書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

様々な意見

2021年11月20日 13時08分08秒 | 意識論関連

早稲田大学に「スーパーフリー」という強姦サークルが作られたことがあった

早稲田大学に入学できる学力偏差値があっても自律的な社会的責任判断能力のないバカは多い証拠でもある

慶應出身の「塾員」が企業内で東大生をイジメているという話もある

 

集団組織的に協調して強姦をするというのは 別に自分の遺伝子を遺すことが目的ではなく 単に女性を強姦して精液を排泄しておきたいだけである

集団組織的協調行動には「大きな力」が発揮できるため 集団を構成する個体の能力に違いがなくても個人よりも集団の方が優位になる

無責任に女性を強姦しまくっている男の遺伝子の方が 一人の女性以外に興味を持たない誠実な男よりも多くの遺伝子を遺すことになる

結果的にヒトは集団組織的協調してより多くの女性を強姦する男の遺伝的性質へと収斂進化が起こることになる

それが女性や子育てや社会安全性や公平性にとって有害であろうが そうした後天的な迷惑は遺伝子に影響を及ぼさない

ヒトという種の生物の先天的本能や行動習性自体には人間性は組み込まれる進化的メカニズムは存在しない

ボスニア紛争においても集団強姦は非常に多かったという

おそらく戦時下の荒廃した状況では暴力や略奪や強姦は日常茶飯事に陥るのが「普通」である

男は欲望のままに行動していれば 無責任に精液を排泄するための行動しかしないものなのである

繁殖能力すらない幼女を強姦した後 殺害遺棄するという事件も時折見られるが こうした本能習性というものには何の合理性もこじつけることはできない

「不倫は文化」などと言っていたバカもいたが 自分の主観的欲望を正当化できているものだと勝手に勘違いしているトンチキの発想である

遺伝的進化というものは あくまで「繁殖が継続」さえして現存生物種として「生存」している結果だけであって それ以外に何か目的だの意図だの戦略だの「考え」だの「願い」だの「祈り」だの「呪い」は遺伝子には影響を全く及ぼすことはない

山極寿一は「人間には先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的には何の根拠もない予測で衆愚からの人気を集めているが これは金儲けのためのデマに過ぎない

先天的な形質や習性というものは後天的にどんなに「困って」も遺伝子には影響を及ぼさないのである

先天的に子宮内膜が薄い遺伝子を持っていたり 後天的に健康状態が悪くて子宮内膜が厚くならなかった女性が妊娠すれば母子共に健康に産まれてくる確率は低下するわけで 結果的に子宮内膜が先天的により厚くなる遺伝子を持った女性への収斂進化がおきた結果であり 別に「子宮内膜を厚くしようと考え」て自らの遺伝子を書き換えられるわけではない

 

「欲望そのものを欲することはできない」のであって 欲望自体は主体的選択可能性の範囲内にはない

状況や環境によって様々に促される本能や欲望の大きさに左右されず 一貫した社会的責任判断に基づいて論理客観的に「正しい」行動を選択する理性なくして人間性は発揮されることはない

ヒトが社会的に無責任な行動を採る「人災」が起きるのは 個人が自律的に物事を判断選択しないのが原因である

イヌやサルは目先のことしか意識の俎上にはない

イヌはエサを見せれば従順に振る舞うが エサがなくなった瞬間に興味を失う

チンパンジーは特殊な実験環境下においては利他的行動に見える行動も採ることがあるが 何度利他的行動をしても自分に利益がないとわかった時点で利他的行動はしなくなる

チンパンジーの知能はヒトの3歳児程度と言われているが ヒトの3歳児は自分の行動と他人の行動の区別がつかないと言われ 一時的には反射的に利他的行動を採ることはありうる

しかし ヒトの子供の場合は 自分が利他的行動を採れば大人からは継続して報酬が得られる環境であれば利他的行動を採り続けることを行動学習的に「普通」だと思うようにもなる

だが残念ながら虐待されて育った子供の場合には 暴力や略奪こそが「普通」だと行動学習してしまうことも多い

虐待の連鎖はイヌやチンパンジーでも見られるものである

ヒトに育てられた哺乳類や鳥類が 野生環境で子供を産んでも育て方がわからず繁殖に失敗する事例も多い

ヒト以外の生物の脳では 自分の頭で物事を考え 判断し 選択することは出来ず 虐待されて育てば虐待を連鎖することしかできないが

ヒトの場合は自律的に判断し 「本当はどう育てられたかったのか」「本当はどう育てるべきなのか」という目的意識に基づき行動選択をすること「も」可能である

目的意識とは 統合的に考えた合理的行動選択であって 先天的本能欲望には目的も意識も存在しないのである

ところがヒトの多くは 自分の主観的印象や感情こそが自分の意識の本質だと錯覚しているため 気分が悪くなる話には耳を貸さなくなる習性があり 逆に気分が良くなりさえすれば嘘でもデマでも洗脳でも簡単に陥り 非合理な行動も平気で行えるようになるのである

ヒトの多くは「自分だけは絶対に大丈夫だ」と主観的に「思って」いるが それはそう「思って」いれば安心で満足だからそう「思って」いたいからであって 客観的根拠は何もない

むしろ頭のおかしい奴ほど自信だけは過剰にあり 過剰な自信ゆえに考えが浅く薄いために自己客観性が全く働かなくなり バカが治らなくなるのである

ヒトの頭の悪さというのはグラデーションでありスペクトラムである

地下鉄に毒ガスを撒き散らして「人類の救済だ」と思っているような著しいバカだけがバカなのではなく 社会の中ではバカの程度というのは標準偏差的な正規分布のはずであり 決して「一切の認知的欠陥の存在しない完全無欠の知能を持ったヒト」などいないのである

