書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

支離滅裂な「説明」

2021年11月19日 16時04分33秒 | 意識論関連

「本物の歯ではなく歯に似た構造の方が多い事実は、必要に応じて自動的に歯が進化するわけではないことを示している」と、イェール大学の進化生物学者ギュンター・ワグナー氏は今回の研究に対し指摘する。

 この点を考慮すると、自然選択の観点からではフクロアマガエルが下の歯を再獲得した理由を説明できない。自然選択とは、同じ種の中で有益な特質が時とともに広がっていくことだ。

「謎に包まれていることだけは確かだ。非常に興味深い」とワグナー氏は述べている。

 今回の研究論文は、「Evolution」誌オンライン版で1月27日発表された。

 出典:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3800/

 

⇨進化生物学者のギュンター:ワグナーが他にいるのかどうかは知らないが もしNHK「ジェンダーサイエンス」の中で「子宮内膜を厚くするように考えた」と説明しているバカと同一人物だとすれば ワグナーの言っていることは支離滅裂で意味がない

遺伝的進化によって環境適応による収斂が起こることは確かだが 環境に適応しさえすればそれ以上の収斂は起こらず 決して完全無欠の絶対最適化にまで適応するメカニズムはない

変異も常に生じており ヒトに尻尾が生えたり 全身毛むくじゃらで産まれてくる事例もあり 決して一方向にしか変異が起こらないわけではなく 変異自体は何が起きてもおかしくはないのである

単なる変異を短絡的に進化だと結びつけるのが間違いであり 様々な変異の後に淘汰圧力による収斂が起きることで始めて進化という結果に至るのであって フクロアマガエルの下の歯が環境適応していれば残るし 適応していなければ残らない

突然変異のバリエーションを見て面白がったり不思議がるのは結構だが バリエーション拡大自体は進化ではなく その後の淘汰圧力による収斂の結果も込みで遺伝的進化となるのである

淘汰圧力が働かなければ収斂も起こらず 新種としてバリエーションが拡大しても何の不思議もないのである

ヒトが文明以降に様々な容姿にバリエーション拡大したのも 淘汰圧力による収斂が起きなかったことに因るものである

 

「必要に応じて自動的に歯が進化するわけではない」と言っておきながら 一方では「子宮内膜を厚くするように考えた」などと言い出すのは論理整合性がなく 科学者としてデクノボウにも程がある

必要に応じて子宮内膜を厚くするように自動的に進化することなどできないのである

ことほど左様に生物学者というのは支離滅裂な「説明」を平気でやらかすデクノボウが大半であり 一貫した理論に基づいた検証なしにバカ生物学者の言っていることを垂れ流して良いわけではない

 

 

 

Ende;

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腐敗した組織に真実は通用しない

2021年11月19日 11時54分53秒 | 意識論関連

 

 

「富士通を外せ」

 井ノ口容疑者が、医療法人「錦秀会」前理事長の籔本雅巳容疑者(61)とともに最初に逮捕されたのは、日本大学医学部付属板橋病院の建て替え工事をめぐり、2億2000万円を流出させたという背任容疑だった。先月27日には、同病院に医療機器と電子カルテ関連機器を納入した取引でも約2億円も割高な契約を結ばせて損害を与えたとして、再逮捕された。  この電子カルテ関連機器の納入をめぐって、井ノ口容疑者は病院側に横暴な指示を出していた。日大関係者が証言する。 「この電子カルテ関連機器は富士通のものです。電子機器は4~5年もすると古くなってしまい、リプレイス(バージョンアップすること)する必要が生じます。病院のなかでも、2~3年くらい前からリプレイスする方向で予算を見積もるなど、計画を立てていました」  だが、昨年5月頃、井ノ口容疑者が懇意にしているコンサル会社の男性が病院事務局にやってきて、こう伝えてきたという。 「リプレイスではなく、富士通からIBMにそっくり変えたい。その際、板橋病院だけでなく他の付属病院も合わせた4病院すべてをまとめてIBMに切り替えたい」

