書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ジェンダーサイエンス(2) 月経(メモ)

2021年11月06日 22時05分40秒 | 日記

幅跳びとか絶対にやりたくない

水泳も嫌だ

女性でも痛みのない人がいて 理解してもらえない

井上咲楽(22歳) 「月経が来ると眠い」 楽屋で床に直に寝てた

月経血 子宮内膜細胞が混じっている

子宮内膜を絞り出す クロスタグランジン プロスタグランジン

「起きた時の腰痛が最悪でした」

女性スタッフや共演者にも言えない

5日間の月経が終わると絶好調の期間になる

エストロゲンが上昇し 肌のツヤが良くなる 子宮内膜を厚くする

排卵期には食欲が収まらず 気分の落ち込みが激しくなる

プロゲステロンが上昇

月経前症候群

月の半分は不調

3週間は不調 好調は1週間

日本における生涯での月経は450回

妊娠・授乳中は月経が起きない

初経の年齢 ウガンダでは14.6歳 日本では12歳 栄養状態の違いなどが関係している

かつては生涯での月経は50回程度だった

月経回数が多いと月経困難症 焼きゴテでお腹の中をかき回される程の痛み

卵巣に嚢胞 卵管に子宮内膜が逆流

遺伝的進化は数百万年が必要 ⇨そもそも淘汰圧力による死滅も必要

月経がある生物は珍しい 哺乳類5000種中 月経がある哺乳類は100種に満たない

月経のある生物は出産数が基本的に1個体

子宮内膜に潜り込み成長する 胎盤

子宮内膜が薄いと筋肉組織まで胎盤が食い込み炎症を引き起こす

炎症を起こさないように厚い子宮内膜で母親の組織を守るように進化することを考えた ⇨「考え」などの後天的努力は遺伝的進化には影響を与えないです NHKで嘘垂れ流すのやめて

人間が進化の過程で獲得した ⇨ヒト以前に獲得しているので嘘です

父方の遺伝子が関係している 

月経小屋 戦後直後まで月経を「汚れ」として刷り込まれていた

古事記 ミヤズヒメ 月経はタブー視されていなかった

平安時代 貞観式という書物には月経中の女性は宮中行事から除外されたことが記されている

フェムテックフェス

休憩時間とか予め教えといて欲しい 怠けたいんじゃなくて 計画立てたい

 

 

解説:大槻久 甲賀かをり

 

 

Ende;

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繁殖の継続

2021年11月06日 17時11分12秒 | 意識論関連

生物というものの定義に「種の保存」という概念を使うのが根本的に間違っているのである

進化によって遺伝情報に変異を伴うこともある以上 「繁殖の継続」と言うべきである

原始的な生物には 変異も 変異に伴う進化もせずにただ繁殖だけをするものもある

放射線などの影響もなく 極めて安定している環境では 変異は起きない方が適しているからだ

一方 構造的に変異を繰り返して環境変化に適応して進化が起きた個体種もある

これらは全て「繁殖の継続」であって これならウイルスも生物の範疇に入ることになる

元々 ヒトなどの動物も地球環境に「寄生」しているようなものであって 地球環境なくして「繁殖の継続」はできないのであり ウイルスが宿主という環境なくして「繁殖の継続」ができないのと構造的には同じである

結果的に「繁殖の継続」が成立していれば「生物」と分類できるが できずに死滅すれば「生物」としては成立しない

結果的に「繁殖の継続」が成立しているものが「生物」であって そこに合理的目的意図や最終的目的地のようなものが存在しなくてはならない必要性はない

 

「繁殖の継続」だけを目的とするのであれば 別にゴキブリでも何でも構わないのであって ヒトである必要性なんぞ全くなくなる

ヒトである必要性とは ヒトの論理客観性によって合理的な目的行動選択(目的意識)を追求することによって 社会持続可能性や公平性を優先するという人間性を発揮すること「も」可能だからである

人間性は要らないというのであれば ヒトである必要性はない

ヒトは永遠に生きることはできないし 永遠に生きることの必要性もない

結果的ではあっても 世代をつないで 今よりも安全で公平な社会であって欲しいという願い(欲望)を優先することによって人間性が発揮されるのであって これもまた自発的純粋行為がもたらす結果である

