簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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堀切川の掘り割り(東海道歩き旅・近江の国)

2023-12-25 | Weblog


 右手の生徳山長泉寺は、門前が児童遊園地に開放されている。
浄土宗の寺で、ご本尊は阿弥陀如来で、境内には子安延命地蔵尊があり、
信仰されている。
 市場村の外れ大日川の手前の一里塚跡は、市場の一里塚跡で、江戸日
本橋より数えて百十一里目だが遺構は何も残されてはいない



 更にその先の橋の手前に「大日川掘り割り」の石標が建っている。
大日川橋を渡れば旧大野村で川がその境で、この辺りが土山と水口宿の
中間になるらしい。
 頓宮山を源に、大野村や市場村を流れ野洲川に注ぐ大日川は、一度大
雨が降ると川幅が広がり、流域の水害被害が甚しかった。
その為江戸時代初期、大野村は市場村との境に堤を築いた。



 が今度は市場村が重大な水害を受けることになる。
堪らず村では城主の許可を取り付け、頓宮村より総延長504間、川幅四
間の排水路掘削工事に着手し、市場村民の総賦役により元禄16(1703)
年に完成させたのが大日川の掘り割りらしい。
今遺構は草に覆われ、見定めが出来ないが、一筋の流れとなっている。



 この向かい側に「東海道反野畷」の碑が立ち、その先に松並木が残さ
れていて、その先にも「東海道反野畷」の碑がありこの間が畷道である。
松並木道は凡4町(約400m)続き周辺には名産の茶畑が広がっている。
手前に淀藩領界石「従是東淀領」が立ち、この地は淀藩の飛地で有った
事が解る。



 大野小学校の手前に、大野村の鎮守・花枝(はなえ)神社の鳥居が建
っている。鳥居の奥遙かに森が見え、そこに社殿が鎮座しているらしい。
そこまでは、途中国道を越え凡400m程の参道が続いている。(続)





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