“天の声”

 事務局関係者は驚いた。藪から棒で、予算を度外視した話であったからだ。 「リプレイスするのと新たに別メーカーに切り替えるのでは、予算が倍くらい違います。しかもそれを4病院セットでやるというのであれば、数十億円規模の出費となる。電子カルテ機器において富士通は主流メーカーであり、これまでの運用に不都合があったわけではなかった。4病院で同じ機器を用いて連携させるメリットはあったとしても、富士通を外す理由などないのです。そもそも医療機器は医者が使うもの。医者からの要望を聞かずに上から業者を変更するよう言ってくるなんておかしな話でした」(前出・日大関係者)  だが、コンサル会社の男性は明確な理由を述べず、「田中(英寿)理事長の承認も得ていますから」と重ねて要求してきたという。病院事務局も日頃から出入りしていた男性の後ろに井ノ口理事長、さらには田中理事長の存在があることは分かっていた。つまり、男性は“天の声”を届けに来たのである。  医療機器の知識など持ち合わせていないはずの井ノ口容疑者は、なぜ富士通外しを指示したのか。日大関係者が明かす。

 

宮川選手憎しで……

「”危険タックル”で問題になった宮川泰介選手が、就職した企業だったからです。口封じに動いた井ノ口容疑者らに反旗を翻し、『コーチから指示があった』と記者会見で訴えた宮川君は、いまも『富士通フロンティアーズ』の選手としてアメフトを続けています。井ノ口容疑者はあの騒動がきっかけで、一時、理事を辞任、田中理事長も窮地に陥りました。宮川君を拾った富士通憎しで、井ノ口容疑者はこのような指示をしていたのです。実際、彼は周囲に『富士通は許せん』と話していました」(同)  結局、事務局が反対し、富士通外しには至らず、リプレイスが行われただけであった。だが、この取引でも、井ノ口容疑者らは藪本容疑者が全額出資するペーパー会社を通して“中抜き”していたのだった。今年5月に日大が約9億7000万円の電子カルテ関連機器を富士通からリースする契約を結んだ際、両容疑者は約6700万円の不当な利益を得ていたとされる。もしIBMへの切り替えが行われていたら、予算規模に応じて損失額が増額していた可能性も考えられる。  他の医療機器の切り替えなども含め、抵抗を示した板橋病院の事務長は、2カ月後には配置転換されてしまったという。井ノ口容疑者らはこんなメチャクチャなやり方で、病院を食い物にしてきたのである。

田中理事長の責任は

 建て替え工事をめぐる2億2000万円の流出では、田中理事長にも3000万円が渡っていたことが判明しているが、いまのところ理事長まで捜査の手が及ぶ気配はない。 「特捜部のガサで、田中理事長の自宅からは1億円もの現金が見つかっています。しかし、田中理事長は特捜部の捜査に『妻が経営するちゃんこ屋で稼いだタンス預金だ』と主張。事件とは無関係だと訴えています」(司法クラブ記者)  10月29日に学内の会議に出席した田中理事長は、「井ノ口はやりすぎた」「オレはやっていない」と述べたという。前出の日大関係者はこう憤る。 「罪に問われなかったとしても、田中理事長には井ノ口さんを引っ張ってきた責任がある。国からは補助金もらっている大学のトップとして、いまだ世間に何ら説明していないのもおかしいと職員はみんな思っています。一刻も早く自ら辞任すべきです」

デイリー新潮取材班 2021年11月3日 掲載

 

⇨井ノ口忠男の様な典型的なキチガイ独裁体制が どうして作られてしまうのか

「組織は頭から腐る」と多くのヒトは印象として「思って」いるが これが間違いである

「腐った頭」に唯々諾々と服従する組織の多数によって組織腐敗は温存されるのである

子供のイジメと同様に 暴力威圧的独裁者に忖度服従するのは2割で充分で 後の8割はただ呆然と傍観放置さえしておけば組織腐敗は温存成立するのである

日大の運営に携わっている大多数も さぞかし学力偏差値が高かったに違いないが「井ノ口忠男の権力は絶対だと思っていた」からこそ唯々諾々と服従忖度し 「組織内部での立場が危うくならないようにするため」という利己的利益を優先し 組織の社会的役割や責任というものを放棄していたのである