社会安全性や公平性を求めなくなるのは 他人との順位序列に固執する評価承認欲求中毒が原因である

なんつっても他人よりも自分の方が優位に立とうとする欲求であるから 安全性や公平性が蔑ろにされるのは必然的結果である

行動選択の基準が全て主観的な安心満足になってしまうため 主体的に自分の頭で考えて判断することを一切しなくなり 多数や権威に迎合同調服従忖度する以外何もしない夢遊病者やゾンビや機械のような行動選択しかしなくなるのである

他人からの評価に左右されることなく 自発的に自分の頭で考え判断選択するためには 純粋に自分の頭で考える習慣が必要不可欠であり だから主体性を重んじる教育が必要なのである

「生きるためには」などと称して かりそめの生存だけを目的にしてしまえば もはや他人を危険にさらしてでも構わないことになってしまい 自発的自律的には責任を負わなくなってしまうのである

「死にたくない」というのは本能である 脳が持つ先天的な常習性によって 「今までずっと死ななかった」ことから 「生きて」いる状態に安心満足し 「生きて」いない状態を激しく忌避する先天的本能習性の「結果」でしかなく それは合理的目的の論証には一切ならない

欲望の大きさだけがヒトの目的の論証にはならないのである

より安全で公平な社会であることこそが 自分もまた生き続けるに価する根拠になるのであって ただ生きているだけでは人間としての尊厳も自由もスッタクレもないのである

自分がもし「強い」とか「優秀」であるのならば その能力は弱者を助けるために用いるのが人間性である

「俺様は他の有象無象よか知識の量や偏差値が優秀だから 弱者は蹴落として俺様だけ優遇されなくてはならない」などと思っているのであれば それはもはや「人間」とは言えない

私が「バカ」と形容しているのは 学力成績や人気や世間的成功を短絡的に人間としての存在価値であるかのように錯覚している頭の悪さを指摘しているのである

中野信子のように 「世間的成功者=頭が良い」という基準だけで物事を判断する話に多数人気が集まっているという 大衆の認識の低さを「バカ」と言っているのである

養老孟司や読書猿のように嘘やデマを言っていても金さえ儲ければ「成功者」である そんなもんが人間としての存在価値や知能の論証になどなるわけがないのに 多数の衆愚は自分の利己的利益追求に都合の良い中野信子の主張を鵜呑みにしている「バカ」なのである

人間にとって最も重要なのは 安全性と平等である 危険で序列や差別に満ちた社会に人間性など伴わないからである

 


結果的ではあれ ヒトは現在の生物多様性環境の中でしか生き続けることはできない

できたとしても 生活が過酷になることは確かである

自然界からの多大な恩恵ありきの生活が どれだけ豊かであるのかを自覚しないことには 環境保全の重要さを理解することはできない

失ってから嘆いても遅いのである

自然環境というものは 一度失われてしまうと取り戻すのに膨大な時間と労力が必要になる

それもまた結果的なものではあるが 人間としての目的は安全性と公平性であって 次世代に莫大な借金を背負わせて公平もスッタクレもないのである

ところがヒトというのは 生まれてからずっと続いているものは永遠に続くものだという錯覚があり いくら科学的客観性に基づいて温室効果ガスを削減しないと取り返しがつかないことを説明しても 主観的には実感がわかず 呆然と因習や根拠のない常識に囚われ 行動を変えることができない

天動説の時代に地動説を火炙りにしたように 論理的反論もできないのに暴力的手段で「解決」だと錯覚するのがヒトという種の生物に普遍的に見られる先天的な認知上の欠陥である

本当は 振り込め詐欺だの通り魔だの戦争だので手間を取られている暇なんぞ人類にはない

温室効果ガス削減に全力を尽くさないことには絶滅もあり得るのである

 

 

 

Ende;

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行動責任

2021年11月06日 17時04分57秒 | 意識論関連

NHKで毎日のように詐欺の手口を紹介しているのに 一向に被害が減らないのは 「騙されるなんてのはよっぽどバカだからであって 自分はそんなにバカじゃないから大丈夫」って思っている人が多いからです

