イジメの加害者というのは 基本的に自己肯定感の低い子供がやるのであって これを改善しないことにはイジメはなくならない
自己肯定感というのは自信とは違うので 自信たっぷりにイジメをする子供の方が多いので ここを勘違いしてはいけない
イジメの標的は誰でも良くて イジメる標的が集団以外に見つけられない場合には集団内部で順位序列の低い子供が標的にされてしまうため 誰でも構わないから集団の外に標的をでっち上げておかないといけないという強迫観念によってイジメは実行されるのである
イジメ集団の中で順位序列が低いと標的にされかねないため 率先してイジメを行うことによって集団内部で競うようにイジメを行うようになる
より酷いイジメをすることで 集団内部での序列を高めようとする競争が始まるのである
連合赤軍が組織内部での殺し合いになったのも それが原因である
イジメなどの「悪いこと」をする集団内部では 如何に「悪いこと」ができるのかを競うことによって 集団内部での順位序列を決定しようとするのである
イジメをやりたいと思っている者同士で気分的に共鳴(共感)すると イジメ競争が自動的自然にシーケンシャルに始まるようにヒトはできているのである
これは自然界におけるキツネにも見られる習性であり 統率協調性を促す生物学上の先天的な社会形成習性による行動バイアスによるものであるため 集団で誰かをイジメていると「楽しい」ものなのである
ヒトに限らず 動物の行動習性というものは 「楽しい」感覚を作り出す脳内麻薬によって促され 何に「楽しい」と感じるのかは個人が主体的には選択することができない
ヒトの祖先 ヒト以前の野獣の段階では 集団組織的に獲物を追い詰め よってたかって殺傷して喰うという行動をしていたのであり 集団統率的に危害を加えることは本能的に「楽しい」ようにできているのである
フォートナイトというゲームがあり これはチームを結成してチーム同士で殺し合い争いをするゲームであるが これがとんでもなく大人気である
ゲームなら人畜無害だが これが現実の同級生となると重大事象に陥ることになる
フォートナイトでは 味方(チームメンバー)に射撃をしても味方には影響がなく 弾の無駄遣いになるだけである
フォートナイトでの得点は 殺された段階での生き残りの数で競われるため チームで協調して他のチームメンバーを殺害することの方が得点には有利であり 味方チーム内部での序列に構わっている暇はない
フォートナイトの現実版とも言えるのが連合赤軍であり 国家警察に追い詰められて逃げ場がなくなり 反撃不能と判断すると 集団内部での順位序列の低いメンバーに対する暴力が始まった
もちろん合理性などない
イジメも合理性があってやっているわけではなく あくまで目先の気分的な「楽しさ」だけでやっているのであって サルが目の前のエサにしか興味がないのと同様に 人生全体におけるトータルな価値観に意識が働かないため 目先の「楽しさ」しか見えなくなっているのが根本原因である
イジメというのは 標的にイジメをしている時だけは「楽しい」のだが 集団内部での序列争いは強迫観念であり恐怖でしかない
イジメをしている間の快楽のために むしろ自己肯定感をどんどん喪失し 喪失した自己肯定感を埋めるように益々イジメが酷くなってゆくのである
イジメをやっている加害者も イジメが「悪いこと」であることは知っているし イジメ集団内部での順位序列競争はむしろ恐怖でしかないのだが 一度イジメに手を染めてしまうことによって イジメ集団から除外される恐怖の方が上回ることで イジメ集団内部での順位序列競争に歯止めが効かなくなるのである
頭ではわかっている イジメなんぞが無い方が良いと その方が余程安心して生活できると知っていながらも 一度イジメが始まると自分がイジメられるのではないかという脅迫観念によって イジメ競争のスパイラルに陥ることになるのである
イジメ加害者がイジメを行うのは 自己肯定感の低さによるものである
純粋に個人的に楽しめることがあれば 弱者を攻撃して楽しむような卑劣な集団に加わる必要はないのだが 生きていて他に「楽しい」と思えることが何もないストレスから 弱者を攻撃する「楽しみ」しか見えなくなっているのである
こうした盲目性というものは 家庭内における序列 家庭内カーストが影響しているのである
家庭内で順位序列が低く扱われていると 主体性を尊重してもらえないため 自分で物事を判断する能力が働かなくなる
それこそ学力偏差値競争への強迫的評価が行われていると 子供はストレスを溜め込み そのストレスを発散するためにイジメに手を染めるようになるのである
親が学力偏差値競争を強要するのは 子供の将来を心配しているわけではなく 実は子供を家庭内での順位序列を低く見積もるためであって 家庭内での順位序列を低く扱うことによって親に服従させるための「威厳を保つ」ことが目的であり どんなに学力偏差値が高くなっても家庭内での順位序列が上がることはない
そういう不条理な「無理ゲー」を家庭内で強いられているからこそ イジメという非合理な快楽中毒に陥ることになるのである
博士ちゃん的に熱中できることがあれば イジメ集団に加わる暇はない
純粋に個人的に楽しいと思えることがあれば 非合理で不条理な「悪いこと」に対する「楽しみ(快楽)」は個人の中で優先順位が低くなるからである
