ヒトの大半は自分の頭で考え 論理客観的に嘘なのか真実なのかを判断することができない
「考え」たことと「思った」ことの区別がつかないからである
ヒトが嘘を鵜呑みにした場合 「本当の話だと思った」という言い訳をするものである
主観的な印象や感覚として「思った」だけであって 論理客観的に「考え」ていないから嘘を鵜呑みにしてしまうのである
主観的な印象や感覚には錯覚が伴う可能性がある
錯覚というとカフェウォール錯視みたいなものだけだと思っているヒトが多いが
その「思って」いること自体にも錯覚が混入しているのである
「大学で教わることには間違いなどない」と 多くのヒトは思っている
大学の教員の言っていることは 大学の教員達によって共有され 内容が相互に検証されて正しさの保証があるものだと「思って」いるものだが 航空工学の教授は生物学には興味がなく「専門外」と称して内容を検証することはない
こうした学部ごとの「縦割り」による日和見は航空工学に限ったことではなく 工学系や物理系 天文学系や数学系においても同様で 大学だからといって教えている内容が相互に検証されているわけではない
生物学界においても 遠藤秀紀と同じ見解を持っている者は少数派であり 大半の生物学者は「遺伝的進化というものには意図目的戦略に基づいて都合良く進化を選んでいる」かのような「説明」をし続けており 更科功に至ってはチャールズ:ダーウィンの進化説明から「進化は自然現象」だと言いながら 一方では「生きるために生きている」「生きていること自体が目的」「いきているだけでも立派」などという訳のわからぬはぐらかしを展開し 今まで一度も遺伝的進化というものが意図目的のない自然現象という単なる結果に過ぎないことには一切言及してこなかった無責任を養老孟司などというオカルトジジイに推薦文を書かせてウヤムヤにしようとしているのである
フランシス:ゴルトンの優生学というのは「生物の遺伝的進化には意図目的戦略が存在している」という科学的誤謬(間違い)に基づいた屁理屈であって これが少数派や弱者を差別排除するのに都合が良かったからナチスを含む衆愚から人気を得たに過ぎず 衆愚の多数人気は科学的証明にはならない
「進化は人間よりも賢い」だとか言っていたバカもいるが 淘汰圧力による大量死滅を必要とする収斂進化に「賢い」もヘッタクレもないのである
ネズミやイワシのように大量に子供を喰われてしまう生物種も 結果的にそれで生態系のバランスにさえなれば絶滅を免れるのであって 大量に子供を生態系に「提供」する形で生態系全体のバランスがとれることが優先されるのであって 生態系全体のバランスを失ってしまえば生態系を構成する生物全体にも影響を及ぼし 結果的に生態系バランスを失ってしまえば生態系を構成する個体も存続できなくなる可能性が高くなる
生態系のピラミッドの頂点の役割を担う肉食獣であっても 環境を喰い尽くす程の捕食能力や繁殖力を発揮してしまえば生態系のバランスを失い これもやはり生態系全体の崩壊を招くことになり 繁殖を継続することが困難に陥る可能も高い
結局 個体種の存続には生態系全体のバランスが優先されるのであって 個体種の都合は決して優先されることはないのである
それは ブチハイエナの先天的形質や キツネの先天的習性が集団形成性が優先され 個体の都合が無視されるのと同じである
ブチハイエナの6割が死産しようとも キツネの変異が群れに適応できずに死滅していようとも 繁殖が継続できさえすれば絶滅はしないのである
何億年もの進化によって 偶発的に環境と生態系バランスがとれた個体種だけに淘汰収斂されてきた結果が現在の自然環境であって 侵略的外来種が混入してしまうと簡単に生態系バランスは崩壊し また最初から生態系バランスが構築されるまで幾度もの「失敗」を繰り返さなければ生態系バランスは戻らない
更に言えば かつての生態系バランスが取り戻せるかどうかも保証はない
遺伝的進化というのは膨大な失敗の果てに偶発的に成功した結果に過ぎず 膨大な失敗の挙げ句に結局何も成功しないケースというのも充分にあり得るのである
遺伝的進化の全ては偶然であり サイコロが偶然「環境適応の目」が出た場合のみ「成功」として遺ることになるのである
ブチハイエナの子供が6割死産しようとも 死産を免れた4割の子供だけでも絶滅には至らない
「絶滅に至らなかった」ものをヒトは「生物」と分類しているだけであって 生物の遺伝的進化に合理性がある必要性はなく どんなに非合理で非効率であろうとも 絶滅していないなら「生物」なのである
遺伝的進化によって獲得した形質や習性というものに合理性や効率性が伴う保証は何もない
ヒトの子供がイジメで何人死のうが 絶滅していなければヒトである