ヒトは誰でも騙される可能性があります

東大医学部に合格していても騙されることはあるのです

東大に限らず リベラルアーツと称してイマヌエル:カントだのフリードリヒ:ニーチェだのを教え込まれても 大学生の誰も疑問も持たずに鵜呑みにしてしまうものなのです

論理客観的根拠がないことも 基準が曖昧であることにも誰も気づくことなく鵜呑みにして満足する

 

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)では 普通一般の人が権威の命令に唯々諾々と服従し 他人に危害を加えてしまうことを実証的に立証しています

ナチスによる600万人もの大虐殺は ドイツ人が特異にキチガイが多かったから起きたわけではなく 日本軍による侵略戦争も カンボジアでのポルポト政権においても ミャンマー政府軍や香港警察による民衆弾圧も 民族国籍に関わらずヒト全般に見られる普遍的習性であることの証左なのです

ヒトなら誰でも盲目になる可能性がある

 

先天的本能習性というものは 進化の過程で祖先の生息環境から受け継いだ無意識な行動バイアスなので 本能習性によって促される感情もまた自分では選ぶことができません

「欲望そのものを欲することはできない」のです

先天的本能習性は「生存」という結果にとっては必然性はありますが 別に目的があるわけではなく 合理性もありません

一面的に生存にとって必然性がある本能習性であっても その本能習性が促す行動の全てに合理性が伴う保証は何もないのです

無責任に「メスを見つけたら とりあえずポコチン挿れて精液を排泄したい」という情動行動を持っていた方が 遺伝子をより多く遺すことになります

生涯一人のパートナーだけを誠実に愛し 他のメスには目もくれないような精錬潔白なオスの遺伝子はあまり広がらないのです

ということは 無責任にヤリたがるオスの遺伝子の方へと収斂(置き換わり)が起こることになります

これもまた「結果」です

過酷な自然界での生存競争においては とにかくメスを見つけたらヤリまくって繁殖した個体種の遺伝子しか残らなかったという「結果」です

これは ヒトになる以前の祖先の話であって ヒトが文明を築くはるか昔の話です

それでも 長い生物進化史の中ではヒトはごく最近発生した新種であって ヒトにまで進化する以前の期間の方が圧倒的に長かったのであり 野生動物としての本能習性の方が色濃く遺っているのです

ヒトの大脳新皮質は他の生物よりも圧倒的に大きいんですが 情動を司る大脳辺縁系の構造自体にはさしたる違いは見られません

情動自体は他の動物とそんなに違わないのです だからネコやイヌなどの他の動物の気持ちも何となくわかるような気がする

他の人の気持ちも 何となくわかるような気がする

怒っているとか 淋しいとか そういう感情は何となく自分と共通する部分があるからでしょう

何となく気持ちがわかるような「気がする」んですが 本当はわからない だから嘘が成立する 他人を騙すことができるし 騙されることもある

親が子供の気持ちをわからないのも 本当に「わからない」からです

「わかっているような気がする」だけなんですね

子供は親以外の誰かなら「わかってくれるんじゃないか」と期待してしまって 安易にSNS上の誘いに乗っかってしまったりすることもある

赤ん坊の頃から毎日お風呂に入れてあげて ミルクを人肌に温めて ボツリヌス毒が含まれているハチミツを避け 毎日哺乳瓶を殺菌して 喉に詰まらせるような豆類やオモチャや電池やら磁石やらを子供の手の届かない所に片付けて 道路に飛び出さないようにずっと見張って育ててきた親でもわからないものを 見知らぬSNS上の男がわかるわけがないんですけど

「誰かならわかってくれるんじゃないか」って 勝手に期待してSNSの書き込みを安易に信じ込んでしまうことがある

自分の気持ちって 本当は自分にしかわからない

自分が何に熱中できるのかは 自分で探すしかない

何をしていたら楽しいのかは 自分にしかわからないからです

純粋に個人的に熱中できることがあれば 別に誰かにわかってもらう必要性はなくなります

主体的に楽しいと思う自分がいないから 楽しいと思わせてくれる誰か他人に依存しようとしてしまう

 