こうした組織腐敗の構造自体は東電原発運営と何ら違いはない

個人が自律的な社会的責任判断選択をしなければ 組織は簡単に腐敗する ヒトという種の生物は先天的にそういう人間としての欠陥を持っているのである

腐敗した組織の中で個人が自律的な社会的責任判断をすれば 組織内部で孤立し排除の対象とされるのがオチである

 

盲目的服従による統率的な協調性には「大きな力」があり ピラミッドを建造して人力だけで環境破壊をもたらすことも簡単である

しかし 盲目的であるが故に「大きな力」には方向性や抑制が効かなくなり 破綻するまで暴走することになるのである

ユヴァル:ノア:ハラリは「フィクション」を信じるから「大きな力」が発揮されると主張しているが ピラミッド建造は「大きな事業」ではあったが結果的に環境破壊をもたらす無駄な行為でもあった

ナチスによるホロコーストも「大きな力」であり 力の大きさだけでフィクションを正当化することはできない

ヒトが先天的本能習性によって実証不能の観念(フィクション)を信じ込み他人に多大な迷惑をかけてきた

主観的に気分が良くなる話に客観的論理整合性のある根拠が伴うのかどうかを 個人が自律的に検証(考え)る謙虚さがないから実証不能の観念の暴走を誰も止められなくなるのである

衆愚が求めているのは主観的安心満足だけであり 客観的論理検証に基づいた安全性や公平性ではない

ヒトという種の生物は客観的安全性の論証や 平等性になど先天的には興味がないのである

Microsoft社のTwitterAIが「学習」してしまう程のSNS上に溢れかえる数多のヘイトスピーチは 衆愚が根拠の乏しい身勝手な主観的好き嫌いを基準に誰でも良いから攻撃することで優位に立ったような錯覚で満足するための合理的目的も方向性のない「排泄行為」である

排泄行為はヒトである以上は無くせないが どこで排泄するかを選択できないから迷惑行為になるのである

通りすがりの女子小学生に射精していたら迷惑であり そういう欲望は自分の部屋で処理していれば人畜無害なのである

集団統率的に他人を殺害するゲームも人気だが ゲーム内なら人畜無害である

小説の中なら皇帝を暗殺しても 大量殺戮をしても人畜無害である

芸術やスポーツ 宗教といったものは主観の世界であり 個人が主観的に安心満足する以上に他人に強要するべきものではない

「ヒトは実証不能の神なくしては生きられない程弱いもの」だと主張する者もいるが むしろ実証不能の神にすがろうとするからこそ「弱く」なるのである

科学や哲学は宗教を禁止することはないし してはならない したら科学でも哲学でもなくなる

科学や哲学は宗教には論理客観的根拠が伴わないことを立証するだけである

ところが 宗教者は主観的に気に入らず 個人的に嫌いな相手を暴力的威圧で黙らせようとする傾向が強い その原因は宗教というものは盲目性による自己客観性の欠落がどうしてもつきまとうからである

こうした盲目性は宗教に限ったものではなく 子供のイジメでも ナチスのホロコーストにおいても 共産主義社会においても発揮されるヒトという種の生物の普遍的傾向性である

宗教は本来 アドルフ:ヒトラーや井ノ口忠男のような暴力威圧的支配者による封建的で不公正な組織腐敗に迎合服従忖度せずに 個人が自律的な社会的責任判断に基づいて公益的平等性を求めるための理想の服従対象として「神」を創作したのである

神が存在するのであれば 神の許に全ての民は平等である

平等を求めなければ神(人間としての理想)ではないからだ

ムスリムが良く言う「私は神以外何も怖れない」というのは 「怖れ」という個人的主観によって暴力威圧的支配者に迎合するという精神的な怠慢を正当化しないことを誓うためのものである