子供が何に熱中できるのかは 子供それぞれであり ある程度実際にやってみないとわからないものでもある
ところが 親が子供を服従させることを優先し 家庭内での順位序列を低く見積もることばかりに執着していれば 子供は自分が個人的に楽しいと思えることを探すことができなくなり 学力偏差値などの「他人との比較」でしか評価が得られなければ イジメなどの目先の「楽しみ」に無意識に流されるようになってしまうのである
他人を攻撃し 貶めていれば 攻撃している間だけは相手よりも自分の方が優位に立った感覚を得られるのだが イジメという行動自体を客観的に見れば「悪いこと」であり卑劣な行為であることも「知っている」ため 更に自己肯定感を喪失し その自己肯定感の喪失を自覚したくないために 自分の頭で物事を客観的に考えることを全くしなくなるのである
自分が如何に卑劣で「悪いこと」をしているのかを自覚すれば気分が悪くなる
その認知的不協和を解消するために 自己客観的自覚(意識・論理客観的考え・合理性)の方を放棄するのである
イジメというのは 加害者側の自己洗脳であり 精神の病気である
イジメも連合赤軍もミャンマー軍事政権の民衆弾圧も 合理性など何もない 国益にすら供することはなく むしろ国を崩壊へと導くことにしかならないのだが 民衆を武力で弾圧している間だけは自分達が優位や正義に立ったような主観的感覚が得られるために 中毒的に加害行為を正当化しようとするのである
軍隊というのは上意下達の封建的序列社会であり 兵隊個人の主体性など全く重要視されることはない
家庭内が軍隊のように封建的序列を子供に強要していれば 結果的に兵隊のように「自分では何も考えないバカ」が出来上がるのである
統率をしている上官や親がいる間は統率がとれているが 子供だけで集団生活をさせれば服従すべき統率相手がいなくなった途端に自分が統率者になってしまう
躾を間違えた小型犬が 飼い主に対して「自分よりも序列が低い」と判断した途端に 飼い主の手を噛むようになるのと行動バイアスは同じである
イヌにとって服従は快楽である イヌの統率協調性としての先天的な社会形成習性は非常に強いため 訓練によって飼い主を「上(服従対象)」とみなすようにしつければ 盲導犬や介助犬のように従順に服従するようにもなるのだが イヌは訓練という生育環境に依存し 決して主体的にヒトにとって都合良く服従するようになるわけではなく ヒトが勝手にイヌの主体性を尊重したりすれば 逆に飼い主を見下して噛み付くようになるのである
だが ヒトはイヌとは異なり むしろ個人の主体性を尊重することによって自律的に自分の行動を律するようになるものである
これは先天的知的障害があっても同じであり むしろ個人の主体性を尊重しないとストレスから暴れるようになることある
知的障害も 実際にはスペクトラムであり 決して完全に「知的障害の全くないヒト」などあり得ない
大多数の「普通の人」であっても 何らかの認知的欠陥は存在しており だからこそ詐欺なんぞが成立するのである
有限の大脳容積しかなく しかも先天的行動バイアスによって行動が促される限り 先天的に常に人間性しか発揮しないヒトなど存在しないのである
「自分だけは絶対に大丈夫だ」そう主観的に思っていれば満足感は得られるのだろうが それこそがバカになる根源的原因である
主観的満足感自体が先天的に促されているものであって 野獣の祖先から受け継いだ錯覚に他ならない
野獣は自分の行動を客観視し 主体的に合理性ある目的行動選択をすることはできない
自分が所属する集団内部でイジメが起きれば 自分がイジメられないようにイジメ競争の順位序列に執着し 率先してイジメを行うようになるのである そうなれば大脳容積など糞の役にも立たなくなり 典型的なバカになるのである
「怖い相手に逆らわない」方が楽である
イジメをするような奴は「怖い」ので 「怖い」相手の価値観に同調迎合し 忖度服従しておいた方が利己的「生存」にとっては有利に働くものである
こうした先天的バイアスによって ヒトは暴力者への服従統率による封建的独裁が形成されるのである
テレ朝の玉川氏が安全性を優先して「エスカレーターで真ん中に立ってどかない」と主張しても 衆愚は臆面もなく「勝てないから冷静ではない」などと言い出すものである
「怖い」相手に忖度し 逆らわずに迎合同調して服従しておいた方が気分的に「楽」なものである
東京電力福島第一原子力発電所において 上司の顔色を窺って 原発の津波に対する脆弱性を傍観放置しておいた方が 組織の利益でもあり 個人が集団に迎合するには有利な行動選択である
「怖い」上司に逆らわず 自律的な社会的責任など放棄しておいた方が「楽」なものである
そうやってヒトは無意識な大多数に迎合し 自律的な社会的責任を放棄することを正当化するようになるのである
ヒトには先天的にそうした認知的欠陥が存在していることを前提に これを補うための「意識」が必要である
ハードウェア的な先天的欠陥に対し ソフトウェア的なパッチ(修復)を当てることによって ヒトは無意識で非合理な行動バイアスから逃れ 「本当の目的」に適する行動選択ができるようになるのである
先天的本能習性に無為に流されていたのでは 到底「自由」でも何でも無いのである
Ende;