自分が何をしていたら精神的に満たされるのかは 他人からはわかりません

誰もわからない

自分の楽しみって自分にしかわからない

実は自分であっても ある程度は実際にやってみないと 本当はわからない

「面白そうだな」と思ってやってみたけど すぐに飽きちゃたりすることもある

「そんなに面白そうには思えなかった」けど 実際やってみたらハマってしまったということもある

他人からの評価に左右されずに 集中して 熱中して 夢中になって 好きなことをやっている時こそが 脳が最も働いている状態で 好きなことなら飽きずに諦めずにできるまでやろうとしますから 試行錯誤による創意工夫も忍耐力も自ずとつくようになります

個人的に好きなことに「諦める」という選択肢はないからです

ところが 他人からの評価に頼っていると 評価が思ったように得られないとすぐに諦め 「できるまところまではやってみる」という忍耐力がつきません

主体的な純粋行為というのは「できるところまではやってみる」んですが 他人からの評価に頼っているとそれ以上の何かまで求めるようになってしまいます

動機が不純だと抑制が効かなくなる

自分の行動抑制まで他人に頼ることになるからです

でも 本当に主体的に純粋に楽しめているなら 歯止めも効く

「これ以上やったら迷惑かかるな」って思ったら やめるという判断もできる

自分の楽しみを続けるためには 自ずから他人への配慮もできるようになる

結果的に自律的な社会的責任判断選択もできるようになる

他人からの評価に頼っている行動というのは 本当には純粋には楽しめていないため どこまでやっても本質的には自分が満たされることがなく 欲望に際限がなくなって暴走することになる

 

個性とか多様性を認めないヒトというのは 多数派への同調や権威への服従こそが「素直」で人間性だと勘違いしているからで 誰かが作った「規範」に従うことが社会性や倫理だと勘違いしている

だから個性も多様性も認めたがらないし 既存の「規範」に根拠が伴うのかどうかも考えもしない

多数派への同調性や権威への服従性というものは 迎合性や忖度であって 迎合的に忖度することで統率協調的行動が促される先天的本能としての社会形成習性によって促される行動バイアスによる主観的安心感満足感に過ぎず

主観的安心満足を短絡的に論理客観的根拠の伴う安全性か何かと勝手に勘違いして疑うことをしなくなる

自分の主観的な安心満足を絶対的なものだと勝手に勘違いしておいた方が気分的に楽だからです

だから「信じたいことだけを信じようとする」ことになる それだけが意識の全てになってしまって自己客観性が働かなくなる

 

純粋に個人的楽しみに熱中していれば 自分の主観にどれだけ錯覚が伴うのかを自覚できる

どれだけ自分が「思ったようにできない」のかが自覚できる

どこまでやっても自分に過信が生まれず 「一生修行」だと思っている だから結果的に努力を続ける

ところが他人からの評価に頼っていると 他人から一定の評価が得られた時点で勝手に「俺は他人よりも優秀なんだ」と満足し 今度は他人を貶めることにしか興味がわかなくなる すると 大量の知識をひけらかして自慢が始まったり 他人の無知を嘲笑して優越感に頼ろうとする

他人からの評価に頼るというのは 順位欲とも親和性がありますから 自分よりも「上」と見なした権威には盲目的に服従信頼し 自分よりも「下」と見なした相手の言うことは頭ごなしに否定し無視するようになります

まるでイヌのように卑屈な態度をとっていても 主観的に安心満足なら何とも思わない

その主観的安心満足こそが意識の本質だと勘違いしていて自己客観性がないから 卑屈な態度をとっている自分を省みることをせず ただ権威の言うことを盲目的に信じていることを「謙虚さ」だと勝手に勘違いしている

権威に盲目的に服従することで 判断責任は権威に丸投げして自律判断はしなくなる

誰を権威と見なすかという「常識」は 社会環境や時代に依存しており自分では選択できませんから 天動説の時代には地動説を火炙りにすることも簡単ですし ナチス政権を権威だと見なしてしまえばユダヤ人迫害も簡単にできるようになる

 

権威に服従していれば安心満足できます

ヒトとはそういう先天的習性があるからです

でも 「欲望そのものを欲することはできない」のであって 安心満足して客観的に論理検証せずに盲目的に権威を信頼したがる性質もまた主体的に選択していない先天的習性でしかない