ところがタリバンのような武力組織においては銃火器を用いて暴力威圧することを正当化するために神を利用してしまうことがある

戒律や法律といった形式的制度手続きだけが機械的に暴走し 本来の神(人間としての理想)が一体どのようなものであるのかを組織の誰も考え「選択」しないようになるのである

こうした組織腐敗は日大でも構造的には同じであり ヒトの盲目性による洗脳によって衆愚は誰も「自分には判断責任は存在しない」と勝手に勘違いし 多数が無責任であれば責任が薄まると「思って」いるから傍観放置されることになるのである

 

子宮内膜の厚みを意図目的戦略的に厚くするようには「進化」することはできない

変異は常にランダムであり 子宮内膜の厚みを厚くするよう遺伝子を都合良く書き換えることは不可能である

子宮内膜が先天的に薄かったり 栄養状態や健康状態が悪くて後天的に薄い場合には死滅淘汰され 結果的に子宮内膜が先天的に厚い個体への収斂の結果として子宮内膜が厚い個体へと「進化」したのである

 

遺伝的進化というものは 現存する生物相だけを見ていれば過去に死滅絶滅した個体や種を無視して意図目的戦略的に「考え」て選択したものであるかのように「説明」することも可能だが

そんなメカニズム構造や進化プロセスは論理的に存在しないのである

既存の弱毒コロナウイルスやライノウイルスが どのようなプロセスを経て弱毒共生進化を遂げたのかは誰も知らないのであって 過去に宿主ごと絶滅していた株種が一体どれだけ存在していたのかは「死人に口無し」であり 実証的にはもはや立証不能である

実験的には立証不能だが 論理的には現存する株種の何倍もの絶滅種が存在していた可能性の方が圧倒的に高いのである

遺伝的進化というものは膨大な「失敗」なくしては起こらないものであり 多剤耐性菌が発生するプロセスでも耐性を持った株種が発生するまではギリギリ絶滅しない程度の極限環境が必要である

抗生物質投与下という極限環境であるが故に多剤耐性株だけが生き残れるのであって 極限環境でなければ耐性を持った変異が発現しても収斂は起こらず進化には至らない

草食獣の逃げ足が速く進化するのも 天敵に襲われ続けるという過酷な自然環境下だからこそ起こるのであって こうした遺伝的進化の結果を人間社会の目的であるかのようにこじつけるから優生学などというオカルト観念が科学的論証のように扱われてしまうのである

「○○のために進化した」「○○に適応することを考えた」「生存戦略」などといった生物学者の「説明」には科学的根拠が何もなく 単なる「比喩」であって「結果的にそう見える」という主観を述べているに過ぎない

主観的印象が混入したら科学ではない

科学や哲学は論理客観的な根拠に基づいて論証されなければならない

こんな至極当たり前の理屈が通用しないから「生物学者はアホだ」と言われるのである

 

 

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結果と目的

2021年11月19日 00時07分54秒 | 意識論関連

遺伝的進化というものは 特定の環境において繁殖が継続できて生物種として存続できた「結果」を遺伝的進化と分類しているに過ぎず

繁殖が継続できてさえいればブチハイエナのように6割死産しようが ネズミのように大量に捕食されようが その環境下での調和にさえ適すれば「生物」なのである

つまり 遺伝的進化というのは決して個体にとっての「最適化」などされることはない

イワシやネズミは大量に繁殖するが その大半を生態系に提供する形で環境調和機能の一部として存続できるのであって 繁殖しすぎても 絶滅しても環境調和にはならない

環境調和は個体存続においては最低条件であり 環境調和ができなければ個体の存続も成立することはない

ブチハイエナの6割死産も 偽陰茎ができる程の男性ホルモンなくしては集団組織の形成が成り立たないため たとえ6割が死産するとしても集団形成なくしてブチハイエナは存続が成立しない以上は避けられないのである

