異がどんどん増える」なんて話には論理客観的根拠がありません
「困る」かどうかで変異に偏りが生じるメカニズムなんかありませんからね
大手町の医師は こうも言ってました「毒性が強すぎると弱毒化が起きない」と
これ おかしいんですよ アナウサギに対するミクソーマウイルスって致死率95%の猛烈な強毒性があったからこそ弱毒化が起きたわけで 他にもコロナとは比較にならない程の高い致死率のエボラ出血熱ウイルスが実際に僅かな弱毒化が起きている統計的証拠もあるわけで 大手町の医師が言っているのは 根拠も証拠もない勝手な妄想観念でしかない
それとも何ですかね 「困り」さえすれば都合の良い変異が「どんどん起こる」実証的証拠でもあるんですかね
ヒトは暴力や戦争で殺し合いをするのが「困る」からといって 殺し合いをしない種への変異が「どんどん起こる」とでも言うんですかね
実際には何一つ都合の良い変異なんか起きなくて むしろ先天性疾患みたいのがどんどん増えている そのうちY染色体なんか壊れてなくなっちゃうって話もある
どんなに「困って」も 都合良く変異なんか起きないんですよ
変異ってのは常にランダムで 方向性も目的も何もなくて 結果的にバリエーションが増えた後に淘汰圧力によって環境に適応した個体種以外が全部死ぬことで収斂(置き換わり)進化となる そういう結果的な「自然現象」でしかない
遺伝的進化というのは結果的な自然現象に過ぎないため 先天的な本能習性も合理性のない行動を促すことがある
客観的にはそれが事実なんですけど ヒトというのは自分の主観的感覚や印象の方が絶対に正しいものだと信じたがるため 「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ(山極寿一)」的な都合の良い 気分の良くなる話ばかりに人気が集まり その多数によって信頼性の保証か何かだと勘違いする
嘘とか暴力とか 卑怯で人間性を欠いた行動の方が「生存」や「種の保存」にとっては有利に働きます
平等よりも封建的順位序列が適し 理性よりも暴力の方が適し 誠実で正直であるよりも嘘の方が有利なんですよ
過酷な自然環境下で生き残るというのは そういうことです
でもヒトは文明によって自然淘汰圧力から免れたことで 遺伝的にはここ数万年ほとんど進化が見られない
遺伝的進化に頼ることなく 自分達の社会を「進歩」発展させることで様々な高い能力を獲得してきたわけです
ところが 何を勘違いしているのか ヒトがこれからも遺伝的に進化して何者かになるものだと勝手な妄想を信じ込むことで ユダヤ人を標的にした淘汰圧力をでっち上げたりする
フランシス:ゴルトンとかフリードリヒ:ニーチェを鵜呑みにして真実を見失っているのが原因です
ヒトには「正常性バイアス」というのがあって 「自分だけは絶対に大丈夫だ」という根拠のない過信が働く性質があるため 振り込め詐欺に騙されたり 津波からの避難が遅れたり 他にも様々な間違いの原因となっているのです
様々な先天的習性というものは 主観的気分感情や印象によって作り出される錯覚によるものであり 錯覚かそうでないかを区別するために必要なのは 論理客観的根拠に基づく検証性(考え)なのです
読書猿は「学校の勉強は認知的ワクチン」などと言いましたが 根拠がありません
東大医学部の学生が毒ガステロをやらかしたことからも 学力偏差値が高くても嘘やデマを信じ込んでしまったことからも むしろ「認知的ワクチン」としては全く役に立たない証拠でもあります
「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえれば」などという話も意味がありません
生態系のピラミッドというのは進化の結果であって 合理性が伴うわけではありませんし そもそも「知識のエコシステム」って何ですか? 読書猿の勝手なでっち上げでしかありませんよ
知識の「量」が豊富であれば 封建的なピラミッドの頂点にでも立てるものだと思っているんでしょうかね
完全に「どうかしている」としか言いようがありませんよ
出版各社はそんなこと気にしませんよ だって読書猿とか養老孟司は金が儲かる「金づる」ですから 金さえ儲かれば嘘だろうがデマだろうが関係なく宣伝しますよ そういう人たちです
だから都合の悪い話は全く取り合わない
遠藤秀紀が遺伝的進化に対する一般的解釈に「典型的な間違い」があると主張していても そんな都合の悪い話には耳を貸さないんですよ
その代わりに更科功みたいな「はぐらかし」なら平気で同調する
Ende;