先天的本能習性のままに行動しておいた方が気分は楽で 安心満足感は得られます

行動選択責任も権威に丸投げできると錯覚できますし 気分的に「都合が良い」わけです

先天的本能習性というものは 安心満足感を得られることで行動を促す仕組みになっているからです

麻薬中毒患者が麻薬を欲しがるのも同じメカニズムです 麻薬をやると安心満足感が得られるからこそ中毒になるのです

 

ヒトという種の生物は 論理客観的根拠があろうがなかろうが とにかく主観的に安心満足できれば信じたがるものだということです

だから自分の主観的安心満足は自己客観的に疑う必要性がある

ヒトという種の生物である以上 これは誰も避けてはいけない人間としての責務でもあるのです

ヒトは動物です 好むと好まざるに関わらず動物であり 動物的な先天的本能習性によって行動が支配されがちな傾向が存在するわけです

既に存在しているだけの自己の全てが主体的に選択できているわけではありません むしろ既存の自己とはほとんど何も選択していない

自分の遺伝子も選択できませんし 親も社会も時代からも それら生育環境から「学習」した世間の常識や慣習に対する安心感も 自分では選ぶことができないのであって ただ自分でありさえすれば自由意志や合理的目的意識にもならないのです

ヒトは 目先の気分感情によって簡単に「本当の目的」を忘れる習性があります

慣習的な「手段」や「手続き」を「目的」だと勘違いするのも 主観的安心満足が自己客観性を失わせるのが原因です

自分の子供が学校でイジメられるのが嫌で行きたくないと言い出した時に 他の大多数の子供と同じ様に無理矢理学校に送り出すことの方が安心満足感が得られるのかも知れませんが 親としての「本当の目的」とは 子供の幸福が最優先なはずです

客観的に「考え」たら イジメが蔓延している学級に馴染んだところで人間性なんぞ養われるはずもなく むしろ大勢に迎合する同調性ばかりが養われ 怖い相手に忖度して世渡り上手になっても「人間としての社会性」は身につくことはなく 単に「動物的な社会形成習性」に迎合するだけなのです

エスカレーターで歩くことが慣習的に「常識」になってしまうと 追い越すことができないと腹を立てて邪魔だとどかそうとするヒトもいますが 腹を立てて怒り出す「怖い相手」に迎合忖度することが「冷静」だと主張するヒトもいます

社会的に安全性を優先することの合理性よりも 感情的に怒り出す面倒くさい相手に忖度してしまう卑屈さを「冷静」だと主張することにも客観的合理性はありません

怖い相手に迎合忖度することは確かに「冷静」ではあるんでしょうけど 客観的安全性でも理性でもないのに ただ「冷静」なだけで正当化できると勘違いしている

反社会的集団から理不尽な要求をされた時に 「冷静」に迎合忖度して日和見でもしておけばその場限りには個人的には安全だとは言えるでしょうが これを放置しておけば暴力的反社会集団の方が得をすることになります

「暴れ得」「脅し得」という理不尽で非合理で公平性も安全性もないことに迎合し その場限りの安心満足感を「冷静」だと称して正当化することは 社会的に無責任な判断です

それでも ヒトというのは目先の主観的安心満足感の方を優先してしまいがちなものなのです

これを「無意識」だと言っているのです

先天的本能習性は 目先の情動だけで行動選択を促します これは他の動物でも同じことであり 本能習性任せに行動しておいても概ね「生存」にとっては有利な行動にはなりますが これは祖先の生息環境から受け継いだ必然的結果でしかなく 合理性が伴う論理的保証は何もないのです

気分的に安心満足なら合理的に安全性が保証されているわけではないし 合理性のある「本当の目的」に適う保証もない

自分の主観的感覚を「絶対に大丈夫だ」と錯覚し 環境から促される気分感情のままに行動しているからこそ 詐欺やデマや嘘に簡単に騙されることになるのです

主観的感情に流されることなく 自己客観的に論理客観性を働かせ合理性のある行動判断をしないと ヒトは簡単に「本当の目的」を見失って無意味で非合理な行動に陥るものなのです

それが理不尽だとか不条理だとか言われても そんなもの私の知ったことではありません アンタの行動責任なんか他の誰も責任持てないんですよ 私は私の行動責任しかとれません 誰もが自分の行動責任は自分でしかとれないものなんですよ それを権威などの他人に盲目的に丸投げしたがるから無責任になる