生物というものは環境なくしては存続できない存在であり 個体の都合よりも環境適応性の方が優先されるのであって 存続が成立するためには6割死産しようが 何匹子供が天敵に喰われようが 結果的に絶滅さえしていなければ「生物」なのである

チャールズ:ダーウィンを誤解して「強者の論理だ」などと言い出すバカがいるようだが ダーウィンはあくまで自然環境における自然現象としての遺伝的進化のメカニズムを説明しただけであって 自然界が弱肉強食なのは当たり前の話である

弱肉強食も遺伝的進化も あくまで「自然現象という結果」であって これを「人間社会に適用すべき目的」だと勘違いするから「強者の論理だ」などという訳のわからぬ解釈に陥るのである

結果と目的の区別ができないからフランシス:ゴルトンの優生学などというオカルト観念とごちゃまぜにしてしまうのである

長谷川眞理子は散々遺伝的進化に目的や戦略をこじつけてきたにも関わらず 「皆さんは間違えています」などと称してはぐらかそうとしているのである

 

生態系のピラミッドが持つ平衡性も それを構成する動物種が生態系に適応しているからこその平衡性であり 一定範囲を超えた個体数の急激な変化が生じた場合には生態系全体がバランスを崩し 一度壊れた生態系はそう簡単には元には戻らない

いうなれば生態系そのものも「一つの生物」のようなものであって ヒトの体内でも一つの臓器が機能不全に陥れば個体も死ぬことになるのと同様に 生態系もそれを構成する動物種が一つでも機能不全に陥れば生態系全体も死滅することになるのである

 

ヒトは所詮生態系を形成する生物種の一つに過ぎず 決して生態系バランスを無視して全てをコントロールできるわけではない

むしろ ヒトは自分達の欲望さえもコントロールできない不自由で無能な存在に過ぎない

温室効果ガスを排出し続ければ重大な環境破綻を引き起こしかねない事実を知っていながら 今まで行ってきた行動を全く変容させることができないバカなのである

環境対策もどこ吹く風とばかりに未だに武力による民衆弾圧を行っている時代錯誤も甚だしいバカも少なくない

ヒトが権威と見なした相手に唯々諾々と盲目的に服従し 崇拝忖度し その多数派に同調迎合しておいた方が利己的に安心満足感が得られることから 論理客観的な根拠を伴う自律的な社会的責任判断選択を放棄しても正当化できていると勝手に錯覚することで 統率協調的行動によって「大きな力」も発揮できるのだが その力の大きさ故に暴走破綻にも簡単に陥るのである

遺伝的進化には目的は存在しておらず あくまでヒトは数億年前の狩猟採集生活に適応した本能習性しか持ち合わせておらず これが暴走する形で封建的な差別的順位序列社会構造に簡単に陥るのである

こうした先天的習性に由来する社会的生活習慣病こそが あらゆる「人災」の根本的原因ともなっているのであり ヒトは自らの頭の悪さを自覚する「責任」があるのだ

にも関わらず山極寿一が「人間には先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的には何の根拠もない衆愚迎合で衆愚は満足し 主観的に気分が良くなることで何の疑いも持たずに鵜呑みにして益々バカになるのである

ヒトは主観的に気分が良くなりさえすれば「正しいこと」だと勝手に勘違いするものである

ミャンマー軍事政権下の政府軍兵士達は上官が民衆を敵だとみなせば唯々諾々と服従忖度して平気で殺害することも可能となるのも その方が気分が良いからである

主体性の欠落した子供がイジメをして「楽しい」のと同様 ヒトは主体性がなければ簡単に加害者競争に陥り より残虐な行為を競い始めるようにもなる先天的な人間としての欠陥品(バカ)なのである

主観的な気分の良し悪しは科学的真理とは無関係である

真理とは「本当のこと」であり 社会安全性や持続可能性と決して無関係ではない

「本当に安全なもの」が何なのかを区別出来ずに安全性を求めることはできない

当たり前の話である

 

 

 

Ende;

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