自然淘汰の概念の中には適者生存も含まれている
自然界における生存競争では 適者以外が死滅することによって遺伝的進化が生ずるのであって 環境適応において適者生存は必然である
重要なのは 遺伝的進化というものは全て自然現象という結果であって それ自体に意図目的戦略が存在しているわけではないということである
生物が生存しているのは意図目的戦略が先にあって生存しているわけではなく 結果的に死滅せずに繁殖を継続できて現状「生きて」いるものを「生物」と分類しているに過ぎない
当初はバクテリアのような単純な生物に過ぎなかった生物が 様々な環境に適応してゆくうちに 結果的にヒトにまで進化が生じたが ヒトは別に「ヒトに進化しよう」と思って進化したわけではなく あくまで結果的にヒトになったに過ぎない
イワシやネズミが大量に天敵のエサ資源となっているのも 別にネズミやイワシの意図目的戦略に基づいたものではなく 淘汰圧力と繁殖力との拮抗によって結果的に繁殖を継続し 生物として存続しているに過ぎない
ネズミが天敵に大量に捕食されてしまうからといって 意図目的戦略的に「自分の繁殖能力を高めよう」と遺伝子を書き換えることなど不可能なのである
草食獣の逃げ足が速くなる進化においても同様で 天敵から逃れようとして逃げ足が速くなるよう自分の遺伝子を書き換えて逃げ足が速くなったわけではない
昆虫の擬態も同様で 天敵から見つからないように自らの外見を周囲の環境に似せるように遺伝子を書き換えることなど不可能なのである
ことほど左様に 生物やその遺伝的進化というものは誰の意図目的戦略も介在することはなく ただ「死滅せずに繁殖を継続することができた」という結果でしかない
ただの自然界における過酷な生存競争による遺伝的進化という「結果」をいくら大量に抽出してきても 遺伝的進化に目的が存在することの論証には一切ならない
にも関わらず 長谷川眞理子も含めて生物学者の大半は「〇〇を目的として進化を選んだ(考えた)」といった説明をし続けてきたのであり 長谷川ら生物学者共は自分達の間違いを「なかったこと」にするために「皆さんはダーウィンの進化論を誤解していらっしゃる」などと他人事のようにはぐらかしているのである
ただの「はぐらかし」に過ぎないが故に優生学に対する論理反証にはなっておらず 相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の動機に優生学が利用されてしまったのであり 長谷川も含めた生物学者共の大半は「A級戦犯」である
遺伝的進化というものは後天的な「考え」や「目的」といった選択可能性は存在しておらず ただ環境適応した個体種への収斂しか働いていない
自然界における環境調和とて あくまで環境適応の一環であって 環境なくして繁殖の継続は不可能な故に ネズミやイワシはその大多数が捕食されてしまうのである
個体の主観的意向として「死にたくない」とか「生き延びたい」といった意図目的は遺伝子には影響せず 先天的に繁殖能力が高い個体種への収斂の結果としてネズミやイワシは高い繁殖能力を持つことになったのである
生態系のピラミッドの頂点となる肉食獣においても 環境を食い尽くす程の繁殖力があれば生態系ごと自滅することになるため 結果的に生態系環境との調和に成功した繁殖能力を持った個体種への収斂の結果として 必要最低限の繁殖能力しか持っていないのである
生態系の環境調和とて それを構成する個体種の遺伝的進化の結果であって 幾度もの「失敗」を重ねた果てに起きた安定的恒常性であって わずかな環境変化によって生態系全体が崩壊することも珍しいことではない
生物学者共や文化系マスコミの大半はやたらと「野生動物の楽園」などという形容詞を使いたがるが 野生動物というのは弱肉強食の過酷な自然環境の中で日々生存競争を強いられているのであって 野生動物の個体にとっては 少しも「楽園」などではない
草食獣は四六時中肉食獣からつけ狙われ 肉食獣もいつも狩りに成功できるわけでもなく 自然界というのはギリギリ絶滅しない程度の過酷な生存競争の際どいバランスの中で「とりあえず死なずに生きている」に過ぎない
ブチハイエナの6割が死産するのも ブチハイエナは群れを形成しなければ個体の存続も成立しないために 結果的に6割が死産しても繁殖の継続は成立し「生物」として存続しているに過ぎない
ブチハイエナのメスがどんなに苦しもうが 個体の後天的な苦痛は遺伝子には影響を及ぼすことはない
ヒトがどんなに戦争で殺し合って苦しもうが 後天的にどんなに苦しくても遺伝子には影響を及ぼすことはなく 現代においても差別や紛争はなくならない
イジメや差別も一向になくならないばかりか むしろSNS上では差別や誹謗中傷による言葉の暴力ばかりが蔓延し Microsoft社のTwitterAIが「学習」してヘイトスピーチに同調便乗してきてしまう始末である
ヒトという種の生物は 自分よりも格下だとみなした相手には猛烈な攻撃を仕掛ける弱いものイジメは大好きだが 自分よりも格上だとみなした権威や上司や上官の命令には唯々諾々と服従忖度して保身に走る卑屈な生物である
