書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ベイツ型擬態

2021年11月27日 22時06分27秒 | 意識論関連

毒虫に化ける「ベイツ型擬態」とは?

小さな昆虫が大きな敵に対抗できる唯一の道具は「毒」です。

毒に当たった動物たちは、学習してその虫を食べなくなります。賢い虫たちは「これを利用しよう」と思いつきました。

つまり、自分の見た目を毒虫に似せたのです。

これを「ベイツ型擬態」と呼びます。

 

 出典:https://nazology.net/archives/75332/2

 

⇨「賢い虫たちは「これを利用しよう」と思いつきました」という説明をしているが 遺伝的進化による擬態というのは後天的な「思いつき」で遺伝子に影響を及ぼすことは構造原理的にできない

これが遠藤秀紀の言う遺伝的進化の解釈に対する「典型的な間違い」というものである

自発的論理思考ができる人であれば「そんなの知っているよ 単なる比喩(喩え話)で言っているだけでしょ」といった程度にしか思わないかも知れないが

恐ろしいことに生物学者共の大多数や大衆マスコミは本気で信じているのである

この著しい錯覚誤解こそが優生学に対する論理反証を誰も理解しない原因である

本人の意識に関わらず 遺伝的進化によってヒトという種の生物には先天的に人間性が組み込まれていて 自動的自然に知らない間に無意識に人間性が発揮されるかのようなオカルト観念を本気で信じているのである

リチャード:ドーキンスだの山極寿一だの松沢哲郎の大衆人気というのは こうした大衆マスコミのオカルト観念に便乗同調することで獲得しているのである

 

従来生物学では 冒頭での引用のような擬態に対する間違った遺伝的進化の「説明」をしていたが 実際には毒虫に似た個体の方が捕食されにくかったことで 世代交代を繰り返すうちに毒虫ソックリの姿をした個体への収斂進化の結果でしかない

こうした遺伝的進化に対する論理科学的根拠を伴った説明というのは 実は既に各マスコミでも取り扱ったことはあり 決して私独自の持論などではなく 多くの生物学者や大衆マスコミが論理的に理解していないために正しい知識が広まらず 旧来の遺伝的進化に対する間違った解釈が未だに修正も訂正もされずに傍観放置されているのである

 

 


Ende;


不毛な因習

2021年11月27日 12時20分19秒 | 意識論関連

「多様性がないと急激な環境変化に適応できなくなるからヒトの多様性を許容するべきだ」と言い出すバカがいるのだが

確かに多様性があれば急激な環境変化が生じても生き残る個体が出てくる確率は上がるのだが それは「絶滅」を免れて「繁殖を継続」するという遺伝的進化の観点においての話でしかない

どうして何でもかんでも遺伝的進化に頼った論証をしなければならないのか 意味がわからない

遺伝的進化というものはあくまで自然現象の「結果」であって 別に「意図」でも「目的」でもなく これからも遺伝的進化をしなければならない理由は何もないのである

人間は「絶滅せずに繁殖を継続さえできれば良い」というものではない

「繁殖の継続」は 社会持続可能性の一部ではあるが ただ「繁殖を継続」さえしておけば良いという「目的」の根拠にはならない

先天性疾患などで 先天的に「繁殖の継続」が出来ない個体が産まれてきたからといって 人間社会にとって「生産性がない」などと称して「社会の不利益」とみなして断種や淘汰(殺害)の屁理屈の源となるのが遺伝的進化を完全無欠の万能なものだと勝手に錯覚しているバカの発想である

遺伝的進化はあくまで「結果」であって「目的」ではない

本人の不可抗力な遺伝子変異によって先天的に「繁殖の継続」ができなかったり 社会的負担がかかるとしても 一人の人格として平等に扱い助け合うのが「人間としての目的」の一つであり 先天的遺伝的な生存価で他人を差別すること自体が「人間」として間違っているのである

「誰かが生き延びて繁殖さえ継続しておけば良い」という ゴキブリやネズミみたいな価値観は要らない

ヒトという種の存続だけを論じるのであれば 交通事故で子供が轢き殺されようと 原発事故で誰が苦しもうとも 原発の影響のない地域の「ヒト」だけ存続していれば良いという話になるのである

色素性乾皮症の子供は そのままでは地球環境には適応できないし その子供もまた同じ症状を遺伝する確率も上がってしまうことにはなるものの だからといって断種を強要する権利は「人間」としては誰にもない

「繁殖の継続」といった「生物」としての結果に過ぎない遺伝的進化を あたかも万能の願望器のように錯覚するのは科学を逸脱したオカルトでしかない

たとえ繁殖そのものが出来ないとしても 一人の人格として権利を尊重するのが「人間」であり 「生物としての優秀さ」は人間としての価値基準には全くならない

通り魔やテロリストの類いは大抵健康であるが 脳がバカなので暴力破壊による主観的安心満足を短絡的に社会正義か何かと勝手に勘違いするのである

死刑などの懲罰によって何かが解決するという「感覚」自体が錯覚に過ぎず どんなに厳罰化しようと死刑にしようとも具体性のある社会的問題の解決には全くならないのである

凶悪殺人犯を死刑にしておけば とりあえずは安心で満足感が得られるものではあるが 論理客観的には原因究明にも再発防止にも全くつながらないのである

だが 現状の社会制度的には罰の判決で解決にされてしまい 具体的且つ合理的且つ実効性のある対策は全く制度として存在しておらず 税金の無駄遣いにしかなっていない

衆愚はバカなので 主観的に安心満足さえしておけば被害が再発しようと誰が死のうと「自分には関係がない」と思っているが 社会的責任判断をしないバカしかいなければ民主主義はバカ主義にしかならない

バカというのは厄介で 自分の頭の悪さを全く自覚せず 主観的な気分感情と論理客観的根拠のある「真実」の区別がつかないため 「罰で解決だ」という論理客観的には何の根拠もない決めつけを「自律判断」だと勘違いしているのである

「自律判断」というものを あたかも「自分勝手な判断」だと錯覚し区別がつかない

ヒトの大半 というかほぼ全員はイマヌエル:カントの「純粋理性批判」には論理客観的な根拠が示されていないことには気づかないバカであり 「哲学者」という肩書権威の言うがままに唯々諾々と鵜呑みにし 何ら自律的には検証判断しないバカである

こうした頭の悪さを自覚しない限り ヒトはバカげた不毛な因習を漫然と続けることになるのである

 

 

Ende;