ヒトが縄張り争いで何人死のうが 縄張り争いをしたがる先天的本能習性はなくなることはない そんなメカニズムやプロセスは存在しないからである
ヒトがどんなに主観的・後天的に「困って」も 「困ら」ないようには淘汰圧力も収斂進化も起きない
むしろ暴力者に逆らわずに服従忖度し 封建的階級差別社会を受け入れて安心満足してしまう卑屈なバカの方が「生存」には適していることになるのであり こうした淘汰圧力の中ではヒトはバカにしか収斂は生じないのである
自律的に物事を考え 社会的責任を負うための選択判断を自分からするよりも
ただ漫然と多数や「多数派によって認証された権威」を盲目的に信頼し 唯々諾々と忠誠忠実に服従し 権威を崇めて忖度していた方が気分的には安心満足感が得られるようにヒトは先天的にできている
神とは本来 不公平を押し付けてくる身勝手で利己的な暴力的独裁者を崇め服従してしまわないための「理想の服従対象」として想像したものであって 「理想」である以上は実証する必要性はない
写真用レンズにおける「理想」が物理的には不可能であるとしても より理想に近付けるためには概念としての「理想」は必要なのである
だが 「理想」というものは盲目的に崇めて信じてさえおけばどうにかなるようなものではなく
あくまで「理想」に近付けるための様々な発想や工夫が必要である
しかし 宗教というものはどうしても他人から押し付けられた「理想」を鵜呑みにして安心満足するようにしか構造的になっておらず
より高次の より本当の「理想」とは何かを考えようとはしなくなる性質があるため 自分が既に信じ込んでいる「理想(神)」こそが絶対的なものだと言い張り 信じ込んでいる自分の精神的怠慢傲慢には配慮がいかなくなる
だから選択可能性を喪失し 主観的な報復感情を満たすだけにしか神を持ち出さなくなるのである
民族宗派は関係なしに 誰もが平和で公平な社会を求めているのであって ヒトが求めている本当の「理想」自体に違いなど本当はない
ミャンマー軍事政権が民衆弾圧をしているのも 懲罰的な弾圧によって軍隊内部のような統率的規範意識を植え付け服従させることが社会の安定に必要なものだと本気で信じ込んでいるからこそ 非合理な弾圧をしているのであって
兵隊というのは服従すること以外には何も自律的に物事を検証することのできない卑屈で無能な存在だからこそ 文民による統制が必要不可欠になるのである
兵隊の頭(意識)に平等という概念はない
イヌ同様に順位序列による縦割り服従統率系統を盲目的に鵜呑みにする以外 何も自分では考えたりしないように訓練(洗脳)されているからである
海上自衛隊でイジメが問題になっているが イジメは民間企業でも問題となるものであり 盲目的服従統率によって個人が自律的な社会的責任判断選択をしなくなるからこそ原発の暴走をも許してしまったのである
自分が主観的に安心満足できることを短絡的に「正しいこと」だと勘違いしているからこそ 自己客観的に「本当に正しいこと」を主体的に判別することをしなくなるのである
遺伝的進化が万能であるかの様に錯覚するのも 中東由来の一神教の教徒同士で争うのも 自分の主観的感覚や印象を絶対的なものだと信じ込んで疑わない精神的怠慢と傲慢さが原因である
神は実存しないが パレスチナ人を下水道もインフラもない荒野に追い出して壁で排除する「神」が本当にユダヤ人にとっての「理想」だと言えるのか
それを「考え」なくなる原因とは 民族宗派だけで分類して差別排除だけして主観的に安心満足が優先されてしまうヒトの先天的性質(認知的欠陥)によるものである
ヒトは 暴力で抑えつければその場は従うようにはなる
相手を自分達の意のままに服従させるには暴力は最も手っ取り早い手段ではあるが それこそが不公平と憎悪を生み出すのである
ヒトは間違えるものである 誰かが間違えたら どうして間違えてしまったのかを徹底的に原因究明し 再発防止を優先することが最も合理的で知的な選択である
ところがヒトという種の生物は 先天的に怒りの感情に任せて報復的懲罰による暴力の方が快楽を感じる習性(バイアス)があるため 論理客観的に合理性のある行動を理性的に選択せずに懲罰的報復だけを実行して差別分断を加速させることばかりに執着してしまいがちな性質がある
こうした先天的な欠陥を補うためには 論理客観的な合理性のある選択を 意識的に優先する理性が必要である
「殴られたら殴り返す 100倍返しだ!」と報復懲罰に燃えても 根源的な解決にはならない
通り魔事件が起きたからといって 通り魔を死刑にしても通り魔事件がなくなる合理的根拠は何もない
あらゆる犯罪は罰では解決することはないのである
Ende;