従来 生物学者達のほぼ全員は遺伝的進化というものが意図目的戦略に基づいて生じているかのように説明し続けていたのである
大手町の診療医や日医大の客員教授が「ウイルスは必ず弱毒化する」などと言い出したのも 進化生物学者の大多数が遺伝的進化というものが意図目的戦略に基づいて起こるかのような説明を 何の疑いも持たずに鵜呑みにしていた頭の悪さが原因である
遺伝的進化というものは あくまで「繁殖が継続」して「生存」存続してさえいれば「生物」であって それ以外の何にも「適応」するメカニズムは存在しない
イワシの子供がほとんど喰われてしまおうが ブチハイエナの6割が死産しようが 結果的に「繁殖が継続」さえしていれば「生物」種として存続することになる
従って 生物やその遺伝的進化の全ては結果であって目的などない
既存の弱毒性コロナウイルスの弱毒共生化が生じるプロセスにおいて 都合良く弱毒共生化以外が何も起きなかったと考えるのは無理がある
遺伝的進化が生ずるプロセスでは 必ず淘汰圧力による収斂が必要であり 変異自体は常にランダムであって「ウイルスが困るから」などという荒唐無稽な原理は遺伝的進化には影響を及ぼさない
既存の弱毒性コロナウイルスが弱毒共生進化に「成功」した陰で 一体どれだけの「失敗」が起きたのかは 人類は誰も見たことがないのである
「SARSやMARSは毒性が強すぎるから弱毒化しない」というのも大嘘であり 実際にアナウサギに対するミクソーマウイルスは当初の致死率は95%に達するものであり 新型コロナウイルスよりもはるかに死亡率の高いエボラウイルスでも弱毒化傾向が見られる
ウイルスが弱毒化するプロセスとは あくまで強毒株が宿主ごと死滅して感染拡大が収まることであって 赤潮に対するウイルスも赤潮の原因プランクトンの過剰繁殖が収まることで感染も収束するのである
エボラウイルスは 今のところ感染地域が限定されており 致死率が非常に高いことから対策も徹底しているため 結果的に弱毒化プロセスが働いているため弱毒化が生じていると考えるべきであり これを新型コロナウイルスの蔓延状況と同列に比較することはできない
新型コロナウイルスの場合 一切の感染予防をしなくても人類は絶滅することはないだろう 医療が崩壊しようが文明が崩壊しようが「繁殖を継続」することで絶滅は免れるかも知れない
それをもってして弱毒共生進化の「成功」と見なすことも可能である
感染者の66%が後遺症に苦しむとしても 結果的に高齢者や基礎疾患者が減れば 年金や医療費などの若者の社会負担も減るのかも知れない
生物や遺伝的進化というものは あくまで絶滅さえせずに「繁殖を継続」さえできていれば「遺伝的進化としては成功」なのであって その結果がいかに不条理で非合理で残酷だろうと苦痛であろうと関係がなく ただ「死んでいないなら生物」なのである
良く「野生動物の楽園」などと形容することがあるが 野生(自然界)というのは弱肉強食の過酷な世界であって 到底楽園などと言うことはできない
動物園などで飼育下で生きることと 適応した環境下で死と隣り合わせに生きることと どちらが「楽園」なのかはヒトが勝手に決められるようなものではない
野生環境がそんなに「楽園」だと言うのであれば 文明など放棄してボルネオの山の中で裸で暮せば良いのである
塩分や脂質や糖質が乏しい環境下において 先天的本能習性として塩分や脂質や糖質を積極的に摂ろうとした個体種への収斂の結果として ヒトは現代社会において塩分や脂質や糖質を必要以上に摂ろうとしてしまうが故に生活習慣病にも陥るのであり こうした遺伝的に決定している先天的本能習性というものは収斂進化の過程における環境適応に対する必然性はあっても 決して未来永劫に「合理的」であるわけではなく 環境が変われば非合理にもなるのである
遺伝的進化というものは あくまで祖先の生息環境への適応という結果であって 目的に則った合理性が存在するわけではない
先天的な遺伝的形質や本能習性というものは全て結果であって「欲望そのものを欲することはできない」のである
選択不可能なものに意図目的戦略が介在する余地はない
先天的欲望の任せて塩分や脂質や糖質の豊富なエサを過剰摂取しておけば その場限りには「幸福」感を得られるかも知れないが その結果生活習慣病に陥り社会に医療負担を強いり 本人も苦しい思いをする結末を「目的」に則った「合理的」選択だと言うことは出来ない
目先の安心を優先すれば 少数異端の意見は無視し 既存の権威肩書に基づいた意見だけを信用しておけば満足であろう
権威の言っている内容を唯々諾々と鵜呑みにして 何の疑いも持たない方が「幸福」感は得られるのである
そういう社会的生活習慣病のような行動バイアスがあるからこそ ミャンマー軍事政権による民主化弾圧も 太平洋戦争時の日本軍による独裁も平気で起こるのである
長谷川眞理子は過去に散々「目的の為に進化を選んだ」といった説明をしていたのであって これはチャールズ:ダーウィンの進化論に基づいた説明ではなかったのである
遺伝的進化は主体的に選ぶことなどできず 後天的な考えに基づく目的も 合理性のある戦略も介在する余地はなく「進化を選ぶ」ことなどできない
これを私が長年主張し続けてきたことによって少しずつ遺伝的進化には目的が存在しないことが生物学界に浸透してきたため 長谷川眞理子は今まで散々間違った説明をしてきたことを棚上げにし「なかったこと」にして あたかも以前からダーウィンの進化論を理解していたかのように「皆さんはダーウィンの進化論を誤解していらっしゃる」などと視聴者をはぐらかしているのである
長谷川は実際にはフランシス:ゴルトンの優生学を論理反証しておらず「ダーウィンは人種差別に反対していた」と述べているに過ぎず 自分が散々してきた非科学的「説明」については訂正も釈明もしていないのである
これは科学者として極めて不誠実であり 視聴者や読者をおちょくっているのである
NHKであれば 過去のアーカイブから長谷川が遺伝的進化にどのような「説明」をしていたのかは調べればわかるはずだが そもそも長谷川ら生物学者共による間違った遺伝的進化の「説明」を鵜呑みにする形で最新の番組でも「母親が子宮内膜を厚くするように考えた」などという非科学的説明を平気で続けているバカしかいないのである
遺伝的進化のメカニズムに 「考え」が介在するプロセスは存在しない
生存や繁殖の継続にとって環境に適さなかった個体が全て死滅した結果として 生存や繁殖の継続が出来た個体種への収斂の結果が遺伝的進化であり そのどこにも「考え(目的)」など介在する余地はないのである
誰が嘘つきで 誰が真実を述べているのか その判別は多数決とは無関係である
日大内部の多数決も 東京電力内部の多数決も 組織の利益を優先すれば個人は簡単に自律的な社会的責任は放棄するものである
どんなに大衆人気を集めて視聴率を稼いだ実績があろうとも 科学的に間違った内容を放送していたのでは公共放送としての社会的役割は全く果たしていない
それなのに「受信料は払え」というのはあまりに無責任で傲慢という他ない
今まで散々生物学者共が間違った遺伝的進化の「説明」をしてきた事実を暴き また NHK自身も間違った「説明」をしていたことも訂正する義務が 公共放送にはある
義務を果たさずに金を集める権利はない
至極当たり前の話である
論理客観的に「当たり前の話」に嘘を混入させる余地はない
個人的 主観的に「信じたくない」というのは 自分の主観が絶対だと「思って」いる傲慢さによるものである
Ende;