自分が所属している組織の利益を優先することが 組織に所属している自分の既得権益にも供する利己的な保身によって ヒトは組織の利益を優先し たとえ組織が腐敗して社会的に無責任な結果になるとしても意に介さず 組織内部の多数によって自分の自律的責任が薄まると「思って」傍観放置を平気でやらかすようにもなるのである
遺伝的進化というものが 後天的な「困る」かどうかが変異や淘汰圧力に影響しないにも関わらず 大手町の医師は遺伝的進化のメカニズムを本当は理解しないまま 多数の生物学者共の誤謬(デマ)を鵜呑みにする形で「ウイルスは必ず弱毒化する」などと言い出したのである
日医大の客員教授や 他にも「ウイルス弱毒化説」を唱える研究医もいるが 既存の弱毒ウイルスをどんなに抽出してきても 過去に宿主ごと絶滅したウイルスが絶対に存在しないことの証明には全くならないのである
NHKも含めて報道各社はこれを問題だとすら「思って」はおらず 生物学界の多数意見を鵜呑みにし 「多数=論理科学的根拠のある論証」だと勝手に錯覚する形で 「子宮内膜を厚くすることを考えた」などというオカルト的「説明」を続けているのである
NHK「ジェンダーサイエンス」の番組中 タレントのYOUが「月経は進化で痛くならないようにはならないのかしら」と言い出した際に 「遺伝的進化が起きるためには数万年以上かかる」などという説明しかしていないが 後天的にどんなに月経が痛かろうが遺伝子には影響を及ぼすことはない
数万年前の祖先の生息環境下に適応する形での先天的繁殖能力や構造は 遺伝要素には影響を及ぼすメカニズムは存在しないのである
遺伝子変異によって先天性疾患を持って産まれてきてしまう子供もいるが これは遺伝的進化のメカニズム上 生物である以上は避けることができないものであり これを後天的に品種改良の手法で人為的に進化を促す優生学というのはヒトを家畜扱いしているキチガイの発想である
色素性乾皮症ほどでないとしても 先天的に紫外線耐性の低い子というのはいるが だからといって断種によって色素性乾皮症の子供が産まれないようにするというのは人権侵害も甚だしい
ヒトは 自分と他人との関係性に順位序列を決定したがる習性があり 順位序列が「上」とみなした権威や上司や上官の命令に唯々諾々と盲目的に服従し 忖度して気に入られようとする卑屈な生物である
だからこそ生物学者共の嘘を誰も見抜けないのである
そもそも嘘だと思うことすらなく 「絶対に嘘など言わないはずだ」という過剰な信頼をしている自分のこともまた過剰な自信によって疑わなくなるからである
チャールズ:ダーウィンの進化論を本当に理解しているのであれば 「〇〇を目的として進化を考えだした」などという説明をすることはないのである
にも関わらず マスコミ報道各社も大衆の誰も生物学者共の嘘には気づくことなく 何の問題意識も働くことなく傍観放置しているのである
私の言っている内容というのは それほど難しいものではない
簡単な内容でありながら 大多数の誰も考えて判断しないというのは 自分の頭で考えて判断しても評価や報酬になりそうにないからである
エサをちらつかせないと興味を持たないというのは イヌの行動原理と同じである
自発的に物事の真理を見極めようとしないのは 人間としての知能を放棄しているのと同義であるのだが 主観的な安心満足感を提供しないと自発的には何も判断しないバカしかいないからである
そして 頭が悪いバカ程 自分がバカであることを自覚したがらないのである
原因は簡単である
主観的に気分が悪いからだ
松沢哲郎や山極寿一らが主張していた「先天的な行動習性に人間性が組み込まれているはずだ」などという予測には論理的根拠が全く伴っておらず あたかもヒトには先天的に人間性が組み込まれている優秀な存在であるかのように言っておけば 衆愚やマスコミから人気を得られる衆愚迎合に過ぎない
ミャンマー軍事政権の幹部達を 鋼鉄とポリカーボネートの檻に監禁し 彼らがどのような行動と採ったら既に行われた残虐行為の反証になるというのであろうか
松沢が文化功労賞を受賞したのも 生物学界の多数決によるものであろう だとすれば松沢の主張に生物学界の誰も反論しなかったデクノボウしか学界にはいない証明である
ヒトは権威を盲目的に信頼し 何の疑いも持たなくなる先天的習性があり 権威肩書がなければ誰も信用どころか論理反証すらせずに黙殺するバカが大半である
こうしたヒトの先天的性質こそが 組織腐敗を傍観放置し温存してしまう認知上の欠陥なのである
先天的な認知上の欠陥は 認識しない方が安心で満足である
安心で満足なのは それが先天的なものだからである
ヒトという種の生物が持つ先天的欠陥を論じれば 衆愚から人気が得られないのは必然的結果であり これは構造的にどうにもならない
真実を主体的に識別しようという意思がない衆愚には 真理は何ら「響く」ことはない
むしろ耳あたりの良い気分が良くなる嘘やデマの方が衆愚にとっては安心満足感を提供するものなのである
Ende;