自分の頭で考えて判断することをしなくなる原因とは 他人からの評価や承認への欲求にしか興味を持たなくなるからである

ヒトの多くは評価承認欲求を持っていて それが「普通」だと思っている

「多数=正常」というのは論理客観的な根拠にはならないのだが 多数は主観的に安心満足感が得られるため これを短絡的に正常だと錯覚しているのである

 

 


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自壊

2021年11月06日 14時12分44秒 | 意識論関連

ウイルス自壊説というのがある

ヒトのY染色体が損なわれることでヒトという種の生物としての寿命を迎えるのと同じ様に ウイルスにも寿命がある可能性はある

モルヌピラビルはウイルスに強制的に変異を引き起こさせ自壊を促進させる薬だそうな

 ◇訂正:「モルヌピラビル」はRNAポリメラーゼ阻害剤で「アビガン」と同じ仕組みだそうな

本化合物はウイルスのRNA依存性RNAポリメラーゼ(RdRp)*3によりRNA鎖に取り込まれ、RdRpにより媒介されるウイルスRNAの合成伸長を阻害することを見出しました

*3:RNAを鋳型にRNAを合成する酵素である。RNAをゲノムにもつRNAウイルスにとっては、自身の複製に必須のタンパク質である。

 出典:https://www.amed.go.jp/news/release_20210914-02.html

正確に言えば ウイルスが自己複製する酵素そのものを効かなくするので コピーミスを促進させるわけではないらしい

又聞きだったのでちゃんとググった方が良いな

 

ウイルスはヒトなどの宿主への「感染能力」と「増殖能力」の最低2つの能力がないとウイルスとしてすら存続できないため このどちらかが失われた時点で「自滅(自壊)」となる

コロナウイルスはRNAウイルスなので 一般的なヒトなどの動物のDNAのように安定して遺伝情報をコピーできるわけではないので 元々増殖する時には膨大なコピーミスによる「失敗(自壊変異)」も大量に出るものである

コピーミスを強制的に加速させることによって 二度と「成功」しないように促し 自壊を促進させる

モルヌピラビルはこうしたRNAウイルスの性質を利用した薬になる

ただ モルヌピラビルを投与されていない場合には 自然に引き起こされるコピーミスによって偶発的に感染力が強い変異などを引き起こすこともあるから厄介なのだ

 

SARS-CoV-2(COVID-19感染症原因ウイルス)の遺伝情報の自壊は日本国内での感染収束の一因の可能性はある

それでもまだ感染経路の不明な市中感染は起きているので 一時的な収束に過ぎない可能性もあり 安易に期待すべきではない

日本国内では収束しつつあるが 海外では感染拡大が再発している国もあるので 自壊することなく厄介な変異をした株種が入ってくる可能性は充分にあるので まだ安心して良い段階にはない

他の国でも一時的な収束は起きており その後にまた爆発的に感染拡大が起きていることもあり 何が原因で収束や拡大が起きているのかは 原因はよくわかっていない

少なくとも 感染者数が少なければあらゆる変異も起きにくいことにはなるので 引き続き感染対策を続けている方がより安全ではある

 

ウイルスの話ではないのだが 菌類の中には放射線耐性を獲得しているものもいる

デイノコッカス・ラディオデュランスはグラム陽性細菌に分類される極限環境微生物で、放射線耐性生物としては最も広く知られ、研究が進んでいる生物である。(Wikipediaより抜粋)

放射線を照射されてもゲノムを自己修復できるとか

できないとか

できるんだろうな

知らんけど(こういうこと書くから信用されにくいのかね)

とにかく 生物進化というものは 人智を超越した突拍子もない能力を獲得することもあるということが言いたいのである

よくあることではないのだが 時折ある

なにせバクテリアがヒトにまで進化することまであるのだから 何が起きてもおかしくはない

いつまでも「見えざる神の手(アダム:スミス)」などという根拠のない妄想に基づいたトリクルダウンに頼った因習的経済システムでは ウイルスなどの災害には対応できなくなるのである

貧富格差もまた「災害」である しかもヒトの愚かさに起因する「人災」であることを忘れるべきではない

人類の自壊を放置しておいて 知的生命体などとは到底言えないのである

 

 

 

Ende;

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