そして勘違いしてはならないのは 学力偏差値と本質的知能とは無関係であるということだ

東京大学に入れる程の学力偏差値があっても 教養学部でリベラルアーツと称してフリードリヒ:ニーチェだのイマヌエル:カントを教え込まれても その内容に論理客観的根拠がないことや 基準が曖昧でどうにでも勝手に解釈できる意味のない「迷言」に過ぎないことは誰も気づくことがない

進化生物学上の誤謬に関しても 「目的の為に進化を選んだ」と教え込まれても 学力偏差値が高いバカ学生の誰も論理的におかしいとは全く思うこともなく鵜呑みにして思考停止するのである

生物学界では従来 遺伝的進化が意図目的戦略に基づいた「考え」に則って起こるかのような「説明」をしていたが 科学的には遺伝的進化には意図目的戦略が影響を及ぼすメカニズム構造は存在しておらず これは自分の頭で「考え」れば誰でもわかる簡単な理屈だが 学力偏差値が高いだけでは主体的に検証する意思は全く働かず 漫然と鵜呑みにして傍観放置されるだけなのである

こんな簡単な理屈すら気付かないバカが 社会に出て問題解決ができるわけもなく 原発を暴走させ 粉飾決算の命令に服従し 「刑罰判決で解決」する社会制度しか存在しておらず 犯罪や事故の危険性に対する論理客観的対策は全く行われることがないのである

進化生物学上の誤謬に関して長谷川眞理子は あたかも以前からチャールズ:ダーウィンの進化論に基づいて説明していたかのように主張しているが 私が遺伝的進化には意図目的戦略が介在する余地がないことを主張し続けたことで少しずつ生物学界内部でも浸透してきたことに迎合する形で「皆さんはダーウィンの進化論を誤解している」などとはぐらかしているが 元々長谷川は間違った進化の説明をしていたのであって 自分の間違いを訂正せずにあたかも「皆さんが間違った解釈をしてらっしゃる」かのようにはぐらかして権威性を維持しようとしている大嘘つきである

更科功による「生きているだけでも立派なものなのだ」などという支離滅裂な話は論外である

ところが大衆やマスコミの大多数は そもそも遺伝的進化のメカニズムなんぞ一切理解しておらず 何が間違いで 何が正しいのかなど自発的に検証したこともないため 更科や長谷川の言っていることがあたかも論理的一貫性があるものだと勝手に錯覚しているため 長谷川の「はぐらかし」にも誰も気付かないのである

NHKの最近の番組「ジェンダーサイエンス」においても 「子宮内膜を厚くすることを考えた」などと称して あたかも遺伝的進化には実証不能の謎の人智を超越した「考え」によって自身の遺伝子を操作できたかのように「説明」しているのである

しかも それを指摘しても全く意に介さず 何の訂正もせずに垂れ流し続けているという不誠実な態度は許容範囲を大きく超えている

 

「様々な意見がある」などという言い逃れは簡単だが 論理整合性も客観的根拠もない「説明」を続けることは 科学に対する冒涜である

科学的真理は一つであり 科学的真理は民主主義的に「バカの多数決」で決定するようなものではない

長谷川や更科に限らず生物学者のほぼ全員は 遺伝的進化の説明において意図目的戦略とこじつけてきたのであり ダーウィンの進化論に則った説明はしてこなかったのである

だからこそNHKの文化科学部までもが非科学的な「説明」をしているのであって これは集団洗脳状態と言う他ない

遺伝的進化のメカニズムの中には意図目的戦略が介在しないことは ちょっと考えれば大多数のヒトが解る話であり 多くのヒトが理解可能な話であるならば それは理解可能な誰が思いついてもおかしくはない

それなら 思いついた者が特別に天才なのではなく むしろ考えもしなかった大多数のバカの無能さについて検証することの方が重要である

教えられたことを鵜呑みにして 教えられた通りに覚えて答えられれば学力評価という抽象化された「脳への報酬」によって反射的に学習することは簡単である

「脳への報酬」という主観的快楽が動機だからこそ オウム真理教のようなカルト宗教でも簡単に騙されるのであり NHK文化科学部による非科学的な遺伝的進化の「説明」も従来の生物学者共によるデマを鵜呑みにした結果である

衆愚からの人気を集めている読書猿は 「学校の勉強は認知的ワクチン」だと言っているが 学力偏差値が認知的ワクチンとして機能する客観的証拠は何もないし 「知識のエコシステム」などという話にも論理客観的根拠は何もないのである

衆愚は知識の「量」さえ多く覚えれば頭が良くなって誰も気付かないような新しい発見や発明によって世間的評価が得られることを期待して読書猿のそそのかしに乗っかりたがるが 世間的評価や報酬を目的にしている限り純粋な知的好奇心は発揮されることはなく ただ専門的知識をひけらかして衆愚からの人気を集める程度の結果しか得ることはできない

京都大学学長や 文化功労賞受賞者を批判することは 衆愚にしてみれば「無謀」だとしか「思わ」ないであろう

ましてや生物学界の大多数の間違いを指摘しても衆愚の誰も本気にはしないものである

「ヒトは 信じたいと思っているものだけを信じようとする」のであって これは同時に「信じたくないと思っているものは信じようとはしない」のである

主観的に「信じたくないと思って」いる自分のことを 過剰に信じ込んでいる客観性には頭が働かないからである

「頭が働かない」状態を何と形容するのかは 今までウンザリするほど説明してきたつもりである

 

 

 

Ende;

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